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第8回展示会準備進行中、と写真の話

 本日はすぐパネル作りに入りたかったのですが、やはり昨日の作業がやり残しとなり、押してしまいました。本当、昨日思い切って休みにしなければどうなっていたやら。徹夜は疲れるし能率も悪いんでやりたくないんですよね。
 で、きょうの午前中を使ってようやくキャプション完成、パネル製作に入りました。少なくとも14枚をつくる必要があります。まずは、だいたい配置を決めてあるので、資料をパネルに張るため、袋に入れます。

各種のサイズの袋をうまく用意できれば能率が上がる

 そして、プリントしたキャプションを切り抜いて…

ジョキジョキ

 資料はセロテープくるっとさせたやつで、キャプションはテープのりで、それぞれパネルに張り、ねじ止めして完成。昔はこのねじ止めがなかなかうまくいかなかったんですが、最近は割合ましになってきました。

1枚完成、というところ

 ただ、時々キャプションに誤字がみつかり、修正テープのお世話に。その上にボールペンで書くけど震えてうまく書けぬ。でも、間違いのままよりよいだろうと、直しています。読みにくかったら、資料をご覧ください。申し訳ないです(´;ω;`)。
 この調子でようやく7枚、半分できました。きょうはもう少し頑張ります。まだ、展示品のキャプション作りとか、双六パネル作りとか、いろいろありますから…。荷造りは完全に月曜、というか、そこに最後のアンケート印刷とかの作業も追い込まれるだろうなーと思って居ます。こんな調子ですから、全然宣伝できていない。地元紙やミニコミ紙のお知らせ欄には乗ったようですけど、というわけで、これを読んでる皆さん、ぜひお越しください。
           ◇
 きょう、X(旧ツイッター)で、はだしのゲンに出てくる中国での日本兵の暴虐行為について、戦時下のアサヒグラフに掲載された食糧配布や診療、子供との交流といった日本兵の写真を示して「はだしのゲンの描写は嘘」とやっていましたが、この論理、おかしいと思いませんか。食糧配布や医療行為や子供との遊びは、戦時下でよくあることです。前2者は宣撫工作としてどこの国の軍隊もよくやります。3番目は、故郷に家族を置いてきた兵士が郷愁で現地の子どもたちと遊ぶということはよくあったようです。それらも一つの場面でしょうが、だから残虐な行為はしないというのは、論理の飛躍です。
 特に、戦時下の報道写真は検閲を受けていますので、残虐シーンが許可されることはまずありません。日本の臣民には、良い姿しか見せていないのです。そしてそんな良い日本兵が戦う相手は悪い奴だという意識を持つようになり、相手の首を切ったという記事が出てもよくやった、という話が出るだけです。
 ですので私は、中国兵が銃剣で殺される場面を撮影した「不許可写真」を投げつけてきました。

 わたしの指導教官(理科系)は「写真は真を写さず」とよく言っていました。歴史に於いて、写真の扱いには注意が必要です。わたしも戦時下の写真は収集していますが、出どころ、撮影状況のはっきりしたものしか入手しません。それ以外だと、使い道がないのです。どこにどんな嘘が隠れているか分かりませんから。5w1hがはっきりしない写真は、歴史の証明には使えないのです。
 そして、女性の陰部に物を刺す、妊婦の腹を裂く、といったことについて、そのツリーで「日本人の発想じゃない」という世迷言をいう輩もいました。関東大震災の自由法曹団の記録で、いずれの例もみられています。野蛮な輩のやることに民族性もくそもないのです。
 はだしのゲンは中沢啓二氏の体験や聞き取りを利用したフィクションです。しかし、漫画として構成するためフィクションにしたのであり、その中身すべてがフィクションというのもこれまた、論理の飛躍です。

 そもそも、なぜ日本軍が中国にいるのか。これを知るには実は日露戦争までさかのぼることになるので、またの機会にと思いますが、少しずつ敗戦から過去へたどっていくとよく理解できるかもしれません。

 賢明な皆さんはそのような戯言に惑わされないよう、お願いいたします。

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信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)
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