空襲の後、命をつないだ罹災証明書ー地域によってバラバラだった
空襲で被災した人には、役所や町内会などから、被災したことを証明する「罹災証明書」が発行されました。これによって特別に配給(有料)を受けたり救援物資を受け取れたりすることができます。また、疎開の切符購入にも必要でした。表題写真とこちらは、きちんと日用品や食料品の配給証明書がついた東京都のものです。被害が大きいうえ何度も空襲されているので、きちんと印刷したものが用意されたようです。
あくまで、応急の割り当てであり、優先して購入できるというものでした。それだけでも貴重であり、ぼろぼろになるまで役所通いをしていろんな便宜を図ることができたのです。
こちら、水戸市の罹災証明書で、1945(昭和20)年8月2日発行。71歳の1人暮らしの方です。これで毛布の支給を受けています。紙で補強してあり、都度、特別な配給を受け取るために使ったのでしょう。
空襲がたびたびあった地域では、こうして用意してありましたが、まだそんなに空襲を受けて居なかったり事務能力の問題があったりして、手ごろな紙にガリ版刷りというものもあります。こちら、熊本市の町内会で発行したものです。事務委託ですね。裏面を見ると、裏紙で作ったと分かります。
熊本市の罹災証明、もう一点入手しています。こちらもいろんな配給を受けた際の印の跡があります。形も入手できた紙次第だったようです。
罹災証明書のほか、戦災者向けの購入券も配布された事例もあります。こちらは1945年12月30日に刈谷町で渡した、足袋の購入券です。お金は必要でもモノがないので、優先的に買えるだけで大きな力になったはずです。
こうしてみると、空襲の被害に遭う臣民のことは後回しだったんだなと、つくづく感じます。長野市でも、即席でつくった罹災証明書を出し、やはり持ち主は家の再建などに役立てて大切につかったということです。