もう十分生きたから、で最期にしたい
「人は必ず死ぬんだ」「誰にも最期が訪れる」
こう考えると心配だし不安にもなります。
でも私はこう考えます。
人生の最期を迎えるときに、「もう十分生きた」「満足した人生だった」と言えるといいな。
プロ野球選手のイチロー いくつか記録を打ち立てました。
しかし、引退会見の最後には散々話したあげく、「お腹減ってきた。。」と言ってましたから、なんと心に余裕のある人でしょうか。
サッカー選手のキングカズ 今年55才でまだ現役続行中。60才70才になってと身体が許すならサッカーをしていたいと。
何かをやり遂げることが必要なのかもしれません。しかし、やり遂げられなかったとしても、自分の思いが実行出来たらしたら、それが自分では合格点であったのならば、やり遂げられたと同じ意味です。
もう十分やったと思いたい。
仕事でも、趣味でも、友達付き合いでも、
やり残すほどない、十分にやり遂げたと言いたい。
もちろん、努力や人の協力がいるかもしれません。それ以上に、やり遂げたいという思いが重要だと思います。
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