正月の定番の遊び「双六」にも、戦争や戦時体制の宣伝を堂々と取り込み
2024年正月は、能登半島を中心とする地震で幕開けとなりました。みなさま、どうかお体の安全を大切に。(当方の長野市も震度5弱でした)
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正月の定番の遊びといえば、戦前も双六が人気で、雑誌社などがその時代を背景とした話題に上るような作品を作っていました。
小学館では日中戦争さなかの1939(昭和14)年1月、「幼稚園・正月号付録」として「動物ノ兵隊サン双六」を用意しました。
振り出しにある、出征する軍用犬の姿は、実際に戦地に出向いた犬たちを連想させます。また、戦地へ出征するおなじみの光景が、子どもたちの脳裏には重なったことでしょう。
上がりは動物で一番強いとされるライオンとなっています。
この双六を手にしたのが幼稚園の年長児とすると、日中戦争が泥沼になって終わりが見えなくなっていた1941(昭和16)年の正月、同じ小学館は「コクミン二年生・正月号付録」として「兵隊さん双六」を発行しています。今度は動物から少年の雰囲気のある兵隊たちの絵に。もちろん、年齢に合わせた変化ではありますが、兵器は一層リアルに描かれ、より戦争を身近に感じられるようになっています。こんな連続が、送る側から送られる側へと子供たちを誘導していく役割の一端を担ったというのは過言ではないでしょう。
こうした双六は、子ども向けだけではありませんでした。1940(昭和15)年10月12日に発足した「大政翼賛会」の指導の下、長谷川町子ら、当時の漫画家による「新日本漫画家協会」が企画・製作し、陸軍美術協会印刷部で印刷した「翼賛双六」を、1940年12月28日に漫画社から発行しています。
振り出しのところには、大政翼賛会宣伝用のフリー素材「大和一家」を並べ「翼賛第一歩」と、とにかく翼賛、翼賛です。政府や軍に従え、従えという言葉を「翼賛」に置き換えているだけですが。
ところでこの双六、肉屋のおやじは愛想のよさそうな笑顔なのに、菓子店員は非常にそっけない表情で、不自然です。子どもに菓子を買うのは贅沢と教えるため、指導を受けて修正した可能性もありではと感じます。
一方、双六を作るには作ったが、では大政翼賛会とは何を目標に誰がどんな役割を担うのか、実はよくわからないまま、なんとなく政府や軍による上意下達組織となっていきます。そんな組織のあやふやさからか、上がりの表現も富士山と日の丸の旗が林立する町に「万歳」とあるだけの、意味不明な内容となっています。
さらに、実際にこの「翼賛双六」を競技すると、外周から内周に入るためには特定の地点に留まらねばならないため、かなり長時間を要します。双六としても、中途半端な出来といえるでしょう。戦時下に指導を受けながら作った双六は、かえって作家の創作性を曲げてしまったように思えました。
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ご参考までに、翼賛双六と動物ノ兵隊サン双六は、いずれもプロに裏打ちを依頼し、展示できるまでにしました。資料収集だけでなく、そんな地道な作業も自腹で頑張っています。次世代にしっかり伝えたいですから。