50/1,000冊目 阿刀田 高 (著) 『やさしいダンテ<神曲>』

阿刀田 高 (著) 『やさしいダンテ<神曲>』


概要

腐った役人、裏切り者のお金持ち、嘘つきの宗教者。みんなそろって地獄堕ち。迷える中年ダンテ。詩人ウェルギリウスの案内で地獄を巡り、考えた。死んだらどうなるの? 地獄に堕ちるのはどんな人? 地獄の底には誰がいる? 暴食、吝嗇、浪費、自殺、賭博、偽善、追従、魔術、エトセトラ。キリスト教は悪をどう捉えるか? ダ・ヴィンチもミケランジェロも読んで学んだヨーロッパの大著を、やさしくユーモラスに読み解く。
(Amazon.co.jpより)

感想

もとを読むよりずっと楽。


阿刀田 高

阿刀田高氏
画像出典:話の肖像画

名前:阿刀田 高(あとうだ たかし)
誕生:1935年1月13日(2024年現在89歳)
概要:
日本の小説家。1993年から1997年まで日本推理作家協会会長、2007年から2011年まで日本ペンクラブ会長を務めた。文化功労者。山梨県立図書館名誉館長。

国会図書館司書を経て、『冷蔵庫より愛をこめて』(1978年)で作家に。『ナポレオン狂』(1979年)で直木賞を受賞。ブラックユーモアやミステリーを盛り込んだ短編の名手。ほかに『佐保姫伝説』(2009年)、『闇彦』(2010年)など。

経歴

東京生まれ。一人の兄と三人の姉の下で双子の兄として生まれるが、弟は1歳になる前に早世。両親は共に宮城県仙台市の出身。父方の伯父の阿刀田令造は西洋史学者で第二高等学校第9代校長を務め、名校長と謳われた。令造の父の阿刀田義潮(よしとも)は宮城県名取郡下増田村(後の名取町・現:名取市)の初代村長だった。遠縁には岸信介佐藤栄作兄弟の実兄である佐藤市郎がいる。

本籍は東京・西荻窪。戦時中は父が経営していた鋳物工場があった長岡市に疎開するが、その地で長岡空襲に遭う。戦後も中学校(長岡市立南中学校)卒業まで同地で過ごす。高校進学を期に上京し東京都立西高等学校に入学する。高校2年生の秋に、父を脳溢血で亡くし、貧しい母子家庭で苦労して育つ。少年時代から科学が好きで、海軍技師、医師、薬剤師と変化しつつも理系の職業を志望しており、エンジニアであった父も理系への進学を強く望んでいたが、高校在学中にフランス文学に興味を持つ。父の死により進路に迷いが生じ、大学入試では文系と理系両方の学部を受験するも、合格したのは文系だけであった。

1954年(19歳)
早稲田大学第一文学部文学科仏文学専修に進学する。早稲田大学に入学した当時は新聞記者を志望し、もっぱら奨学金と家庭教師のアルバイトで自活していた。

1955年(20歳)
結核を病んで休学し、16か月間の療養生活を送る。
このため志望変更を余儀なくされ、1960年(25歳)に大学を卒業した後、文部省図書館職員養成所に入所する。1961年(26歳)から国立国会図書館に司書として勤務する。

このころ、恩師が出版した日本語関係の小冊子に、古今東西の殺し文句に関する随筆を発表したところ、思いがけず『朝日新聞』の文化欄に取り上げられて喜ぶ。

1964年9月(29歳)
池田書店からの依頼で『ころし文句』(長崎寛との共著)を上梓する。引き続き、池田書店から『笑いのころし文句』『ユーモア一日一言』などの随筆集を刊行する。

1969年(34歳)
著書『ブラックユーモア入門』(KKベストセラーズ)がベストセラーとなったことに勇気を得て、1972年(37歳)に退職し、筆一本の生活に入る。コント、翻訳、広告文案などを手がける。

1978年(43歳)
短編集『冷蔵庫より愛をこめて』が直木賞候補となる。

1979年(44歳)
短編『来訪者』で第32回日本推理作家協会賞を受賞、また短編集『ナポレオン狂』で第81回直木賞を受賞する。

1993年(58歳)から1997年(62歳)にかけて日本推理作家協会理事長を務める。

1995年(60歳)
『新トロイア物語』で第29回吉川英治文学賞を受賞する。

1995年7月(60歳)から2014年1月(79歳)まで、直木賞の選考員を務めた。

2003年(68歳)
紫綬褒章を受章。

2005年(70歳)から2007年★まで文部科学省設置の文化審議会会長を務める[1]。

2007年から2011年まで日本ペンクラブ会長を務める[3]。

2009年に旭日中綬章を受章する[1]。

2012年4月には山梨県立図書館の館長に就任した[4]。2018年4月からは金田一秀穂が新館長となり、阿刀田は名誉館長となることが発表された[5]。

2018年に文化功労者に選出された[6]。

現在(2023年時点)は、新田次郎文学賞、小説すばる新人賞の選考委員を務めている[2]。


参照




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