結局最後は「人と人」~ドラマ『パーセント』~
昨日最終回を迎えたドラマ『パーセント』。障がい者にスポットライトが当てられたこの作品について感じるところは多々あったけれど、最終回まで観てから言葉にする方がうまくまとめられるような気がしていました。
これまで「多様性の時代」ということについて言及する記事を何度か書きかけては頓挫し…の繰り返しでした。
「多様性」という言葉の意味としては、
「性別や年齢、国籍、障がいの有無、性的指向、宗教・信条、価値観などが異なる人々の属性を尊重する考え方のこと」
と定義されているようです。一般的なイメージとしては「多数派」が「少数派」を受け入れるという意味で使われることが多いようですが、誰もが他者から受け入れられる側の人間でもあって、そういった状態が「多様性」を受け入れるということだそうです。
「多様性」を受け入れて尊重することで、人間誰もが「自分らしく」生きる幸せを手に入れられる世の中になる…ということのようです。
このドラマの主人公・伊藤万理華演じる新人プロデューサー吉澤未来は、ローカルテレビ局「Pテレ」のバラエティ班で多忙な日々を送っていました。いつかドラマ班に異動したいと企画書を出し続けていましたが、ある日編成部長に呼び出され、ドラマの企画が通ったことを告げられます。
ただ、ここからが彼女の苦悩の連続の始まりで「この企画の主人公、障がい者ってことにできへんか?」と言われてしまいます。
局をあげた「多様性月間」のキャンペーンの一貫として、登場人物に多様性を持たせたドラマが必要で「障がいのある俳優を起用する」という条件で企画はどんどん進められていきます。
そんな時に出会ったのが車イスに乗った高校生・和合由依演じる宮島ハル。俳優を目指すハルに魅力を感じてドラマの出演をオファーをしますが、ハルに「障がいを利用されるんは嫌や」と拒否されてしまいます。あきらめきれない未来は、ハルが所属する障がい者が劇団員である劇団「S」の稽古場を訪ね……。
とこんな具合にストーリーは展開していきました。
未来を演じた伊藤万理華は、不思議な魅力のある俳優ですよね。独特のしゃべり方に、泣き笑いのような表情で未来の感情の揺れ動きを巧みに表現していました。
ハルを演じた和合由依が、東京パラリンピック開会式の「方翼の小さな飛行機」のあの女の子とは驚きましたが、一本筋の通った凛とした鋭いまなざしがハルと重なりました。
障がい者という言葉に対して健常者が持つ感覚はそれぞれ異なっていて、まさに十人十色だと思います。
このドラマの中でも登場人物たちのそこら辺の感情が複雑に入り乱れていて、なかなか劇中ドラマの方向性がまとまらない状況が続いていました。
新編成部長という大きな壁、脚本を頼んだ未来の彼氏・岡山天音演じる町田の降板、劇団「S」の団員たちの出番の削減、ハルと相手役の不調和etc…次々と降りかかる難題の連続に未来の心が押し潰されていく感じがじわじわ伝わってきて、第3話までは苦しい展開が続きました。
ただ劇中ドラマに携わるスタッフの人たちの内面が、ハルや劇団「S」の団員たちと触れ合ううちにどんどん変化していく様は、観ていて爽快感すら感じました。
撮影の途中から、ハルの代わりにエキストラの代役に演じてもらうことを推進していたディレクター兼演出の羽座丘。でも「ハルちゃんは、時間かけたらえぇ芝居します」とハルの演技力を徐々に認めるようになり、エキストラではなくハルに全部演じて欲しいとお願いするシーンは感動的でした。
劇団「S」の人たちの演技についても「じっくり彼らと稽古をしてもええんちゃうかな」と尊重するようになっていき、「結局ノイズになるかどうかは、演出の腕次第っちゅうことなのかもしれませんね」と。障がい者の俳優という偏見から、彼らが解き放たれたような気がしました。
劇中ドラマの放送前のドキュメンタリー番組に対するネットの反応「障がい者を見世物にするな」「障がい者の俳優を使ってあげてる感」これらの言葉を見て傷つき悩む未来でしたが、こういうネット民の感情こそ障がい者をマイナスな意味で特別視している感があるのではないかと感じました。
気づかないうちに、健常者の方が上という考え方に陥ってしまっているというか…。
すっかり自信をなくした未来と未来を励ますハルのこの会話、ドラマ作りってこういうことなのかもしれない…本質をついていると感じました。
その後の会議で、ドキュメンタリー番組のイメージを払拭するために″キー・ビジュアル″のどこかにこのドラマは何についての物語なのか、それが端的に分かるような言葉を付けたいと提案するチーフ・プロデューサーの植草。
途中から脚本を引き受けてくれた、未来の憧れの脚本家・宇佐美もそれに賛同してくれました。そこで未来が切り出します。
その後の編成部長・長谷部の言葉こそ、このドラマ『パーセント』の描きたかった核なんだと感じました。
障がい者同士だって、健常者同士だって、障がい者と健常者だって、お互いに簡単には分かり合えないからこそ相手を分かりたいともがくし、悩むし、時にはぶつかり合う…。
人間対人間の関係性は、その人の置かれた状況や抱えたものに関係なく、みんな変わらず同じだということですよね。
劇中ドラマのラストのシーンでクロセの言った言葉。劇中ドラマで描こうとしていた"スクールカースト"的な側面も、障がい者と健常者という立場に最初から違いはなくて、出会いだったり、人間関係の形成だったり、誰かを好きになったり…そういうことすべて誰にとっても変わらず同じだと言いたかったということが自然に伝わってきました。
『パーセント』というタイトルに込められた脚本家・大池容子氏の想い。障がい者を扱うドラマは、まだまだ捉えられ方が難しい側面もあると思います。でも決して押しつけがましくなく、その想いを素直に受け止めることができました。
このドラマに関わった、すべてのスタッフや出演者の皆さんの熱量に心が深く動かされました。素晴らしいドラマをありがとうございました。
長い文章、最後まで読んでくださりありがとうございました。