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戦時下、庶民のカネを吸い上げるさまざまな「貯金」が登場ー戦果発表記念貯金は、タイミングがまずかったか

 日中戦争から太平洋戦争に突入し、軍事予算がどんどん必要となっていった戦時下の日本では、軍事費確保のための国債など債券の発行で、いわば経済的な裏付けのないお金が大量に発行されていきます。しかも物は不足していく。これでは第一次世界大戦後のドイツのような悪性インフレを起こすことになると、政府は危惧します。

 そこで、とにかくインフレを防ぐため、カネを動かさないよう、さまざまな形で貯金が国から奨励されました。こちらで紹介させていただくのは、どこで使われたものかはわかりませんが「一機一艦一銭貯金 戦果発表記念貯金」なるものです。

一応記名があるので、配布まではしています。

 戦果発表記念貯金に載っている要綱によりますと、毎日のニュースによって敵の航空機、軍艦に与えた損害を集約し、毎月、その数に一銭をかけた額を貯金するというものでした。また、戦果のとりまとめと報告は地区の翼賛壮年団が行い、大東亜戦争完結をもって終了するというもので、それまで貯蓄を続けるとしています。隣組の常会で集めさせている所が、同調圧力を生んでいます。

要項の詳細。

 開いてみますと、飛行機は撃墜と地上破壊、軍艦は空母、戦艦、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦となっています。また、とりあえず1943(昭和18)年10月から1944(昭和19)年の9月分までとなっています。

輸送船は入っていないのが、当時の軍の方針を感じさせます

 1943(昭和18)年といえば、太平洋戦争初頭の調子の良い時期は去り、ガダルカナル撤退、アッツ島玉砕、学徒の全面的な勤労動員、絶対国防権制定と、防戦に移っている時期でした。はたして景気のいい戦果で貯蓄は進んだのでしょうか。
 ちなみに、入手した2通は氏名が書きこまれていたにもかかわらず、貯金蘭は無記入でした。「貯金は銃後の弾丸なり」の標語がむなしく見えます。

記名だけで貯金の記入は無し。

 このころになると、大本営発表の虚報が次々と誇大に繰り出されてきて、誰もが負け戦を肌で感じていても、報道は調子が良かったころです。もしかすると、とりまとめた戦果が大きすぎて無理がかかったのでしょうか。あるいは、その逆で士気が上がらないとして取りやめになったのでしょうか。

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