二人のようやくの雪どけに涙涙…ドラマ『さよならマエストロ〜父と私のアパッシオナート〜』
ひと言、ここまで長かった…。やっと響の心からの笑顔が観られました。響と夏目の雪どけに涙涙の昨日でした。
以前noteに書いた通り、私にとってこのドラマは回を追うごとに≪″何かに似て非なり″のオンリー・ワンなドラマ≫になっていきました。
各話のエピソードは晴見フィルの主要メンバーそれぞれに焦点をうまく当てていきながら夏目一家の抱える葛藤も同時に描かれ、人間ドラマとしても十分堪能できました。
響のナレーションから始まった第9話。楽曲はメンデルスゾーンの『バイオリン狂想曲ホ短調』。そして、雪どけへの序章でもありました。
晴見フィルは仙台オーケストラフェスティバルへの出演が決まり、フルート・瑠季の尽力で練習場も見つかって熱海へ音楽合宿に。
そこで夏目が晴見フィルと出逢った時に演奏した”即興シンフォニー”を、夏目が膨らませた『Harumi Symphony』という楽曲を熱海のお客様の前で演奏することに…。
これがこのドラマのタイトルバックに流れる曲でもあり、壮大な自然の風景が見えてくるような素敵な楽曲ですよね。
夏目は指揮をしながらシュナイダー先生からの手紙を思い出していました。先生の言葉、優しく響きました。
この手紙の朗読のナレーションが、途中夏目の声から響の声にバトンタッチされたのが巧みな演出でしたね。
熱海から戻り、トランペットの大輝に自分の心を吐露する響。この告白で、やっと5年前の出来事の全貌が理解できました。
メンデルスゾーンが恵まれた家庭に生まれたように、響自身もいつも家には音楽が溢れ、とても幸せな子供だった…。
いつか響がソリストで、夏目が指揮で、メンデルスゾーンの『バイオリン狂想曲』を奏でると約束した…その約束のために響はバイオリンの腕を磨いていた。
でも恵まれた環境がくれた恩恵はあっという間になくなり、年齢が上がるにつれ完璧な演奏ができない自分を徐々に許せなくなっていった。人の千倍努力すれば報われるとがむしゃらに練習をしたけれど、思うようにならないもどかしさ。
「圧倒的じゃないとパパと同じ舞台に立てない」
15歳の時に受けたコンクールで奇跡が!今までの苦しさが嘘みたいに弾けた。
いつも夏目の聴いてる音を、その時初めて聴けた気がした。ところがその後の夏目のひと言が、いっぱいいっぱいだった響の心をズタズタに。
「本当にいい演奏だった。あっそうだ。第三楽章の第二主題少し走ったね。あそこを修正すれば、ファイナルでもっといい演奏できるよ。頑張って!」
この″もっと″という言葉。「パパは何も分かってない。もっといい演奏なんてできないんだよ。今のが私の最高だったんだよ。もう頑張れないんだよ…」
ファイナルの時間になって逃げ出して、事故に遭った。病室に駆けつけた夏目に「パパにはもう逢いたくない!音楽もやらない!パパには私の気持ちは一生分からない!パパのせいだよ。パパのせいで私、音楽が嫌いになったんだよ!」響はこんな言葉を投げつけた。
この響の言葉で夏目は音楽を辞めた。
人がなにかを追求し続けるためのモチベーションは、実にさまざまだと思われます。響の場合は父親である天才マエストロとの共演を目標にバイオリンを続けていたけれど、ほんのわずかな一握りの天才たちの領域に足を踏み込むことは叶わなかった…。
芸術って難しいものですよね。万人が納得するものをアウトプットするのは至難の業。高みにのぼりつめた者だけが見られる景色があって、そこへ到達するためにはなにかしらを犠牲にせざるを得ない…。
夏目の場合も、ずっと家族たちは音楽の二の次になっていたのではないかと。音楽を辞めて家族と離れてみて、初めて自分のダメな部分とどっぷり向き合った5年は、夏目にとって必要な時間だったのかもしれません。
大輝にすべて話して吹っ切れたのか、今まで読まずにずっと置きっぱなしだった夏目からの手紙をやっと読んだ響。
音楽のことは何も書いていなくて、夏目の自分への愛情をかみしめながら涙と一緒に手紙を読む響の柔らかい表情が印象的でした。
その後、二人がやっと本音で言葉を交わし合い…。
ここから二人の演奏が始まり、笑顔で演奏する響とそれを静かに見つめる夏目のシーンは涙涙でした。
響がまだ子供の頃、二人が焼き栗を一緒に食べるシーン。日本の甘栗を食べる約束の指切りげんまん。手を繋いで歩く仲良しの二人…。
二人の演奏を体育座りして、泣きながら聴く海の姿に感動でした。
二人のハグで涙腺崩壊!このシーンを観たかったんだよー!
最終回、夏目がシュナイダー先生の元へ向かうのか、それとも晴見フィルのために残るのか…。この選択がどうなるか?が重要ポイントなわけですが、タイトル『さよならマエストロ』の”さよなら”の意味がどうなるのかを最後までしっかり見届けたいと思っています。