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「教師はどのように授業中の発言機会を分配しているのか」に着目し、その権力性を検討した論文(石野,2020)

この論文では、教師の権力は、教師と生徒が共通の目的を達成するための規範によって秩序立てられた「正当的権威(Weber,1947)」だと予想する。その反対は、罰や恐怖で構築される「強制力」である。

そこで、授業中の発言機会の分配が、教師の強制によるものか、児童の了解に基づく正当的権威かを、複数の授業事例の発話分析によって検討している。

例えば、ある事例では、全員が起立し正解をしたら着席するというルールで授業が進行していた。これにより、発言が少ないと考えられる授業でも(この場合ALTの英語の授業)、積極的な発言が期待される。

しかし、最後まで立っていた子が何度質問されても沈黙してしまい、答えられない状況が発生した。そこで教師は「okay」といって座らせ、先に進んだケースがあった。この場面は、皆の了解に基づく規範を教師が破った事を意味し、一種の特別扱いが生じてしまった。
これに対して教師は、その後の全体で教科書を読む場面で、もう一度その子が答えられるように質問を行うのである。 つまり、特別扱いによって自ら破ってしまった秩序を、もう一度発言機会を分配することで回復しようと試みていたのである。(そこでやっとその子は答えられた)

このように、教師の権力性は必ずしも頑健なものではなく、むしろその正当的権威を維持するよう、教師は不断の実践に努めていると考えられる。 さらに、そのような正当的権威の維持には、安易なルールの適用ではなく、子どもとの交渉に応じ続ける専門的な技術が必要だと示唆される。

いろんな考察ができそうな、とても読み応えのある論文です。

論文情報
石野未架. (2020). 教室のなかの教師の 「権力性」 再考――IRE 連鎖における正当的権威の維持――. 教育社会学研究, 107, 69-88.

リンク
https://jstage.jst.go.jp/article/eds/107/0/107_69/_article/-char/ja/

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