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62/1,000冊目 『新NISAという名の洗脳』 森永 卓郎(著)

『新NISAという名の洗脳』 森永 卓郎(著)


概要

膵臓がんでステージ4、余命数ヶ月と宣告された森永卓郎氏が書いた暴露系。


感想

読みながら、養老孟司氏のこんな言葉を思い出しました。

「誰かが感情的な批判をするときは、そのどこかに嘘がある。そんなふうに私は考えるようにしています」

データの扱い方がかなりミスリーディングだったり、推測ばかりで進む話には、居心地の悪さを感じました。是々非々ではなく、とても感情的な筆致であり、データの正確性に対しも不誠実でしたが、知らなかったことも多く、調べる切り口を得ることはできました。

しかし間違った情報は何度も接しているといつの間にか信じてしまう「真理の錯誤効果」(Illusotry Truth Effect)があるので、切り口を得たらすぐに距離をおきたい。

読後、この本を買うわたしの投資リテラシーの低さを実感しました。好きではないが読んで良かったと思っています。


著者:森永 卓郎

森永 卓郎(もりなが たくろう、1957年7月12日 - )は、日本の経済アナリスト、エコノミスト、タレント、獨協大学経済学部教授。専門は、マクロ経済・計量経済・労働経済・教育計画、オタク文化論など。愛称・通称は「モリタク」。

来歴

東京都目黒区出身。父親は、毎日新聞の記者。祖父は佐賀県嬉野町長を務めた森永文二。父のアメリカ合衆国留学と異動に伴い、小学1年時はボストン、4年時はウィーン、5年時はジュネーヴに赴任のため海外で過ごしていたそうです(*1)。

帰国後、中学生以後は新宿区高田馬場に転居。1970年3月、目黒区立鷹番小学校、1973年3月 新宿区立落合中学校、1976年3月、東京都立戸山高等学校卒業。

1976年4月、東京大学教養学部理科二類入学、1980年3月、東京大学経済学部経済学科卒業後の同年4月 日本専売公社(現在の日本たばこ産業株式会社(JT))に入社。半年の研修終了後、管理調整本部主計課資金係 に配属。

1982年、日本経済研究センター総合計画局へ出向し、予測研究員として従事。1983年、同公社に復帰し、渋谷営業所に配属。

1984年、経済企画庁に出向し、労働力及び人的能力担当計画官付委嘱調査員。森永はバブル時代の収入が少なかったと自身で回顧しており、この頃から雑誌への寄稿を開始。

1986年、JTに帰任し、製造本部製造企画課に配属。同年に三井情報開発総合研究所へ出向。1988年1月末付でJTを退職し、同年2月、三井情報開発株式会社総合研究所に移籍し、副主任研究員。1991年、株式会社三和総合研究所に移籍、研究開発部副主任研究員、1992年、研究開発部主任研究員、1993年、研究開発第3部(経済・産業・社会政策)主任研究員に昇進。1997年から2000年まで、経済・社会政策室 室長兼主任研究員、同年、経済・社会政策部 部長兼主席研究員に異動。2002年、三和総研が東海総研と合併してUFJ総合研究所となり、同社経済・社会政策部 部長兼主席研究員。

1990年代後半頃から、『アクセスNOW』(テレビ神奈川)等の放送メディアにも出演し始めた際、「三和総研」の肩書きで放送メディアに出演する事に対して、同社が難色を示したため、当時の番組のディレクターが「経済アナリスト」という肩書きを提案し、2020年4月時点でも使用しています。その後、『ニュースステーション』の番組制作を担当していた芸能プロダクションであるオフィス・トゥー・ワンに所属。なお、放送メディアに出演し初めた40歳当時の髪型はリーゼントでした。

再び所属会社が合併し、2005年に三菱UFJリサーチ&コンサルティングとなってから、同社からメディア取材時の稟議書提出を求められ、取材が1日10本ペースだったため、稟議をあげる手間に嫌気が差し、2004年から、父の京一が毎日新聞社退職後にかつて教鞭を取っていた獨協大学の特任教授に就任し、その後、特任で契約していた同大学との教員契約を優先し、2006年4月に経済学部教授に就任。ただし、この時期も並行して2005年4月から同社客員研究員を2007年3月まで担当していました。以後、大学教授の肩書きでタレント活動を行っています。


参照

*1


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