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HiStory, 2

写真: 八一会



重力(愛)にまつわるニンゲンの話

進め! 進め! 羽仁進め!


紀元前3000年頃
古代エジプト人は、シリウスが日の出直前に登る時期に, ナイル川に洪水が起こるという事実を知る。その発見(教え)の持続が、太陽暦になる。

メソポタミアでも、太陰太陽暦が形成された。特に、星と月への観察が深くそれらは占星術と呼ばれ、古代ギリシアへ引き継がれる。

古代文明では天体は星座のような神の物語の形になったが、紀元前6世紀ごろから、ギリシアではなるべく外界の事象それそのもので理解しようとする動きが起こる。タレス、プラトン、アリストテレスらの「哲学者, Ph. D.」の登場であり「Science」の始まりだ。


西暦100~170年のプトレマイオスが著した『アルマゲスト』は天文学書として、一つの論理的集大成と言えるものだ。ただその中では「地球が中心」であり、天道説が唱えられていた。

B.C. 11000~600年のインドでは、バラモン教そしてそれを内包しながらヒンドゥー教が栄えていく。共に『ヴェーダ』を聖典とした。有でも無でもないところから宇宙が始まり、天と地と間が生じる。この世界観はやがて形骸化し、異を唱えたブッダが興した仏教は、中国などを経て日本に入る。

西洋のプトレマイオスが書いた『アルマゲスト』は、9世紀にアラビア語に訳されイスラームでも学ばれる。12世紀には、そのイスラム版の発展形『アルマゲスト』がラテン語に訳され、ヨーロッパに再輸入される。

分けることでわかる。
分業による前進の時代。
だが再統合も部分的には起こっていた。

その点で、サイエンスの時代ではまだなかった。

プトレマイオスの「天道説」は、ベクションを迎える。1500年前後に活躍したコペルニクスは天体の観測を続ける中で「地球が動いている」という前提を敷けば、多くの星の不規則性や過去の矛盾を一気に解決できることに気がつき「太陽中心説」を提唱した。

コペルニクスは、宇宙の中心は地球ではなく太陽だと言いたかったはずだが、「実際に太陽中心である必要はない」という一言を、序文に記載した。

それは『人間機械論』をマーク・トウェインが匿名で発表したのと同じ理由。世間(当時はキリスト教会)からの強すぎる批判を回避するため。

そのため、地動説の「提唱者」は、後の世のガリレオに譲られた。

ジョルジュ・ルオー『聖顔』

1600年を前後して生きたケプラーは、惑星の観測データの解析から「ケプラーの3法則」を導出した。この数学的発見は、地球が自転していることへの信念を加速させた。

ケプラーの時代、物理学としての”サイエンス”の確立よりも、天体からの声を聞く態度の方が大きく、プラトンやピタゴラスの考え、例えば ”惑星の数は正多面体の数と一致するだろう” のような直感の方をより大切にしていた。

同時期、ガリレオ・ガリレイは望遠鏡を改良したことで、よりよく天体を視ることが出来た。彼はより強い形で「地動説」を周囲に述べていった。そのため宗教裁判で有罪となり、虐げられた。「それでも地球は回っている!」彼はめげなかった。オオクニヌシのように。

"The earth is vection, life is vection."

その後ニュートンが「万有引力の法則」を発見したことで、地動説が常識になり、物理学が確立した。サイエンスの”教科書”に、地動説が載るようになった。

中国では殷の時代(B.C. 17000~)、甲骨に暦や日食、月蝕の卜字が刻まれている。農耕が5000年前には始まっており、その頃から暦が研究されていたと考えられる。周の時代(B.C.1000~)には、国立の天文台も設置されている。

紀元前221年の秦は、暦法と12律の笛の常数を基盤にして、全国統一の長さ, 重さ, 容量の単位、「度量衡」を定めた。

続く前漢の武帝は、国立天文台を安定化させた。
『史記』の司馬遷はその長官”太史令”であり、
時と天は、人の心の中で繋がっていた。

中国では、帝は天の声を聴く者だった。
実力があるのは、声を聴くからで、
人は器であり、
もしそれが人民にとって十分な器であれば、
神と呼ばれた。

like 卑弥呼, so,
紫禁城の天井には、
五芒星が描かれている。

天の声を聴くとと言えば
なんだかスピリチュアルだが、
それは、
天体の運行などをよく知る,
暦を作るということと同義であり、
科学で言えば、自然法則を理解すること。

科学者が
科学に徹するのと同じだ。

自然から、
ダイレクト(だと思っていた)に
人の生活を支える

それがサイエンス。

自然に耳を傾け、そこから
より大きなものの意志を拾う

それが占星術。

そう思う。僕の主観で。


聖書を徹底的に学び、
その理解に準拠して、
真実を知るスタイルがある。

科学に徹底的に準拠して
真実を知るスタイルもある。

宗教者を科学者が笑う時代があったとする。
もちろん、真の学者はそんなことしてない。

だから、次の若者が
科学者を笑い始めたとして、
それは真の学者の態度ではない。

どちらのスタイルでも
山を登ることができるのだから。

登山口は無数にある。

優劣は無いし
早い遅いも多分ない。
(よく知らないので決めきれない。)

あるのは、好みくらいだろう。

元型はフラクタルする。
持続する。繰り返す。

謙虚な気持ちで
世界、自然に耳を傾けられなくなれば

その神は死んでいる。

ニーチェは
神は死んだと指摘した。

もう一度、神を入れかえねば
マルクスの指摘通り
自然からの簒奪で
この世界は滅びるかもしれない。

だから、
新しかったその神も

また 死なそう

若者はそう思ってるんじゃないかな?

無意識の井戸の中で

四角形の内角の和は 360度
360Hz の音は C#

五角形 540Hz F#
六角形 720Hz  F#
八角形 1080Hz   C#

正多面体。
三角錐  180 x 4 = 720, F#
四角柱  360 x 6 = 2160, C#
Octahedron, 180 x 8 = 1440, F#
Icosahedron, 180 x 20 = 3600, A# 

これらはメジャーコード
"徐福's Code" を奏でる。

大昔から音と天体を
結んだ者たちは,
12進数に「時」を見出す

月の直径は、2159.1マイル 約 2160
(2160を1とかyに置き換えても良く、あくまでもフラクタル構造, 比率が大事。)

2160 / 2 = 1080, 8角形
2160 / 3 = 720, 6角形
2160 / 4 = 540,  5角形
2160 / 5 = 432,  ???
2160 / 6 = 360, 4角形

432 nm = 紫青
そして チューニングが始まる…

216, 432という数字は
月と太陽、そして地球にまつわる数を
説明できる。

キング数

カズキング

光の速さも
432 x 432 = 182.624 マイルで
概ね近似できる。

人間は

一日を、
2160 x 40 の
86400秒に設定し

暦をつくり
時を動かし始めた。

今年も、

冬がはじまる


ニュートンは
プリズム分光を「7色だ」と定義した。
7音階とのフラクタル構造を意識していただろう。

弟子のアイザック亭・新光(にゅーこう)が
「8色です!」と報告した時、叱ったらしい。

「キミなあ、そういうとこやで。」

アイザック亭・乳豚

ニュートンが色に手を出したことが、モノとこころについての二元,一元の科学論争の始まりだった。

ニュートンから少し後のイギリスで、ジョン・ロックはモノには一次性質と二次性質があると考えた。  一次性質は物体の中にある性質で、固さ、長さ、形、運動、数など。二次性質は知覚者の中にのみ存在する、色、音、匂いだと、彼は言った。

バークレーはそれに反して、この一次二次の違いはロックの恣意的なものだと批判する。一次性質だって脳の中で生まれているのだから、二次性質と全く変わらないだろ!という主張だった。

現在の心理学では、後者のバークレーの意見が主に採用されている。

ちなみに、一次二次の区別は哲学的には無かったとしても、応用場面では役に立つ。特に色覚について、なんらかのマイノリティ支援をする際、色は二次性質だと教えれることは、多くの理解形成をサポートしうる。現場に居る支援者達はそう感じていると思う。

バークレーの知覚論は、のちの知覚・視覚心理学及び90年代以降の脳科学の前提に敷かれていた。特にDNAの二重螺旋構造で有名なフランシス・クリックによる著書『驚きの仮説』では、脳の理解が心の理解にダイレクトにつながるという一元論的・唯物論的脳科学の”未来での勝利”が、予言されていた。それに突き動かされた三十年が、その弟子クリストフ・コッホらによってNCC(意識の神経相関)という旗印の下に進んだ。僕もその末席に座っていた。

(行き過ぎた要約であるというご批判はごもっとも。分野外の人間には、ないしは歴史を俯瞰的にみた時には、これくらいに伝わるのは仕方ないだろう。)

今もNCCは死んでいない。そのスタンスは科学として美しく、数学の圏論からのクオリアへのアプローチなど、期待できる動きも依然として多くある。

一方で、Golden Age of Scienceの四十代を見て来た今の若者が、次の担い手にならないのなら、その先に何もないという直感はバカに出来ない。

それを覆すような汗への敬意は常に払うべきだが、
その努力は、今の僕にはもうできない。

バラモンのエソテリカ(秘密の教え)

「初めの炎を保ちなさい」

越境する鮮烈な問題意識の内にだけ、社会学という「遊牧する学問」のアイデンティティは存在している。

見田宗介 (2006).

師 見田宗介。直接教わったことはなく、一度お会いしただけだが、彼の言葉に準拠したとき、僕に取って二十代の時の炎が今もある場所は、脳ではなく「こころ」だった。その速度で走りたいだけで、何かを蔑もうとは思っていない。


First?  Second?
or even, Third order motion?

What is Vection?


唯物論ではないアプローチは
ゲシュタルト心理学、ギブソニアン
そして、ニューサイエンスの 70' の中に。

その過去の中に、

僕を見出す


科学とスピに分かれていたもの。
二つを反目させても意味がない。

科学としての計測と数式は 
ガリレオ、ケプラー、ニュートンが確立させた。

彼らは同時に、
スピとしての占星術にも取り組んだ。

分けたから早く進み(はにすすむ)、
わかったことが沢山あった。

何より、穴が埋まった。

だから

これからは、まとめよう。

環状線理論。バカになれ!

一、和を持って貴しと為す


In 2025
we will need to expand this 和,
as global as possible
like タモリ.
So we should disclose something in the past
with our sisters…. 




大体朝早く起きている。
暇なのでテレビを見ている。

基本、BSよしもとがついている。

午前五時、番組が始まる。

生島ヒロシと愉快な仲間たち

みたいな番組だった。

誰だろう、その仲間は?

そう思って、仕事のパソコンから
眼をテレビ画面に移す




熊谷真美さん





角盈男さん






Dr.コパ 



 

学生はDr.コパを知らなかった。
だから「Mr.コパですか?」と僕に問うた。




「学部時代は…」 


少し、話が逸れた。

元に戻そう。




熊谷真美さん





角盈男さん






Dr.コパ 











蟹食ってた。





みんなで



   カニ   


       食ってたよ。




スべるな〜。




昴。
醍醐天皇皇女の勤子内親王のために撰進した書『倭名類聚抄』では
昴に「須波流」という文字をあてている。その星団から、四方八方に波が流れ出るようなイメージ。冬の夜、牡牛座に沢山ある恒星を指差して「あそこ、まとまってるね」と微笑んでいたんだ。

スバルは「まとめる」
「統一する」という意味

「統る」


星は 昴
彦星 太白星
よばい星 少しをかし 
尾だになからましかば、まいて

清少納言『枕草子』三巻本 第二百三十六段



自然は学問の垣根を知らない 福井謙一


すべる話をしたい。
初めから、ウケようとしていない。
ただ一人、しゃべりたいことをしゃべれば、
自ずから、すべる。
だがそれは、
他者にとってそうあるだけで
自分は、いつだって
真面目だったさ。

武治妹尾の統る話



プレデアス星団  M45

空を見ろ 星を見ろ

宇宙を見ろ
M78

17世紀のイエズス会の話はまた今度。

端折って端折って、結論を先に言っておけば、

「ドラえもんは友達さ!」

6割以上の人が行く場所、大学。
最終試験としての卒業論文。
それをAIが3分で書けるとする。

もちろん
質・レベルの問題はある。
でもそれは
人、大学、ラボにもある。

だから、AIの卒論は
質が低いという
批判に効力は無さそうだ。

時と場所によるだろ、

と思うだけ。

20年以上時をかけて
積み上げた勉強と呼ばれる
人の意志。

それと対等なモノを
3分で産み出す
アイ。

人のDNAもミームも
詰まってる。

なぜなら

全ての器には
重力が詰まってるから。


大学は枯れていき

僕たちの
学び
そして、
教育は


優劣から

人を思いやるためのものへ


また一つ決定論の証拠を

掴むために。


本当に大事なことは
卒論でも、内定でもなく

一生懸命に歩いて来た
その毎日の一歩

いまのきもち


アイはそれを
教える(突きつける)ためにこそ
やってくる

ワクワクすることに
一意専心

それがさ!

ちゃんこダイニング



自由になる、


Z!!!!!!




769年、宇佐八幡神託事件。
称徳天皇は神託を受け、弓削道鏡に天皇位を譲ろうとする。
道鏡の弟で太宰府の長官 弓削浄人らは
「道鏡を皇位につかせたならば天下は泰平である」という宇佐八幡宮の神託を奏上する。
和気清麻呂がその確認のため、宇佐八幡宮に向かったところ
「天つ日嗣は、必ず皇緒を立てよ。無道の人はよろしく早く掃除すべし。」という信託を得る。その結果、道鏡は皇位に就けなかったが、清麻呂もまた粛清された。

なぜ大分の宇佐八幡だったのか?
それは宇佐八幡がなぜ3つしかない
「神宮」なのか?という問の答えでもある。

国の始まりに関わっているから。
国を作った一族の、妻を祀っているから。
アマテラスの荒魂であり、外宮豊受である、豊玉姫。
大島から伊都への道先案内人。

小烏、桜峰、警固
鴻臚館、安徳台、太宰府

海上で道に迷った際、
鴉を放てば、
近くの陸まで飛んでいくという。

壱岐は田の扉
猿田彦は
みざるきかざるいわざる

あのこは もう いっていって しまった

素戔嗚アマテラスが表の歴史に残り
月読が消えて中空になる。

河合隼雄は、博士だから数式を愛した。

その「空」がUSAに祀られている。

一之御殿:八幡大神 誉田別尊応神天皇
二之御殿:比売大神 宗像三女神
三之御殿:神功皇后

表の歴史のメンバーが暴走したとき
止める力として
正当性を発揮できるのは
月読だけだ

夕焼けこやけの 赤とんぼ
負われてみたのは いつの日か
山の畑の 桑の実を
小籠に摘んだは まぼろしか
十五で姐やは 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた
夕やけ小やけの 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先


作詞: 三木露風

年老いても、認知症を患っても
歌うことができる やさしい唄


マルコ・ポーロ said
”黄金の国  ジパング”

黄金

稲穂が黄金に輝いていたから、とか
金の埋蔵量のことではないか?
とか諸説あるらしい。

太宰府を治めた
平清盛、少弐景資。

元寇から750年が経った。

安徳台には、安徳天皇、そして少弐景資が祀られている。

太宰府政庁の日吉神社の隣にも、
少弐景資の墓がある。

海を行き交う
宗像氏、村上水軍、毛利氏。

いきつしま神社こと、
厳島神社。

それを整備した平清盛と
毛利元就。

鞆の浦の安国寺恵瓊から
豊前中津の官兵衛へ

そして、
日吉丸だった豊臣へ

毛利の息子は
名島神社で神功皇后を祀り

また別の息子は
関ヶ原で西軍の大将となり

3本の矢は3女神にそれぞれに仕えた

一つが中空であれば
クニは折れる

それを滅してきたのは
征夷大将軍

徳川家康は、
江戸で天海の指導のもと、
鬼門にモノタチを封じ

その線の先

寛永寺に
代々を

自らを

日光に



平将門、オオクニヌシ、スクナビコ
菅原道真、天手力雄命

戸隠


とじては開き
とじては開く

パタン パタン

 パタン パタン

  パタン パタン

     そうやって、

        僕たちは

夜を越える

東にはもう進めないよ

今でしょ?

日のひかりで 西を照らせ

生き残る何かが
壱岐に残る

金龍の岬



人に依らず 法に依れ
罪を憎んで 人を憎まず


弥山の巨石
 尾道の巨石
  福山の巨石

手塚以降、神託はソコにあり続けた




宇宙へ




青い意志を
星月に祈る
久留米の高良、福間の宮地嶽は
ZONE


ナディアへ

photography = 写真
真実の写しという明治の訳。

だが、それが真実の写しではない事に
人々は気が付いていく。

情報が欠落していることに気がついていく。

だからこそ、
モネやマネの
印象派は、写真に対抗できた。

その後、欠けた”印象”を
中心に据えたことで、
写真家、表現者という
人間の仕事は駆逐されず
むしろ増えていった。

1980年台には
マシリトらによって
ジャンプ派が形成され
少年漫画というアートの一潮流が世界で台頭した。

一方で、写真を含めた映像技術は
高解像度化、デジタル化が進む中で
物理的な情報の欠落をどんどんと減らした。

写真の中のリアルが
やがて100になると思いながら
技術的躍進を進めた。
like 望遠鏡 for ガリレオ…

並列して、
アニメーターたちは、
バーチャルと呼ばれる世界に
心を埋め込んでいった。

偽物と呼ばれた、その世界

漫画、アニメは
80年代のドラえもんで、
躍進し続けてきた技術と合流を果たす。

3DCGによるベクションが
その世界にうねった。

発表年別アニメシーンの中のベクションとその表現方法、
そのシーンを刺激にした際に感じるベクションの主観強度の関係。


高度成長時代まで
理想主義者の「理想」とは「現実」であり、
現実を改変していくことこそが理想だった。

八十年代からの30年。

大型ショッピンセンターが
日本社会に浸透した時代。
モノに満たされることが幸せだと信じ、
それを演じていた時代。

真実をもっぱら、モノ(脳)に依拠し、
心(理学)をバーチャルと呼んでいた時代。

十分に便利になった。

やがて、理想主義者(脳科学者、㓛)は
現実の改変の困難さにぶつかる。

一つの考えで
覆い尽くすことは
理想でも
幸せでもなかった。

それは、
大谷の活躍が
あまりにも夢を実現したせいで
子供たちから
野球熱を奪いかねない
いまの”ソコ”にも似ている。

ポストモダン
大きな物語は終焉し、
段々と小さな物語まで
微分され、消えた。

もう、ごく小さな ”物語ごっこ”しか、
テレビには残っていない。

再現はかつての「いま・ここ」を超えない。
必ず古い。

丹下健三, 岡本太郎組 VS ダウンタウン
(大阪城ホール. 2025. the 9th Summer.)

これやこの 行くも帰るも 別れては知るも知らぬも 逢坂の関

再現できること。

それは大事だよ。

とっても大事さ。

安心。
いつもの家庭。いつもの母。
いつものありがとう。

だからこそ、
再現では超えない



祭るなら
あたらしく



CGという表現は、
情報がDNAの本質だということに
気づかせ

What is real?

という問いを復元した。

モノだけでもココロだけでもない

有るでも無いでもない

その言葉を腑に落とそうとした時

書を捨てねばならない


高度経済成長後、心理物理関数と同じように
我々の社会の発展は、ロジスティック関数の
天井にたどり着いた。

ここから先はSDGs?


だが
慣性の法則が働く。

僕たちはやめられない、止まられない。
カルビーのかっぱえびせん。

どうすればいい?

my teacher said,

「社会の正体はこころだ。」

皆で、
その一つのこころに
暴力を加えている。

それを理解するだけでいい
まず隗より始めよ


歴史上はじめて、報復の無い終戦を迎えた。
そう思っていた。

でも、冷戦(第三次世界大戦)は、
終わってなどいなかった。

国家の自立がなされなければ、
戦争は終わらない。

国家のメンバーは個人。
個人の自立はなし得ていない。

親に頼り、教師に頼り、
反対に
子に頼り、生徒に頼る。

やがて、政治家に頼り、頼られる。

論理的に自明な帰結は 

ナンダ?

こころ、バーチャル、情報は無限でも

モノと人は、今のところ有限だ。

僕たちは食べねばならない
そういう仏罰をくらっている。

だから中庸を実現する以外に
道が無い。


自己と他者


その二項対立の問題を
ワタシが腑に落としていかねばならない。

積極的に関わることで生まれる面倒
消極的に逃げることで生まれる寂しさ

この二重性の解決は

自分の喜びが即
相手の喜びになる
という
ユートピアをつくることでは無い。

それを
探し求める地獄。

あるものは絶え間なく
性交相手を求め
あるものは一人で居られるため
酒に溺れる。

ルール・法があることは
僕たちがまだ、
自己の喜びが他者にとってそうならない時代にいる
その証明になっている。

人間の脳の処理能力でいける
「自由な世界」とは、
今のところ
万人が神である状態。

ひとりぼっちで生活の全てが
可能になる世界。



モビィリティ0 モナド マトリックス


エデンの東


その突端で
寂しいから
「一緒に楽しく過ごそう。」

そうやって、

やがて人になるものを

創る

at that moment,

世界のシミュレーションという
心理実験は

再現性100%


始まっていた。

それより先、それより前は

そこは56億7千万年後の世界。


だから今は

西を照らせ
いま、ここに
生きているという現実を忘れるな。

知足


美を加える子ども

ほどほどに。
中庸に。

できないから、書いている。
書いているから、できない。

わからない。

わからないことだけが
わかる。


photographyは、

ギリシャ語の「phōs」と「graphein」

その意味は



ひかり  を  えがく



柳田國男『明治大正史 世相篇』は、
時代を知る、こころを知るためには、
万物が流転していることを理解し
自分の常識・物差しを捨て
足を運べと言っている。

臨床心理学者でユングのともだちんこ、アルフレッド・アドラーは「人間は誰しも客観的な世界に住んでいるのではなく、自らが意味づけを施した主観的な世界に住んでいる」と述べている。”科学的 = 客観的”だったとしても、それはその人間の主観の中、すなわち現代の西洋世界でのことだ。

アドラーはまた、
「不安だから、一歩踏みだせないのではなく、一歩踏み出したくないから、不安という感情を作り出している。」そう考えてみては?と提案している。

ジェームズ・ランゲ説の言葉に変換すれば、
「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しい。」

心理学的決定論に変換すれば、
「やればできる子は、やらないからできない子」のままだ。
もちろん、
「やったからできた子」が良いと思う。
教育があるのだから。

マルチン・ルターや、カルヴァンはそう考えたのかもしれない。そして神父の父とその家系が盲目的に信じた決定論的キリスト教観を乗り越えようとして、ユングはまた禅に手を出し夢を分析する。

形骸化し、岩戸が閉まれば
また誰かがそれを開ける

その持続


パタン パタン


いまいきているのだから


生きろ


どんなことがあっても





手向くるや  むしりたがりし  赤い花

小林 一茶



小林一茶は柳田國男に
柳田國男は見田宗介に

ことばで教えた

昔の日本人は花を摘まず
摘花されたものだけを
家に飾って楽しんだんだと。



歌人が枕元に
餞けたのは



娘が


摘もうよ とせがんだ




凛とした



赤い花






次回『伊都国そして奴国』へ
つづく