観光か福祉か。“子どもの遊び場“から“森の秘密基地“まで、少子化が進む観光の街で老舗旅館がやったこと:建築家・藤原徹平さん × 旅館「扇芳閣」5代目
伊勢志摩の鳥羽にある旅館・扇芳館(せんぽうかく)。
2020年4月、5代目の社長を継承した、せんとくん(谷口優太)は、旅館のリブランディングに合わせて、リニューアルを進めました。
世界中で人々の動きが止まり、観光業界も厳しい時期に直面したコロナ禍。扇芳閣のリニューアルは、当初の予想に反して、スピードもスケールも想像以上に大きく、いち早く進みました。
2022年秋、多世代の家族旅行を楽しめる「スイートルーム」第一弾が完成。
インナーバルコニーから海を感じられるダイニングも!
2023年春には、子どもも楽しく過ごせる1階のライブラリー&プレイコーナーが誕生。
夏には、コーヒーヒースタンド&お菓子づくり工房「ヒノヤマラボ」が完成しました。
夏の終わりには、ついに裏山に大きな秘密基地のような遊び場、プレイネストも出現しました。
1950年創業の旅館に、わくわくする空間が生まれ、新しい風が吹いています。
リニューアルに伴走してくださっているのは、フジワラテッペイアーキテクツラボ(FUJIWALABO)主宰の建築家・藤原徹平さん。
せんとくんの大学時代からの友人である、フジワラテッペイアーキテクツラボのランドスケープデザイナー稲田玲奈さんの縁でふたりは出会いました。
高度経済成長期に、社員旅行や修学旅行とともに成長した老舗旅館を次世代につなぐリニューアル。
今回のnoteで、藤原さんとせんとくん、稲田さんが語り合いました。
前編「『新しいかぞく旅行』とは? “3部屋をひとつ”にしたら、多世代が一緒に過ごせる宿になった」に続いて、後編ではプレイスペースや、山の入口に誕生した「ヒノヤマラボ」、山の中に誕生したプレイネストの誕生秘話を語ります。
旅館経営者と建築家、そしてランドスケープデザイナーとの強いパートナーシップによって進められた地方旅館のリニューアルは、地域の課題解決や熱意あるプレイヤーの挑戦の場づくりでもありました。
鳥羽の旅館にプレイスペースとライブラリーがある意義
——前編では、全体構想をふまえ、最初にリニューアルしたスイートルームやダイニングを中心にお話を聞きました。2023年夏にはコーヒースタンド&お菓子づくり工房「ヒノヤマラボ」、9月には「森のツリーハウス」が完成しています。それに先がけて2023年春に、1階に子どものプレイスペースとライブラリーを作ったのはなぜでしょうか?
せんと:整備の順番は、時代の要請によるものが大きいと思っています。
藤原:実は、当初僕はこういう順番になると思ってなかったんです。
ファミリースイートルームとダイニングがある程度できたときに、谷口さんから「(1階に)次に子どもの遊び場やライブラリー、託児機能的なものを作りたい」と言われて。
藤原:へーっと思って理由を聞いたら、子どもの受け入れ——いわゆる保育の場が鳥羽には足りてないと。
谷口さん自身も子育て中だから、子どもを預けられるところがあるといいなって気持ちもあると思うんだけど、扇芳閣が、観光と福祉の両面において時代の要請に応える場所に変わっていけたらという話を聞いたんです。
なるほど、旅館が地域の福祉事業者のような役割を担っていくのは、すごく面白いなと思いました。
それでようやく、最初に依頼があった「森のアスレチックとかツリーハウスを作りたい」と言ってた話が、僕の中で本当に腑に落ちてきたんです。
藤原:旅行に来た子どもたちのための遊具はピンときてなかったんですけど、保育の場になって、その子たちも使える遊び場になるなあと思った瞬間に、それはいいなと。
もう街の一部だなと。鳥羽の子どもたちにとっては、裏山の秘密基地。最高。みんな「今日もあそこに遊びに行きたい」って言うだろうなと想像しました。
——地域に開かれた旅館になりますね。
藤原:これは、鳥羽で生活するなかで、谷口さんがいろんな人に話したときの反応も影響しているのかなと、僕は勝手に思っていたんですけど。
せんと:たしかに、普通の旅館やホテルだったら順番は違う気がします(笑)。
やっぱり街に行くと少子化がすごく進んでいて。鳥羽市の人口は約1万7000人で2万人を切っているんです。保育士も、鳥羽市じゃなくて隣の伊勢市とか志摩市で働くんです。伊勢市は約8万人、志摩市も約5万人で、どうしても大きい街の方が仕事があるから。
だから他の自治体よりも保育園が減っていくペースが早いんですね。鳥羽市の日中の一時保育の定員は3人。市の中心部で3人ってちょっと考えられない数じゃないですか。
それによって働けないお母さんがいたり、誰にも会えずにずっと子どもを見ていないといけなかったり......。
そういうのを聞くと、ビジネスチャンスでもあるかもしれないんですけど、単に観光業の文脈や旅館業にとどまらないというか、自然と地域の課題を解決するようになっていく。
藤原:地域社会そのものはこれからどんどんシュリンク(縮小)していくんだけど、旅館が魅力的になっていくと、旅館には集まる人が増えてくる。
そうなると、むしろ旅館が地域社会の一部になっていく方が、地域にとっては面白くなる。
せんと:実は、プレイスペースに鳥羽市の予算がついたんですよ。
一同:えー!
せんと:こども食堂の取り組みで、貧困や不登校など世帯支援の取り組みを一部受け入れたんです。お昼のお弁当を市役所で配っても取りに来る人は少ない。子どもを連れて行くのもハードルが高いし、そこで何か聞かれたら嫌だし、みたいな。
うちでは、プレイスペースの横で食事を配布して「プレイスペースで遊んで帰ってください」と。ライブラリーで本を読んでもらってもいいですし。遊び場も一緒に提供したら、2022年は鳥羽市で10回ほど実施して、その中の1回をうちでやったんですけど、一番チケットがなくなるのが早かったみたいですね。2日立たずに50人分の申し込みが埋まりました。
そしたら、来年は予算が5倍になって「5回やってください」と。観光庁ではなくて厚労省の予算がついたんですよ。
鳥羽市の不登校や引きこもりの子どもたちをが出てきやすくなるなら、市民の方に使いやすい場所として発信していくのもいいなと思います。
——観光のための旅館ですけど、子育て支援の場にもなる。人口の少ない街にとっては、地元の旅館のあり方としてひとつのモデルになりますね。
せんと:今は保育資格を持つ経験者を雇用して一時保育もやっていて、夕食の裏側で子どもを預かったりしています。チェックインした後、午後3時以降から午後7、8時までの最大4時間ですね。
稲田:どれくらいの方が利用されているんですか?
せんと:夏休みは多かったですね。家族連れも多くいらっしゃったので。
藤原:以前ある自治体の案件で子どもを連れて出張に行ったときに、ホテルに託児のサービスがあったから預かってもらったんですが、かなり狭いところで一日過ごして、子どもにずいぶん嫌な思いをさせてしまったんですよ。ここだとワイワイ楽しめるから、相当いいですね。
せんと:この間は「発達障害の子どもがいるんですが、その子も預かってもらえますか?」と相談されて、「まだ始めたばかりの段階なので、正直(障害の)度合いによります」と。
結果的に、上の子はお預かりして、発達障害がある下の子は受け入れできなかったんです。「1人預かってもらうだけでも全然違いました。ありがとうございます」と言っていただいたんですけど、ユニークなお子さんがいる方も受け入れていきたいなと。
藤原:福祉や保育の経験がある人がいてくれると、受けられますもんね。
せんと:かつては父も客室にバリアフリールームを作りました。福祉は厚労省で、観光は観光庁で、縦割りなので間に落ちちゃう分野なんですけど、そういうところを拾っていくのは父がやろうとしていたことですね。
藤原:「町の一部になったらいいんじゃないか」という話をしていたんだけど、こんなふうに福祉が育っていくとは思わなくて意外な喜びでしたね。
せんと:意外でしたか?
藤原:地方都市って活発なアクターを増やすのが一番大事なんです。活動的になってる人をどうやって他の都市から連れてくるかが勝負なんですけど、扇芳閣の地域でカフェや本屋をやりたい人たちが、名古屋辺りから移住してくれるんじゃないかと予想してました。
だから「チャレンジショップはどうですか?」「パン屋をやったらいいんじゃないか?」とずっと言ってたんです。小商という展開を予想していたんですね。
なので、福祉は意外でしたけど、話を聞いてすぐになるほどなと。福祉が育ってくると、いよいよパン屋に説得力が出てくる(笑)。誰か旅館で地域のパン屋をやりたい人いないかな。 問い合わせないですかね?
——小さい街だから社会課題も見えやすいですね。パートナーの美里さんの存在も大きいですか?
せんと:妻がずっと発達障害の子どもを見ているんです。いわゆる言葉が出てこなかったり、癇癪を起こしてしまったりする子たちのソーシャルスキルを育てる仕事をしていて、今も伊勢でやっているので、その影響は大きく受けていますね。
藤原:落ち着く部屋とか、工夫できますね。
せんと:サイレントルームみたいな空間もあったらいいですね。
山と旅館をつなぐ新しい拠点「ヒノヤマラボ」
——夏には扇芳閣の入口、山の玄関にコーヒーヒースタンド&お菓子づくりの工房「ヒノヤマラボ」が誕生しました。ヒノヤマラボのオーナー遠藤さんは、せんとくんが声をかけたんですか?
せんと:僕が声をかけました。新しいチャレンジをする人を増やそうみたいな文脈もありつつ、山につながる入口を増やそうというのもありつつ。
遠藤さんは、実は移住者で大阪から来られた方ですけど、鳥羽でもういくつかコーヒーショップされているんです。フードは仕入れたものを販売していたけど、新しいチャレンジとして、パティスリーというかお菓子を作る工房を持ちたいと思っていたみたいで。
藤原:偶然会ったんですか?
せんと:山によく散歩に来ていたんです。犬の散歩で、(山の上の)めだかの学校まで。山をいいと思ってくれていたみたいで。
藤原:素晴らしい。散歩の目的地がヒノヤマだったんだ。
せんと:直接のつながりはなかったんですよ。鳥羽商工会議所の方がつないでくれて。お互いに鳥羽商工会議所のメンバーだったので、「何かやりたい人、誰かいますかね?」という話をしたら、「パンじゃないけどお菓子を作りたい方がいらっしゃいますよ」と。
「ヒノヤマラボ」に腕のいいチーフの方が入られて、お菓子やパンだけじゃなくてローストビーフも焼いたりして、いろいろ作られてますね。
藤原:遠藤さんが来ることが決まって、ここにヒノヤマラボを作ろうとなったときに、もう一度プールに目がいったんです。
藤原:プールは夏の重要なアイテムだけど、1年通じて、このエリアがもう少し魅力的になるといいなと。最初に手前に「アスレチックを作りたい」と谷口さんが考えたときは、おそらくそこを狙ってたと思うんですけど。
もちろんそれはわかった上で、あえて僕は(全体構想で)森を提案してるんだけど、プールの辺りは、旅館の楽しさを伝えていく上ではすごく大事な空間になる。
本館とカフェとの関係性もとても大事で、ヒノヤマラボの方はあえてトイレは本館の従業員トイレを使う設定になっているんですよ。
ヒノヤマラボの工事費をできるだけ小さくしたいというのもあるけど、でも本館とラボの間をウロウロする人を増やすことで流れができる。お客さまも含めて、あくまで扇芳閣があっての菓子製造・カフェ機能にしたいし、そうすることであまり使われてなかった本館の地下トイレの利用率も上がる。
こうしてヒノヤマラボができて、2店舗目、3店舗目のチャレンジもしやすくなったと思います。ヒノヤマラボのファンやコミュニティができてくれば、そこから旅館が活性化することも十分ありうるし、カフェがあるからプールサイドでパーティーをやったりすることも可能になる。
稲田:扇芳閣から、ヒノヤマラボに寄る方はいますか?
せんと:この夏は、プールの横を通ってすごく行ってましたね。プールで泳いだときに寄られたりしてました。
——プールは、宿泊しない人でも使えるんですか?
せんと:まだ移行期なので、基本は宿泊のお客さまのみに使っていただいてますけど、問い合わせあればどうぞという感じです。
日帰り入浴は、旅館とは別免許なことも関係もあるんですけど、僕が帰ってくるまでは「宿泊」に閉じてビジネスを考えていたので。人が足りなかったとか、余裕がなかったのもあると思うんですけど、そういうところも含めてどう活用していくか考えていきたいですね。
藤原:感覚的には、旅館の「中」をマネジメントする支配人と、むしろ旅館の「外」というのかな、旅館や街を活性化していく支配人と、マネジメントが今後ふたつが必要になるような気がします。
街の人にプールやカフェを使ってもらって、(宿泊の)予約が入っていなくてもちゃんと回っていく小さな循環経済を考えて、ガシガシ関係性を作っていく人がひとりいるといいですね。
せんと:旅館にとっては昼間は課題でしかない。午前10時から午後3時の間は、掃除はしてるんですけど、どうしても中抜けの働き方になってしまうので、お子さんのいない女性、もしくは子育てした後の女性しか働けない労働形態になっていたりするんです。
藤原:むしろ、子どもを連れてきて、子育てしながら働けるみたいな。
せんと:そうです、そうです。
藤原:そうすると、町の中の優秀な人たちが集まってきて、それがコミュニティになってくれて、勝手に人を連れてきてくれれば一石二鳥ですね。
時代とともに「旅館のかたち」は変わり続ける
——扇芳閣に、一歩一歩着実に新しいシーンや体験が生まれています。全体構想をふまえて、毎年ちょっとずつ変わっていく。一気に変えるのではなくて、ゆるやかに進む老舗旅館のリニューアルは新鮮です。
せんと:昔は旅館が2人ぐらい大工を雇ってコツコツやっていく感覚があったと思うんですよね。多分、旅籠(はたご)※の時代は、雇われ大工さんがいたはずです。いまの旅館はサービス業って感じですけど、本当は建築業に近い。
※旅人を宿泊させ、食事を提供する宿泊施設のこと。旅館の原点。
藤原:旅館はそもそもまちづくり業です。宿場町を作ったのは旅籠(旅館)なんだから。また同時に、実は江戸期以降、宿のかたちはずっと変わり続けて一度も固まったことがないんです。
江戸時代、明治、大正、昭和、平成と、旅館のあり方は全然違ってきている。サービスも違う。
大名行列があったときは大名用の陣屋ができて、次に「大名がいなくなったらどうしよう?」みたいにどんどん時代ごとに変わっていったんです。お伊勢参りが流行ると、長距離客用のサービスができました。
今度は「鉄道ができたらどうしよう?」みたいな大きな変化があって。歴史上、日本の宿場はどんどんと変わっていったんです。
——時代とともに、旅館のかたちは変わりゆくものなんですね。
藤原:ヨーロッパも一緒で、あるときは巡礼のための宿を修道院がやっていて。だんだん巡礼者がいなくなって旅行の形態が変わっていくと、修道士が泊まっていた宿がホテルになる。
日本の木造社会なので、どんどん建て替わっていくんですけど、実は昔からあるものが変化し続けているわけです。
木造社会においては、本当は大工を抱えるのが理想的。今後の旅館像としては、“大工はいないけど、変わり続けていく方法論”を、設計と資金調達を含めて考えていくのがいいかなと。
せんと:フジワラボの方が、だいぶDIYしてくれてる(笑)。
藤原:そうですね。だいぶ大工している(笑)。
こないだ谷口さんと木工工房を作る話をしました。自分たちでいろいろ加工できる場所を作れば、ちょっとしたことなら僕らでもできるし建築の学生でもできるから。そうしたらだいぶコストを下げられるなと。
稲田:森の秘密基地プレイネストやカフェの庭を作ったり。
造園さんと一緒に庭仕事して、枝を焼いて土の肥料にしたり。枝を切り出すのは、うちのスタッフのパトリックがやったり(笑)。
藤原:そういえば造園は、ランドスキップの溝口達也さんという愛知県・稲沢市の造園家さんに入ってもらっています。
造園って手を入れ続ける仕事なので、近い距離でしっかり見てもらえて相当良い庭になってきています。しかも扇芳閣には庭を手入れをする方がいらっしゃるので、継続的に手を入れ続ければ、めちゃくちゃいい旅館になりますよ。
これからの旅館は、ちょっとずつ変わっていくのが面白い。ちょこちょこ変わっていく方が旅の趣があって。次来たら何かができているから、また行きたくなる。そういうふうに育っていくといいのかなって感じますね。
せんと:僕も来るたびに思いますけど、渋谷の街はずっと関わり続けてるから、旅館は街みたいなものなんだなと。
100戸の家があったら、順番に変わってきますよね。うちも85部屋ありましたけど、85戸建の家があって20、30年で一通り変わっていくとしたら、1年に1、2%ずつ変わっていく。
藤原:その方がうまくいきますよね。
収支がうまくいき始めたら、ある程度を毎年変える予算にして、ちょっとずつ変えていく方が大きく変えるより多分コストが小さい。ひとつの作戦としてありですよね。
——リニューアルは資金調達も含めチャレンジが続きますが、経営課題と向き合いながら全体構想をもとに伴走してくれる建築家の方とのパートナーシップは貴重なのでは......?
せんと:過去にいろんな案件を担当されて、僕より宿泊業をよく知ってる。
藤原:いろんなことをこれまでの仕事で教えてもらったおかげです。隈研吾さんの事務所に勤めていた時に、いろんな宿泊系の仕事で教えてもらいました。長野県の小布施町や山口県下関市の川棚温泉など、まちづくりと温泉旅館の取り組みにもずいぶん関わらせてもらってそういうことからの学びもあります。
でも、根本的には旅館って、地域の宝みたいなものがないと工夫はできないんです。その点、実は鳥羽は宝だらけなので、いろんな可能性があります。
谷口さんは、扇芳閣だけじゃなくて、そんな日本の各地の宝をもう一度個人経営の旅館業から再生していくことにすごくポテンシャルを感じてるとおっしゃっていて、僕もそれはすごくいいなと思っています。
扇芳閣だけの特別なモデルじゃなくて、日本中の個人経営の旅館で取り組めるモデルだと思うので、どんどんやったらいいと思う。近い将来、谷口さんとうちが組んでプロデュースしてもいいと思うけど、まずはみんなに信じてもらうためにも、今やっていることを本当に面白いものに育て上げていきたいですね。
45人が同時に入れる、森の秘密基地プレイネストが誕生
——夏の終わりに完成したプレイネストは、どのように作られたのでしょうか?
藤原:プレイネストは一番、背伸びしたプロジェクトだと思います。設計としても、谷口さんの夢だったから、何十案も作っては没にして......かなり無理しました。
せんと:完成したのを見ると、28歳で考えていいものじゃなかったなと思います(笑)。
藤原:若気の至り、怖いですね(笑)。だけど、まあ相当良いものになった。
せんと:あとで言われるんだろうな(笑)。想像より何倍もデカかったです。
藤原:大きさってわかんないんですよ。模型で見ても、図面で見ても、着工してるときもわからない。できた瞬間に「デカい!」とみんな思う。僕ですら大きいと思うから、谷口さんにとっても本当に大きいと思う。
せんと:8月末に名古屋にあるインターナショナルスクールの子どもたちがうちに泊まったんですけど、小学1年生を中心とした45人全員がツリーハウスに入れちゃったんですよね。
——すごい!
藤原:相当みんな喜んだんじゃないですか?
せんと:めちゃくちゃ喜んでくれて。いやもう見た時点で、みんなもう「ワーーッ!」って感じですよね。本当に教室というかワークショップができちゃう。まだ奥の方に余裕がありました。
それで、45人が入ったプレイネストの中で、(去年つくった)オリジナル絵本『オーギーのおやど』を読んだんですよ。
藤原:最高じゃないですか。実はこの建築、プレイネストと呼んでいるのには意味があって、画期的なツリーハウスなんですよ。正確に言うとハウスじゃないんです。
——どんなところが画期的なんでしょう?
藤原:ツリーハウスって、2、3人入ると“その人たちの場所”って感じになって入りにくいんですよ。誰かが遊んでたら入っちゃいけない気がするんです。
プライバシーを守るにはいいんだけど、これはツリーハウスを家族旅行のホテルで楽しめない理由にもなる。同時に何家族も使えない。
今回の谷口さんがやりたいことは、たくさんの人に使ってもらうこと。谷口さんは(元野球部のキャッチャーで)キャプテンだから、公平というかみんなに開かれてる感じにしたい。
だから閉じずに、半開きにしてるんです。多段状の床をつくり、室内空間を作らずに、半開きになってるから、誰かがどこかの段にいても、どんなガキ大将がいても、空間全部に対して“俺のものだ”オーラは出せない。
もし誰かや別の家族が楽しんでいても、他の家族も楽しめる。
——このプレイネストに、せんとくんの思想が反映されているんですね。
藤原:もう先回りしまくって、谷口さんがガッカリするだろうなってことは絶対起きないようにしましたね。
大女将と女将は、怪我がないようにっていうのをずっと心配してましたね。なので安全第一で。でも、子どもはある程度チャレンジもしたいので、上の方は完全に安全にして、下の方はちょっとチャレンジできるジャングルジムの原理で作ったんです。
せんと:今回、子どもたちの方が大人より全然早く動けてましたね。山もそうですけど。大人の方が、コンクリートの上を歩くのに慣れているから。
山や海とともに育っていく「扇芳閣」の未来
——山にヒノヤマラボやプレイネストなどの遊び場が完成しました。最初に扇芳閣のランドスケープをリサーチした稲田さんは、これまでの取り組みを振り返っていかがですか?
稲田:ヒノヤマラボができる前、この山は鬱蒼としていてゴミも多かったんです。
造園屋さんに入ってもらって、「まずは掃除するだけ」と言われて掃除したら、地面が見えて、道が見えてきて、“人の居場所”ができてきたなって感じがして、印象が大きく変わりました。
山や庭は人の手が入らないと寂しい感じになってしまうので、これから扇芳閣さんがどう山を育てていくかがすごく大事だなと思っています。もっとよくなればいいなと。
——旅館「扇芳閣」と山がつながってきましたね。
藤原:今回は森の中に広場や庭、道を作ったんだけど、もう見違えてよくなりました。最初に金毘羅宮まで山を登ったときも感動したけど、いまは扇芳閣の森も素晴らしい。
これはすごく大きな変化です。鳥羽に行ったらみんな海に行きたいと思うけど、そのなかで山がいい旅館は、もう特別な旅館ですよね。
実は、大きな循環の話をすると、森が豊かにならないと海はよくならない。それを教えられるのもいいですよね。本には書いてあるんだけど、実際に山を体験した次の日に海に行って、その全体像を学べます。山が面白くなってきたら、いよいよ海と島だねって話しています。もういつまでやってもずっと楽しい(笑)。
せんと:僕もそう思います。
旅館(建物)だけに閉じず、地域や自然という「宝」に目を向け、結び付け、新しい魅力を生み出すことにこだわっていきます。そして、扇芳閣らしい「新しい旅館文化」を育み、ご宿泊のお客様に「泊まってよかった」と思っていただけるようにしたいです。
前編:「新しいかぞく旅行」とは? “3部屋をひとつ”にしたら、多世代が一緒に過ごせる宿になった:建築家・藤原徹平さん × 旅館「扇芳閣」5代目
(取材・文:笹川ねこ 写真:川しまゆうこ)
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