蛇14年 蛮軍→趙燕国20番領土攻略戦
☯時代背景
蛮国は昨年、筆頭将軍の相高軍神の策略により、見事趙燕軍の大将軍、天童を討ち22番領を攻略した。
この22番領は趙燕国にとっては、国土を大きく二分される痛手であり、早急に対処せざるを得なかった。
ここで、蛮軍は勢いづきかねてより趙燕国から首都近辺を取られていて、国が休まることは無かった。その地は20番と24番領土である。
一度、ここで当時の勢力図を確認する。
20番領と24番領の攻略に成功すれば、蛮軍は安心して勢いそのまま大蛇国を滅しにかかることも、趙燕領をもっと攻め落とす作戦に出る事もできる。
その為、蛇14年に蛮軍はこの20番と24番領に侵攻した。
20番領攻略戦の総大将には国内4将の厳介大将軍、24番領攻略には国内5将の趙偉龍大将軍が任命された。13年にただの有力将である陀早鱗が総大将を務め、22番領を攻略したので、もちろんこの侵略も成功すると見込んでいた。
一方、趙燕国は13年事態を重く受け止め、今年も侵攻することなく国土の防衛に全力を尽くすことにした。
20番領防衛戦の総大将は筆頭将軍の白蓮、24番領防衛戦の総大将には国内2将の袁仁を任命し、十分な兵力も与え、蛮軍を防衛した。
今回は20番領で起こった戦について注目する。
☯1日目
先に侵攻した蛮軍を紹介する。
・総大将:厳介大将軍 (15)
・副将:厳楼大将軍 (11)
・第一軍長:嬰瑠偉大将軍 (11)
・第二軍長:戸須楼将軍 (9)
・第三軍長:蔡暴将軍 (9)
以上の5将で構成される。
次に防衛する趙燕軍を紹介する。
・総大将:白蓮軍神 (16)
・副将:颯呉漢大将軍 (12)
・第一軍長:袁燕将軍 (10)
・第二軍長:趙我氏将軍 (10)
・第三軍長:颯呉清将軍 (10)
以下、将軍9名の総勢14将で構成される。
蛮軍は着実に本軍を後方に下げ、長期戦に持ち込む作戦に出た。
更に総大将の厳介は一度白蓮軍に敗戦しているので、これ以上負ける事は出来ない。
対する白蓮軍は広域に軍を展開し、数の有利を十二分に活かす布陣を取った。
以下、開戦当時の布陣図である。
厳介は昨年長男の厳楼が大将軍に昇格したことで、今回の副将には厳楼を添えた。
しかし、その身内を陣内に留めたことで蛮軍の士気は怪しかった。
白蓮はそんな歪な蛮軍の雰囲気を見逃さず、一気に包囲に入った。
まずは、最前線に出ている大将軍、嬰瑠偉を狙った。
蛮軍の先鋒を任された、戸須楼将軍が突撃してきた時に、趙燕軍副将の颯呉漢が受け流し、更に嬰瑠偉を狙った。
これに追従するのは颯呉漢の三男の颯呉清将軍であった。
親子そろって敵軍に突撃する姿は、趙燕軍の士気を大きく上げるものとなった。
以下、当時の布陣図である。
この突撃で嬰瑠偉は不意打ちを受けてしまい、ひどい傷を負った。
蛮軍先方の戸須楼はこのまま戦果無しで戻るわけにもいかず、眼前の趙燕軍本陣に突撃した。
しかし、白蓮軍は鍛え上げられていて、全く食い入ることができなかった。
☯2日目
このままでは討たれると危機を感じた厳介は、この日自ら長男を連れて前線に立った。
趙燕軍は初日の追い込みを契機に、着実に蛮軍を包囲殲滅する準備を進めていた。
趙燕軍総大将の白蓮も着実に前進していて、その狙いは一度逃がした厳介の首であった。
以下当時の布陣図である。
更に前線に出てきた、蛮軍総大将も趙燕軍に激しく猛追にあった。
しかし、さすがは軍神一歩手前の大将軍なだけあって、負傷しながらも無事生還した。
これを見守る白蓮は着実に蛮軍を追い込んでいる事実に本陣で薄ら笑いを浮かべていた。
現在趙燕軍が優勢である。
☯3日目
そしてこの日、この戦場で初の戦死将が出た。
この日も蛮軍総大将は最前線に立ち、趙燕軍を討とうとしていた。
しかし、珍しく趙燕軍総大将、白蓮軍神も前線に立ち厳介に対し、交戦の構えを見せた。
明らかに白蓮らしくない陣形で厳介は罠を疑った。
怪しんだものの、眼前の白蓮と交戦できる好機を活かそうと厳介軍一行は突撃を開始した。
蛮軍が怪しむ理由ももう一つあって、明らかに趙燕軍左翼ががら空きだった。
これを罠と思い、逆に守備の厚い趙燕軍右翼に対し、全面的に迎え撃った。
以下当時の布陣図である。
しかし、趙燕軍の狙いは総大将厳介ではなかった。
袁燕軍は厳介軍を素通りし、既に交戦していた第二軍の趙我氏軍と共闘し、嬰瑠偉を狙った。
嬰瑠偉は今回の蛮軍において大将軍格の末席であった為、まずはここを削るべきと白蓮は判断した。
以下、当時の布陣図である。
嬰瑠偉自身は、趙我氏のみなら追い込む自身があったため、この奇襲には虚を突かれた。
そのため、袁燕軍の副官を務めていた全陵将軍が、趙我氏の元に駆け付け、嬰瑠偉が体制を崩してしまった。
ここですかさず、全陵将軍が嬰瑠偉大将軍を討ち取ってしまった。
☯4日目
嬰瑠偉を失ってから、蛮軍は大将軍を失い、大きく指揮系統が崩れてしまった。
しかし、趙燕軍もこの日で蛮軍に致命的な攻撃を加えないと蛮軍に援軍が到着してしまうので、決戦を急いでいた。
つまり、この日が両軍にとって勝敗を決する大事な一日となった。
勿論厳介も嬰瑠偉討ち死にの事実を重く受け止めた。
大将軍三名で左右と本陣を均等に守る作戦であったからだ。
しかし、その作戦はもう通用しない為、一度軍を本陣付近に固める事にした。
これはこの日厳介の首が欲しい白蓮にとっては嫌な出方であった。
以下当時の布陣図である。
とはいえ、圧倒的有利になった趙燕軍が強行突破に出た。
まずは最も前線に押し込んでいる、趙我氏が蛮軍の脇を攻め、眼前の戸須楼軍と交戦した。
戸須楼も善戦したが、既に負傷している事から趙我氏により討ち取られてしまった。
しかし、ここで夕暮れが来てしまった。
☯5日目
この日より、蛮国から筆頭将軍の相高軍が援軍で到着した。その軍容である。
・援軍大将:相高軍神(16)
・援軍副将:南郷政君軍神(16)
以下、軍神1名、大将軍12名、将軍9名、将校3名
計27将で構成される。
これまでに2名戦死した為、蛮軍は合計30将となった。
趙燕国からは援軍が到着せず、現存の14将で蛮軍を迎え討つ事になった。
これは昨年、趙燕軍の天童軍の時と同じ展開で、さすがの白蓮も冷や汗をかいた。
僅かに残っている可能性としては、蛮軍総大将の厳介が深手を負っている事であった。
以下、当時の布陣図である。
去年の天童軍の敗戦から考察すると、蛮軍はここから猛攻に出るはずである。
その白蓮の予想通り、蛮軍は苛烈な攻めを見せた。
総大将の厳介はじめ、開戦4日までで活躍した軍を完全に下げ、援軍が主攻となった。
まずこの攻めを受けたのは颯呉父子だった。
趙燕軍のうち、蛇元年の建国より活躍する最後の一人は副将の颯呉漢大将軍であった。
息子の清は南郷政君の猛烈な攻めに対し、なんとか耐えたが、隣から訃報が届いた。
それは父の颯呉漢が片韓軍神に致命的な傷を負わされ、最後に嬰瑠央将軍により討たれた知らせだった。
嬰瑠央も開戦3日目に討たれた、嬰瑠偉の弟であった。
その眼には趙燕軍に対し、恨みの色で満たされ格上の敵将颯呉漢を討った時も次の趙燕将を探していた。
しかし、それは颯呉清にとって知らぬことで、彼もまた怒りに震えた。
同時に趙燕軍からは3名将軍の犠牲も出た。
☯6日目
副将で建国の功労者である颯呉漢を亡くした白蓮は大きく作戦を変えた。
白蓮自ら最前線に出て、猛攻の姿勢に転換した。
厳介が本陣で再起不能な為、実質の指揮権は相高軍神にあった。
相高は勿論白蓮が出てきた好機を見逃すまいと意気込んだが、同時に罠も疑った。
以下、当時の布陣図である。
しかし、疑う間もなく白蓮は突撃してきた。
これには、疑いを持った相高軍が出遅れ、白蓮に少し蛮軍本陣に入られてしまった。
相高は本陣の総大将が狙いと思い、決死の覚悟でこれに対処し、なんと防ぎきってしまった。
同時に趙燕軍総大将、白蓮も大いに負傷した。
これが最後のあがきと思い、相高が白蓮を討とうとした瞬間、蛮軍本陣から炎が上がった。
なんと復讐心に燃えていた、颯呉清将軍が蛮軍の背後から攻めより、本陣に奇襲を仕掛け、本陣に潜む厳介軍一行を壊滅させた。
そして、ここで厳介も颯呉清に討たれてしまった。
白蓮が身を挺した決死の作戦により、蛮軍は本陣を失い、敗走した。
以下、今回の戦の戦闘ログである。
☯戦闘ログ
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