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もちろん戦争中に限らないけれども、達筆な人は戦時下にも大活躍

 正月といえば、書初め。ということで、戦時にまつわる書を集めてみました。
 戦前、達筆な方は地域の活動や兵士の出征や入営、入団の幟書きで忙しかったようです。こちら、長野県川中島村(現・長野市)から出征された方の幟の一部です。一番大きなものは落款のようなものもあり、書家に依頼したものでしょうか。出征旗や入営旗は無地のものが販売されていて、もしかするとお店の依頼を受けて書く方がおられたのかもしれません。

落款のようなものが入った大幟
小さい幟には、それぞれの方が書いたのでしょうか。

 ただ、こうした幟をいくつも作ったのは、日中戦争の初期ごろまでとみられます。その後は物資節約、出費節約などの掛け声や防諜を背景として、本数が限定されたり、無くなったりしていきます。
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 一方、長野県長地村(現・岡谷市)の在郷軍人会などが書いた講演会案内の1枚物のポスターをいくつかご紹介します。いずれもデザインや文字がうまく、見込まれた方が書いたとみられます。

日の丸を含め全体のバランスが見事
文字だけですが、力が伝わってきます。
日の出のデザインも崩した文字も味があります。

 この3点のうち、2月4日の講演会は1934(昭和9)年のものと判明しています。3月10日の軍事講演会「実戦談」の講師、矢崎少佐は1929(昭和4)年から1934(昭和9)年まで関東軍にいたことから、1931(昭和6)年の関東軍の謀略・柳条湖事件勃発から満州事変に突入した時の参謀ですので、年は確定できませんが、満州事変の事を話題にしたのは間違いないでしょう。とすると、いずれも昭和初期の講演会と言ってよいでしょう。
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 最後に、満蒙開拓青少年義勇軍に参加した長野県日義村(現・木曽町)の隊員に宛てられた、慰問品の書道作品をご紹介します。日義村の国民学校6年生の手によるもので、見事な出来栄えです。

素晴らしい国民学校6年生の作品

 ただ、書いてある文字が「軍功感状上聞」。「軍功」は戦場での功績ということになり、「感状」は、そうした功績に対する表彰のようなものです。そして「上聞」は、功績によって感状が出されたことが天皇に報告されたという意味で、当時の軍人としては最高の名誉となります。

 こうした文字の手本もあったのでしょう。おそらく教師の指導で児童がこれを書いたのでしょうが、天皇の権威が日常の学校の学びの中にも浸透していたということにもなります。ずっと、そうしたことが尊いことであると聞いていれば、児童たちは疑いを持つことなどなく、天皇を敬う気持ちを高めたことでしょう。天皇を頂点として教育勅語を体現できるように、教育もすみずみまで計算されていたことを示す作品ともなっていると思えるのです。

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