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泣いて泣いて心のデトックスにはピッタリだった「僕のいた時間」一気見
彼が突然亡くなってあっという間に2年の月日が経過した。彼の死を告げるテレビのテロップを観た瞬間、頭が真っ白になりただただ呆然としたことを今でもはっきりと覚えている。
私は熱狂的な彼のファンの方々とは違い、彼が亡くなった後で自分自身が受けた大きな衝撃や喪失感に気づき「あー、こんなにも私は彼のことが大好きだったんだ・・・」と自覚したタイプ。
フト彼のことを考えては涙したり、なぜ彼が自ら死を選んでしまったのか?答えの出ない理由をとことん考えてみたり、亡くなってしばらくはそんな日々が続いていた。
彼の出演した作品を観ることはなかなかできずにいた。当時購入した『日本製』という本も写真集も、本棚の片隅に置かれたまま眠っている。ページをめくっていって、彼のあの屈託のない笑顔を目にすることがなぜかとても怖かったからだ。
でも、最近私が彼の出演作で一番好きだった「僕のいた時間」の一挙放送があるというのを知り、迷わず録画した。
録画してからしばらく放置しておいたけれど、思い切って一話を観た。
澤田拓人という主人公を繊細な演技で表現する彼がそこにいた。久しぶりに観た彼は相変わらず眩しかった。笑顔も、苦悩する表情も、彼から目が離せなかった。そこからは、まさに一気見した。
泣いたり笑ったり忙しいその時間は、貴重な心のデトックスになった。ささいなことで鬱々としていた私の悩みのちっぽけさに、何とも情けない気持ちになった。
難病ALSの主人公を演じたのは彼自身の望みであり、俳優として大きく飛躍したい気持ちからのチャレンジだったのだと思う。
ただ生きる目的もなく漠然と生きていた若者が自らの病と真正面から向き合い、生きる意味や自らの生き方を模索していくというストーリー。ただのお涙頂戴というドラマでは決してなく、むしろ生きる力を得られる作品だったと思う。
徐々に筋肉が衰えていくALSという病。そのうち物が飲み込めなくなり、呼吸することができなくなる。『呼吸ができなくなる=死』ということであり、一度装着したら外せない人工呼吸器を着けるか着けないかで悩み続けていた拓人。死ぬ覚悟も生きる覚悟も、どちらも簡単にはできない。
そんな時にある講演会で話をする機会を得た拓人。
「生きているだけの状態で、僕が僕であり続けるにはどうしたらいいんだろうか。そうなった時に、僕を支えてくれるのは、それまで生きた時間、僕のいた時間なんじゃないか。僕は覚悟を決めました。生きる覚悟です」
この言葉は『人が生きる意味』そのものを表現しているものだと思う。自分の人生振り返った時、自分が生きた時間、自分がいた時間、それに対してどれだけ満足して死んでいけるのか?人は恐らく自らの最期の瞬間まで、そんなことを模索し続ける生き物だと思うから。
放送当時に観た時に感じたものは多々あったけれど、年齢を経て今回観直してみるとまた感じ方も異なるものがあり、この作品の普遍性を改めて感じさせられた。
三浦春馬という俳優の唯一無二の存在感、そして存在価値をまざまざと見せつけられた気がした。
今回彼の作品を一気見できたことで、他の彼の作品もまた見直してみようと
思えた。
作品の中の彼は永遠に生き続けているのだから。