増産狙って「報国手帳」乱発するも、効果は不明
泥沼の日中戦争から太平洋戦争に突入、既に日中戦争中の1940(昭和15)年ころから特に民需のあらゆる物資が不足していた日本では、その打開のための仏印進駐がかえって米国の反発を招いて、金属類回収令も出る中、太平洋戦争に突入しました。南方資源を確保しても、運ぶ船が次々とやられ、物資不足は更新する一方。そこで、最後は国に報じる底力を使えとばかり、増産のための「報国手帳」が乱発されました。
表題写真は左から薪炭、木材、漁業の各報国手帳です。
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そのなかでも、1943(昭和18)年に発行が始まった「木材生産報国手帳」の裏には、これでもかと標語が並んでいます。
この木材生産報国手帳。名称は仰々しいですが、使い方は単純。木材生産に従事した日数を記入すると、それに応じて生活必需物資を特配してもらえるという、まるでスタンプ帳のようなものです。
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長野県発行の漁業増産報国手帳も、漁獲高、漁具、えさの配給の記録簿になっています。まあ、漁業者への配給物資手帳ですが、ほとんど記入なく、配給割当(有料)できる物資が確保できなければ、手帳だけつくっても使われることも増産されることもないという道理の通りです。
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薪炭生産報国手帳は、生産量に応じての特配だった様子。所蔵している手帳には、こんな新聞の切り抜きが貼ってありました。
前年に比べて増産すると報奨金が出る、という報奨制度の導入を伝えています。やはり、政府も増産意欲を高めるには、「報国」の掛け声や道具の配給だけではだめと判断したようです。現場でも盛り上がって貼り付けたようですが、よく見ると階段的に交付とか、すっきりしない。そして手帳を見る限り、特別に増産した形跡はありませんでした。
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モノが減ると、こうした対策がとられるのは分からないでもありません。母子健康手帳の元祖となった妊産婦手帳は、赤ちゃんや妊婦への配給割当(有料中心)に役立ちましたから。しかし、木材や薪炭は木がないと増産できないし、漁業も内水面ではそうそう増えるものではない。そういう現場の本質を見ない、形だけの増産を、この手帳たちが示しています。ちなみに、1945(昭和20)年ともなると、農業増産に不可欠な農具すら、新たに入手するのは困難になっていました。国力の限界を国が知らないのでしょうか。