大本営発表と米軍の発表ーミッドウェー海戦に見る
表題写真と以下一連の新聞写真は、いずれも1942(昭和17)年6月11日の読売新聞朝刊です。一見して、何の発表か。アリューシャン列島に上陸か、と思うところですが、実はミッドウェー海戦の大本営発表を受けた紙面です。日本海軍が主力空母4隻と搭載機全部、さらに重巡洋艦1隻も失ったのに対し、米軍は空母1隻、駆逐艦1隻を失っただけで、米軍が日本の攻勢を初めて阻止し、太平洋戦争の転換点とした海戦として有名です。
しかし、紙面からはそんな雰囲気がうかがえず、主作戦のミッドウェー島攻略より、並行して行っていた北方のアリューシャン列島に対する作戦を大きく取り上げています。そして、ミッドウェー海戦の大本営発表は、敵空母2隻撃沈、日本側は空母1隻沈没、1隻大破、巡洋艦1隻大破としています。2隻撃沈という戦果発表は、米軍のダメージコントロールが優秀で損傷艦をすぐ修理していたため、当時の戦場の判断としてはやむを得ない点があったものの、日本側の損害については、当初空母2隻沈没1隻大破1隻小破という案が出たものの作戦部の強硬な反対を受け、先に述べた内容に。
その発表内容から、「肉を斬らせ(1隻沈没させて)骨を切る(2隻撃沈する)海軍魂」という見出しもうかんだのでしょう。これ以後、海軍の大本営発表の被害隠蔽は極端となります。
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これに対して、米軍側のミッドウェー海戦の発表はどんなものだったか。海戦がほぼ終了した1942年6月7日、太平洋艦隊司令部は「重大な勝利は将に達成されようとしている。しかし戦闘はなお終結には至らない。敵に与えた損害は航空母艦2隻ないし3隻を搭載飛行機全部と共に撃沈破した外、他の1隻ないし2隻の航空母艦を大破したものと認めている」と発表。そして6月8日、キング作戦部長声明は「敵艦隊は相当な痛撃を蒙ったけれども、すでに敗退し去ったとは言えない。彼らはただ『引き下がった』のである」とだけしました。米軍はここでは損害についてふれていませんが、作戦に影響がないような、適当な時期にほぼ事実を発表しています。
「アメリカ側が真珠湾の痛手とミッドウェーの勝利のいずれも、戦争指導の手段として、最も効果的に活用しているのに対して、真珠湾の成功では慢心油断と助長し、ミッドウェーの敗戦では糊塗するばかりで、真相を告げて奮起を促すことをしなかった日本の指導者達は、その後も何等国民を納得させるに足る措置を講じなかった」(大本営発表の真相史)「真実を国民の士気に影響するから発表しないという考え方や作為的に損害を隠蔽して発表するやり方は、国民の士気に実害があることを知らねばならない」(同)。以上の指摘は、現在でももちろん同様です。
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このような指摘は、実は戦時中にもありました。海軍が空母9隻を集中してサイパン攻撃中の米海軍機動部隊に対して行った1944年6月のマリアナ沖海戦では、空母の損害について3隻を失ったところ、1隻を失ったとするのみでした。
発表文案は事前に陸軍側に通告されましたが、「富永陸軍次官はすぐ『同意しがたい』と述べた」「またミッドウェーの時と同じように、こちらの損害を恐ろしく過少に書いてある。アメリカの短波放送は、すぐ広がっていく。(略)海軍もつらいところはあろうが、なぜ真実をそのまま発表しようとしないのだろうか。こんなことでは到底世論の指導はできない」(同)と反対の声が出ました。しかし、東条総長が今回は共同作戦ではないから、こちらから主張もできないとし「海軍はミッドウェー以来の連敗で気の毒だ。海軍の責任で発表することだから、言う通りにしておいたらどうだ」(同)とし、「世論の指導上、真相の発表を切望する」と付箋を付けて戻しましたが、発表は案文通りとなりました。
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こうした発表の糊塗は海軍だけではありません。陸軍もインパール作戦について、最初は華々しく発表したものの、最後は「コヒマ及インパール平地周辺に於いて作戦中なりし我が部隊は八月上旬印緬(ビルマ)国境線付近に戦線を整理し次期作戦準備中なり」としただけで、インパール攻略失敗も大損害の発表もせずじまいでした。フィリピンの戦いも、敵を撃退し続けているのになぜか戦線が後退していく発表続きでした。
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戦国時代の物見(偵察部隊)にも、求められたのは大局観でした。まずは敵が進もうとしているのか退こうとしているのかという重要な点をとらえ、次いでその規模なり細部を調べて報告するのが大切だったと言います。米軍のミッドウェー作戦の発表は、この大局観に沿ったものでした。一方の日本軍のそれは、局地的な戦果報道に明け暮れ、どんな戦争指導をしているのかが国民には伝わって来なかったのが実情です。幸い、お上に従っていくという国民性に助けられたのでしょうが、逆に、勝利を言い続けて国民に対し引っ込みがつかなくなって国土が焦土になっても止められなかったのでしょう。