ドラマ『何曜日に生まれたの』は”野島ワールド”に新しい虹がかけられたような、そんな記憶に残る名作でした
野島伸司のドラマは、これまでほぼ観てきていると思います。『高校教師』以降の野島作品は過激な内容も多く、今のコンプライアンスなら作れなかったかもしれないドラマばかりのような…。
今回の『何曜日に生まれたの』は、「コロナ禍の特殊な世界で行動規制をかけられた若者たちに寄り添ってみたいと思った」という野島氏の言葉通りの作品になっていたと思います。
初回は飯豊まりえ演じる10年間”コモリビト”だった暗いすいの印象が強く、どんな展開になっていくのかまったく想像がつきませんでした。
でも最終回まで観続けてみたら野島氏の描きたかった″世界観″がより明確になり、こういう希望と優しさに満ち溢れた”野島ワールド”もいいもんだなーと心からそう思えました。
”引きこもり”という言葉はマイナスなイメージが強いのに、”コモリビト”という言葉がどこか前向きに感じられたのも”野島マジック”であったように思います。
実は私自身いまだに”コロナ禍”から抜け出せていない、ある種”コモリビト”のような一面がまだ自分の中に残っていると感じることがあります。
コロナ前の生活に完璧に戻れたかといえば実際そうではないところもあって。まだそこから動けずにいるような…。
でも「雨に濡れなきゃ、虹は見られない」。キレイな虹を見るための一歩ぼちぼち踏み出さないと…とドラマを通じて背中を押してもらえたように感じています。
思えば公文も”コモリビト”の一人だったんですよね。自らの辛い過去から逃れたい一心で「公文竜炎」という”仮面”をつけて、妹・蕾(アガサ)をあらゆる脅威から守ることで”外の世界”と自分たちを断絶して二人だけの”三次元の世界”に閉じこもって生きてきた…。
最終回、その″仮面″を外して本名の「三島公平」としてすいと向き合えたときの公文の心からの笑顔が印象的でした。こんなハッピーエンドが観たかった!という″裏切りのない″終わり方が最高でした。最終回の展開は途中まではだまされた感がありましたが、そこに身を委ねて観ているのも心地よかったです。
すいと公文がユニゾンで言った「リアルになる」は名言でした。その後のハグもやっとお互いの体温を、ぬくもりを″現実の世界″で感じられる関係性になれた象徴のようでした。
「ストレスの9割は対人関係。でも、1割は素敵なことがあるかも」
この言葉がこのドラマの根底に流れていた大きなテーマだったんでしょうね。
確かに対人関係はストレスだらけ。考えたら”仮面”をつけずに対人関係を築き上げている人間なんて誰もいないのかもしれません。
10年間”コモリビト”だったすいの方が”外の世界”に出る勇気を出して、「ハッピーな世界線があったらいいな。レインボーパワーで」の精神で「1割の素敵なこと」への期待を胸にハッピーの種をまき散らしている姿はキラキラ輝いて見えました。
すいがどんどんかわいく&美しく&たくましく変貌していく様子は、飯豊まりえの演技力の高さゆえだった気がします。すいを魅力的な人物に作り上げていたと思います。
公文役の溝端淳平も、繊細な彼の”心のひだ”までもがこちらにダイレクトに伝わってくるような演技で魅了されました。
すいの高校時代の友人を演じた俳優さんたちもそれぞれ存在感のある素晴らしい演技を見せてくれたし、父親役の陣内孝則もいい味出していました。シシド・カフカと早見あかり姉妹も絶妙なキャスティングでした。
何より「野島伸司ここにあり」を改めて強く感じさせてくれたドラマ『何曜日に生まれたの』は、記憶に残る名作でした。