見出し画像

米潜水艦に撃沈された学童疎開船・対馬丸の船長、西沢武雄氏は長野県出身の方でした

 80年前の1944(昭和19)年8月22日、沖縄から疎開する学童780人を中心に、船員を含め1788人(うち、疎開学童と付き添いらが1661人)を乗せた日本郵船の陸軍徴用船「対馬丸」が米潜水艦の雷撃で撃沈されました。生き残った学童は59人、およそ1500人が亡くなるという惨事のうえ、学童や生き残りの大人たちにもかん口令が敷かれます。もちろん、被害の情報によって軍への信頼が低下することを恐れたのは間違いないでしょう。

 中の人は、対馬丸の生き残りの児童を主役にした漫画が「赤い靴はいた」に掲載されていましたし、いろいろなことで対馬丸の悲劇は知っていました。しかし今回、長野県安曇野市の「下鳥羽の古文書を読む会」がまとめた「太平洋戦争時下の下鳥羽の記録ー対馬丸と西沢船長」によって、実は対馬丸の船長で多くの学童と運命を共にした西沢武雄船長が、長野県の出身であることを始めて知り、ここに報告させていただく次第です。

対馬丸関連の2冊の本

 西沢船長は1897(明治30)年7月5日、当時の長野県南安曇郡豊科町(現・安曇野市)の出身で、東京高等商船学校を1921(大正10)年に卒業しました。その後日本郵船に入社し、1942年9月に浅間丸の船長となり、1943(昭和18)年10月25日から対馬丸船長となっています。

 日本郵船が1944年に発行した「日本郵船戦時船史」には、対馬丸撃沈前後の様子が生き残りの船員により記録されていて、「下鳥羽ー」に収録してありました。これによりますと、既に老朽船であった対馬丸は雷撃の良い的になるとして、ジグザグでの航行を西沢船長は主張しますが、軍の司令官からほぼ直進での航行をと押し切られたとあります。
 そして雷撃を受けた際、見張りが魚雷の航跡を発見し、西沢船長は「取り舵一杯、両舷全速前進!」を命じ、1本の魚雷をかわします。が、続く3発の魚雷がほぼ同時に左舷に命中、間もなくして右舷にも1本が命中。西沢船長は「総員退船用意」を命じます。その後、西沢船長は沈んでいく船体に身体を縛り付けて亡くなられます。当時47歳。

 戦後、慰霊祭に参列した娘・澪子さんは「子どもの好きな人でしたから…大勢の子どもを死なせてしまって、自分は生きていられなかったと思う。今でも申し訳ない気持ちです」とし、海底に眠る父に「これからもみんなを守ってください」と。遺族は子供たちのために菓子を海へ流す方も目立ったといいます。戦争は、こうして次世代にまで、深い傷を残しているのです。

 「下鳥羽ー」では、当時護衛にあたっていた砲艦宇治の乗組員の手記も掲載しています。これによると、船団は対馬丸ほか2隻の輸送船、護衛は砲艦宇治と駆逐艦蓮の2隻でした。宇治は対空兵装が充実していて潜水艦攻撃用の爆雷も載せていましたが、肝心の潜水艦を探知する装置を装備していませんでした。実質的に潜水艦に対抗しうるのは蓮だけで、こちらも老朽の駆逐艦でした。
 そして3隻の輸送船の中では対馬丸が一番低速で、航行中、遅れがちとなります。この低速がゆえに、先ほどの「ほぼ直進」で船団全体の速度を上げる狙いだったと感じられます。ただ、一番の問題は、機械的に老朽船を疎開船になぜ活用したのか、出発前の船団会議でなぜ問題にならなかったのかと、宇治に乗船していて対馬丸沈没の様子を目撃した主計長は回想しています。
 
 そして対馬丸が撃沈された時、宇治は残る2隻を無事に送り届けるためにと、現場海域での救難活動を行わずに去ります。蓮も同様でした。そして沖縄の司令部に救助を託しました。これも、苦しい判断だったでしょう。

 西沢船長の妻、ふみさん(故人)は1961年9月、夫の実家がある下鳥羽地区内の墓地に墓を建立し、生前に西沢船長が願ったという文を刻みました。

「常念の山見ゆ里に眠らんと東支那海の戦に散りぬ」と。ふみさんが亡くなられたのは、その翌年のことでした。

 戦没船員慰霊団による「鎮魂の海」によりますと、太平洋戦争中、犠牲となった商船は約2400隻、船員の犠牲は汽船だけで30,592人にのぼるといわれ、その死亡率は陸海軍将兵の2倍以上」になるということです。この中の1隻が対馬丸であり、この多くの船員の犠牲者は、また、軍人とは違うのに命を散らされているのです。

 ひとたび戦争が起これば、その犠牲は軍人に留まりません。戦争の回避しか道はありません。そこで全力を尽くすのが政治の役割ではないでしょうか。武器を持てば大丈夫とかいう妄言が防衛費の増大を支えていますが、そんなことは戦争の回避に同じぐらいの勢力を使って言うべきでしょう。

(「下鳥羽ー」の本には西沢船長の写真等もございますが、著作権等に配慮し、掲載しておりません。また自費出版本に近いものですので部数は少ないため、ご興味のある方は、安曇野市図書館で改訂版をごらんください)

ここまで記事を読んでいただき、感謝します。責任を持って、正しい情報の提供を続けていきます。あなた様からサポートをしていただけますと、さらにこの発信を充実し、出版なども継続できます。よろしくお願いいたします。