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教師を養成する教師が戦争で自作の副教材まで作ってしまうー戦争による挙国一致の恐ろしさを感じます
長野県松本市にあった「長野県松本女子師範学校」の教員であろう、関芳枝さんが、太平洋戦争下で日米がソロモン方面でしのぎを削っていた1942(昭和17)年11月、「聖戦歌遊戯解説」と題した本文15ページの副教材を作っています。
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師範学校といえば、国民学校などの教師を育成する学校です。ここで受けた教えが、現場の国民学校などに反映するのですから、大切な教育の場です。関さんは、序文で次のように説いています。
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「大東亜戦争勃発以来、国民等しく是の貫徹に必死の驀進(ばくしん)を続行致して居ります。不肖私も其の意味で力の限り御奉公させて頂く覚悟で居ります。此の貫徹如何が直ちに時局の響となって、前線、又は警備に活躍される勇士の方々へ、又は銃後の充実しつつある生活分野に影響されて参ります」と、肩を怒らせている雰囲気が漂います。
そして「士気高揚に力ある歌詞歌曲を味わう時、之を更に身体表現に移し、其の精神を強調すると共に、身体的に相当刺激を与える点に役立たせたい」との意図で作ったとしています。
では、どんな雰囲気のものか、ちょっと見てみましょう。まず「太平洋行進曲」です。
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左右の動作、片足跳び、両手をつないで足先をとがらせて左回り1回、などなど。こればかりは、やってみなければ分からない。まあ、身体の教育と兼ねているというし、けっこう動きは多いように思えます。以下、各ページをご覧ください。
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このほか「日の出の進軍」があり、合わせて5曲分です。選曲としては、戦時に直接かかわるものに加え、これからを支える青年らしい歌も含めています。が、狙いは士気高揚にあり。
戦争とは、冷静であるべき教師も興奮状態にさせて、いかに戦争に協力できるかを考えさせてしまうもの。しかも、市販の教材に飽き足らず、自ら考案するほどの労力をかけさせる。これは、一度始まれば止まらないのが戦争というのも、よく理解できます。
長野県の教員養成の学校で、こんな指導が行われていた歴史。それを推進させるような学校の雰囲気であり、社会の雰囲気であり、国の方針であったこと、忘れてはいけないでしょう。
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