SNS批判で閉店した焼き鳥屋の名店について想うこと
誰でもどんなことに対しても勝手に批評家になれる時代になってしまった昨今。
以前なら、思っていても口に出さずに自分の胸に秘めておいたことも沢山あったはずです。でも今は自分の意見をすぐさまネットに書き込むことができるようになり。
それは時にハッピーを呼び込むことができる一方で、時にとても残酷なものです。
タイトルの焼き鳥屋さんは、大正13年創業の老舗で、人気店だったそうです。
名物メニューは「生つくね」。生か焼きか選べたようですが、その名物に対して「食中毒の危険があるのではないか?」とネット上で批判が殺到したとのこと。
それに対して店主が声明文を出した(以下抜粋)「食中毒を出した事はありませんでしたが、食の安全と飲食店への信頼を脅かす営業をしていたことに責任をとり、閉店することを決断しました。」と。
確かに。生の鶏肉(もちろん鶏肉だけではなく生肉全般)に危険が伴うことは正論なのかもしれませんが、生か焼きか選択するのはお客側であって、そのリスクを理解していても生が美味しいと感じたお客さんは好んで食べていたわけで…。選択の自由の一環と言えばそう言えなくもないのでは?と感じてしまったのでした。
今の時代の怖さは、ネットで多数決みたいなことが自然に行われてしまっていることだと思います。
多様性の時代だと言って、様々な変化を認めなければいけないという方向に進んでいるかと思えば、何か一つの出来事に対して誰かがこうだ!と言ったことに対して多数が「正しい」と言えば「正しい意見」になり、多数が「間違っている」と言えば「間違った意見」になるような、両極端な傾向が顕著に見られるようになってしまったのではないかと感じています。
それぞれが自分の意見を持つことは大切だけれど、何が正しいのかは多数決だけで決められるわけではないということも念頭に置きながら発信していかないと…と改めて感じさせられたわけです。
「生つくね」をメニューから外してお店を継続する道もあったかもしれないけれど、もしそうしたら、脈々と受け継がれてきた老舗の誇りが貫けないと思った三代目の苦渋の決断だったんでしょう。
コロナ禍で多くの飲食店が潰れたりした中生き残ってきた名店の閉店は、どこか物悲しいものがあります。