出征兵士には付き物の「お守り」も木型で量産ー家内安全や農産物のお守りもまとめて木型で!
出征兵士には、できれば無事に帰ってもらいたい、と口には出せない時代。慰問文も最後は「さようなら」で締めくくるし、出征時のあいさつでも「行ってまいります」としか言えなかった時代。せめてもの無事を祈るのがお守りでした。当然戦時下となれば需要も増大しますので、神社も対応するため工夫をすることになります。表題写真と下写真は、お札「御嶽神社出征軍人玉除祈祷守護」の印刷用木型です。
御嶽神社といえば、長野県の御嶽山に死者の霊が帰るという宗教の中心です。いくつもの御嶽講というグループがあり、現代でも普段は職業を普通にこなしつつ修行を重ねる「行者」がいて、御嶽山に集まっては「霊神」となったご先祖の口寄せをする「御座(ござ)」という行事を現在も守り続けています。そんな各地の御嶽講の信者や、御嶽山のある木曽地方の人たちが頼りにしていたので、需要も高かったと思われます。
こうした木型が使われた時期は分かりませんが、明治新政府以来の対外政策は戦争続きで、特に送り出す側の不安を少しでも抑えるためにも、こうしたお守りを兵士に渡す、神棚に掲げるといった複合的な支えが必要なのでしょう。軍隊を支えるためには、戦場という危険な場所に身内を赴かせる、おもむくための、有形無形のさまざまなモノを頼りにしたことを示しているように思えます。
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こちらは、同時に仕入れた木型で「御嶽神社蚕安全正嫁成就祈祷璽」とあります。おそらく、養蚕関連の繁栄に加え、結婚か農産物の増産の関連を同時にお願いするお札用でしょう。わざわざ「蚕」安全と入れてあるのが、養蚕県として知られた長野県らしい文言です。
この木型は、中央部の祈願内容の部分を外して裏返せるようになっていて、そちらは「家内安全当病平癒」とあり、安全と病気の両方に効くというものも印刷できました。少しでも安価に販売する配慮でしょうか。
上の写真では見切れていますが、上の方には稲荷神社と彫ってあり、墨を塗っていない未使用品だったようで、御嶽神社の木型製作依頼に未使用の材料を転用したと考えられます。文字を彫る職人が、さまざまな神社の依頼を受けて作っていた当時の雰囲気が分かります。
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特に農業は生糸相場や天候に左右される仕事ですので、自力ではどうにもならない部分は神頼みをするのが当たり前だったでしょう。病気も同じで、現在でも精神的な支えとして頼りにされるのは同じです。農村から多くの若者が担った「出征軍人」に対しても、帰ってきてほしいとの神頼みは、なお強い思いがあったはず。お守りを量産できる木型の存在は、人々のそんな思いを伝える証ではないでしょうか。
戦争をする、ということは、それだけ多くの人を不安にさせること。為政者が忘れてはいけないことです。だからこそ、戦闘を回避することが一番の使命だと思うのです。
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