#8 からだに合った食を求め、価値あるものを提供する営み(中編)
大きな交通事故がきっかけで狩猟と料理に向かいあった
薄井 時系列でいうと狩猟と、料理人は、どっちが早かったのですか?
竹林 あ、両方、ほぼ同時だった!
薄井 同時ですか。それはおどろきです。
竹林 自分もこうなると思っていなかったって言っちゃなんですけど、料理は8年目、狩猟は9年目になるんですけど、交通事故がきっかけだったんです。結構大きいダンプに轢かれちゃって、3年ぐらい車椅子でした。
薄井 3年も・・・それで、よく山にも行けるくらい歩けるようになりましたね。重傷を負ったのですよね。
竹林 左膝を粉砕骨折して、歩行困難になって。後遺症もあって、そのリハビリが長かったんですよね。ちゃんと歩けるまで5年もかかってしまいまして・・・
薄井 よく頑張りましたね。
竹林 でも、その間が考える時間でもあったんです。事故に遭う前も別のことで救急車に運ばれることがよくあって・・・急に過呼吸状態で・・・アナフィラキシーショックって言うのですかね。
薄井 え? そんな凄いアレルギー体質だったの?
竹林 でも、自分はそうとは思わず。病院でも表面だけみて、自律神経失調症、体調不良、精神疾患のどれかって診断されて。それがアレルギー体質で、食べ物が合わなくてショック状態を起こしたのだと気づいたのが、事故後のリハビリで考える時間ができたからです。そういえば、倒れる時って、いつも外食していたなぁって・・・
薄井 そこで気づいたのですね
竹林 怪我をして身体の一部に不具合が起きただけで、身体全体のバランスが崩れるっていうことを実感して「ん?」と思って。
薄井 具体的にどういうことですか?
竹林 外科手術をした場合、術後すぐ痛み止めを飲んでも効かないんですよ。なので、骨髄麻酔と言って直接骨髄に管を入れ、点滴で麻酔を流すんですけど。それがアレルギー反応を起こしちゃってすぐに中止、飲み薬で対応するしかなくて、もの凄く痛くて辛い思いをしたんです。もしかして、私のオリジナリティの体質は、薬品だとかが相性が合わない、薬だけはなく、一般的な嗜好品であっても、一般的な日常食であっても、合わないものがあるかもしれない。そう思って色々調べていったら、「マクロビオティック」っていう食事法に辿り着いたのです。それで、凄く興味を持って、すぐに本とか資料を取り寄せて実践するんですけど、それだけでは理解できなくて。それで、すぐ専門の学校を探して、3年間ほど通い、マクロビオティクインストラクターっていう資格を取りました。凄くいい出会いとなりましたね。
薄井 その後、身体に変化は?
竹林 ありましたよ。まぁ、体だけじゃないです。それ以上に考え方がですかね。今まで自分で選択していたと思っていたことが、そうじゃなかった。全く無意識で選択していたということ。無意識でした食事が自分を構成している。目に見えるとこじゃなくて、食事って考え方とか生き方の選択までも左右しているじゃないですか。当時、そういうことを知らなかったということで、衝撃を受けました。なんだ、自分は無責任に自分を構成していたのだと。そこまで大げさに言うほどじゃないかもしれないのですけど。でも、そう思ったら面白くなっちゃったんですよね。
いただいた命を大事にすることとは
薄井 さてマクロビオティックには「一物全体(=自然の恵みを残さず食す)」という考え方があると思いますけれども。例えば、動物だったらすべていただくという。そういう考え方であっていますか?
竹林 はい、「一物全体」はマクロビオティックでよく出てくる言葉なのですけど、うーんどうだろう。「一物全体」ってどう表現したらいいですかね。私もマクロビオティックを勉強した時に始めて出会った言葉です。野菜で考えると、全部食べるから栄養のバランスが摂れるという考え方ですけど、動物の場合、昔の人たちは、漢方の「以類補類(=自分の身体の悪い部位と同じ部位を動物から食べる)」というという考え方もしていて。また、動物は一切食べないという考え方もある。
薄井 ベジタリアン、ビーガン・・・
竹林 ベジタリアンであるかどうかって議論は昔からあるじゃないですか。それって何でだろうって思ったのですけど。やっぱり宗教上ベジタリアンがいる国をみるとわかる・・・というか、感じる。やっぱり村ができて、街ができて、国ができると、多くの人に働いてもらわないとならないし、その社会を成立させるために人にやっぱり生きてもらわないとならない。そうなると、病気が蔓延すると困るじゃないですか。病気は種の近い動物から感染しやすいという観点から、多分動物食に関して制限したっていうのが、ベジタリアンの始まりなんじゃないかなって思います。冷蔵庫もない、薬品もないという衛生上難しい生活だと、植物の方がリスクが少なかったっていうのはあると思うのですよね。だから、動物に限っては「一物全体」が当てはまるかどうかが難しいなと・・・
薄井 僕もかつてワインの仕事をしていたときに、「一物全体」と「身土不二(=生活する土地でとれる旬のものを食す)」は学んだことがあって、それが結構今の日本酒造りにも生きていたりします。日本酒って、原料のお米を削ることで“綺麗なお酒”として商品価値を高めたりしますが、削ることによって、副産物である、「ぬか」が出ますよね。ぬか漬けにしたり、一部煎餅にも使ったりはするのですが、大量の産業廃棄物になるのですよ。
竹林 もったいないですね。
薄井 できれば捨てずに全部一つの中で完結させようっていう思いはあります。要は玄米で造るというか、ほとんど米を磨かず造る日本酒を、今、うちの仙禽が目指している方向ですが・・・。なるべく余計な副産物を出さないということ。それが動物を相手にしている久仁子さんがどう考えているのか?
竹林 命を大事にするという観点ですよね。
薄井 そこは基本ですよね。考え方を掘り下げて行くと、久仁子さんのやっていること、つまりジビエとの対峙の仕方と、われわれの目指す酒造りと親和性があるように思うので。
竹林 狩猟者ってほぼほぼ趣味でやる方が多いです。私も言ったら趣味みたいなものです。それを生業ってなったら採算合わないので、仕事としてとなると全部経費カウントすると全然合わないのです。なので、好きか嫌いか、やりたいかやりたくないかしか最後は残らないですけど。私の場合は、自分のアレルギー体質に対してどう向き合うかという、食品をどう入手するかっていうところから、自分で狩猟することに行きついたので、いただく命を大事に=「一物全体」で全部食べる・・・ではなかった。
本当の意味での健康とは何か
薄井 理想を求めると現実が・・・
竹林 はい。「一物全体」は理想ではあるのですけど、実際は何が余るのか?どうしたら余るのか?って考えたんですよ。余すことって、別に悪いと思わないんですよね。自然界の中で、残るものが余るものじゃないかな。例えば土に還ること。自然のものであれば、土にまけば還りますよね。そういうものを余るという表現でなくてもいいのではないかなーって、私は思ってるんですよ。
薄井 確かに!自然に還すことも一つの循環ですよね。私たちも今、ぬかや酒粕を粉末状にして、田んぼや畑に還してあげるっていうことを少しづつ始めようとしています。
竹林 動物でいうと、家畜ではないジビエ肉は味のバランスが個体それぞれものによって違うのですけど、美味しくない個体や部位っていうのを無理やりそのものの原形を留めないぐらいに加工して食べることが、いいことなのかな?って、疑問に思ったりするんです。全部が全部じゃないのだけど、必要としないものは狩猟のルールで土に埋めるっていう方法もある、その現場でね、土に還すんですよ。別に勿体ないというか、その命を無駄にしているとは思わない・・・
薄井 先ほど、酒造りで目指しているのは、ほとんど米を磨かず造る日本酒という話をしましたが、僕、普段の食事も玄米なのです。やっぱそれで凄く体の調子が良いんですよね。
竹林 マクロビオティックって厳密に言うと「玄米菜食」。まぁ絶対というルールはないのですが、始めるきっかけとして代表的なイメージがそうかな。アレルギーだとか、病気だとか、何かしらそれぞれ問題を抱えている場合は、それが始めるきっかけになる。自分の目的・体質に対してのオリジナリティを持った食事法であって、実は一定性を持たない。年齢、性別によって、時期によって、住んでいる地域によって、仕事によって、さまざまな状況で違うのだよっていうのがマクロビオティックです。一つのことをこれがいいのだ、これで完璧っていうのは、刷り込みなのですよね。
薄井 刷り込みはよくない。自分に合ったものを求めてきた久仁子さんのように考え、行動したいですね。
竹林 なんか、いつまで経っても食べて「痩せる」とか「キレイになる」とかそんな宣伝文句が続いているってことに、いいものなんてないのだと思うのですよ。ただ、自分にとっていいものに出会えるっていう選択をできる考え方とか、限られた時間の中で何を満たしたいかが大事だと。自然の流れとして、もうちょっと質を高めたいっていうのもあるのですけど、良い悪いって多少あると思いますが悪いを否定し過ぎてしまうと、あとで自分に返ってくるんですよね。今日はこうでこういう選択をしたっていう理由があれば、それも良いバランス。仕事を間に合わせる方を優先するなら、時間がないので食事はコンビニで済ませるでもバランス。現代はそうだと思うのですね。色々選択肢があるので。全部否定しないで、どう付き合うかとか、選択するかっていう思考に変えられるってことが第一歩なんじゃないかなと思うんですよね。
薄井 まったくもってその通りで、正しい知識というけど、選択の幅が多いから何が正しいのかわからないけど、自分の体に一番合っているものは自分で探していかなきゃいけないと思います。僕も家では毎日玄米を食べているけど、どうしてもコンビニで食べなきゃいけないシーンもあるから、それを拒絶しないようにしているし。でも自分の身体のことは脳みそが一番わかっていることだから、それに素直にならなきゃいけないって、要するに色んな食品って表示があって、情報があって、国がね、厚生労働省が成人男性は1日これくらい何kcalを消費しなければいけないとか。栄養成分をいくつ取らなきゃいけないとかって。あれって人によって全然違うし、自分にとって一番正しいものは何かっていうことを、正しい知識とともにきちんとそれを実践していくことが、本当の精神的な健康であったり。無駄に長生きするって言ったらちょっと語弊があるけど、精神的にちゃんと健康で長生きするのと、何とか現代科学の医療で長生きしているのって違うじゃないですか。そこはやっぱり体を作っていく若いうちから、ちゃんとした健全なものを口に入れていかないといけないのかなって思いますね。
※後編に続く