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ドラマ『海のはじまり』は、生方美久の世界観が丁寧に紡がれていく″親子の愛″に溢れた名作です

脚本があの生方美久というだけで観ることを決めた、ドラマ『海のはじまり』。

いつもなら第1話を観てすぐに感想を書くことが多い私ですが、ラストの「夏くんのパパ、いつから始まるの?」という海のセリフの意図をどう捉えたらいいものか…と考えあぐねているうちに第2話、第3話と話が進んでしまいました。

それにしても生方美久という脚本家は、人間という生き物の強さや弱さ、本音と建前の狭間で揺れ動く複雑な感情etc…を絶妙に表現している感じがします。

「私が描きたいのは、主人公の半径5メートルにある世界の話。そこにある、とても普通でリアルな人間模様を切り取りたい」

ドラマ『いちばん好きな花』の時にも引用させていただいたこの生方氏の言葉通り、半径5メートルの世界を今作も見事に描いていると感じます。

目黒連演じる主人公・月岡夏。少し複雑な家庭環境に育ち、血の繋がらない父と3歳年下の弟がいます。

自分の感情を表に出さないタイプの夏は、『silent』の想とどこか通ずるものがありますよね。目黒連は悩み深き青年がよく似合うと勝手ながら思うので、夏役はハマっていると思います。

それにしても大学時代の彼女が、中絶したと思い込んでいた自分の子どもを一人で産んで育てていたということを知った時の衝撃は計り知れないものがあると感じました。

その大学時代の彼女が古川琴音演じる南雲水季。何でも一人で決断し、周りに左右されることのない芯の強さを持つ水季。

意志がなくて、自分がなくて、はっきりしなくて…相手に合わせてばかりの夏とは対照的な水季に惹かれた夏の気持ちは容易に想像できます。

ただ、中絶の同意書にサインしてほしいと水季に頼まれた夏が「他の選択肢はないの?」と言った時、「夏くんは堕ろすことも産むこともできない。だから、私が決めていいでしょう?」と水季に言われてそのままサインしてしまったことに対しては、きっと後悔があったんだと思います。

若干二十歳だったとはいえ、もう少し二人で時間をかけて結論を出すべきだったと夏自身ずっと感じてきたのではないかと。

だからこそ”自分が殺した”と思っていた命(=海)が実はこの世に存在していたと知って、ホッとしたんだと思います。

今度ばかりは他人任せにできないし、海のことを戸惑いながらも受け入れて、これから先どうやって海と対峙していくのかをしっかり考えることにした夏。

母親が死んでからずっと本音を隠して元気そうに振る舞う海に、夏はこう言葉をかけました。

「学校楽しい?おばあちゃん家は?ホントに?なんで元気なフリするの?水季死んで悲しいでしょ?何してても思い出してキツイと思うし。なんで?泣いたりすればいいのに。水季だって元気でいてほしいと思ってると思うけど。でも、元気ぶっても意味ないし。水季の代わりはいないだろうし。水季が死んだってことから気そらしたって、しょうがないし。悲しいもんは悲しいって、吐き出さないと」

ドラマ『海のはじまり』第3話より

だんだん目に涙を溜めて、夏にしがみついて泣きじゃくる海。そんな海を抱き締めて一緒に泣く夏。二人が血の繋がった父と娘として、初めて向き合えた瞬間だったような気がしました。

夏の彼女、有村架純演じる百瀬弥生。弥生が彼氏の身に突然降りかかった出来事に取り乱すこともなく、海という存在ときちんと向き合おうとするのかの背景も納得がいきました。

弥生自身以前中絶の経験があり、おそらくそのことを片時も忘れたことはないでしょう。結婚まで考えていた夏の子どもの登場で「もし月岡くんがお父さんやるなら、私がお母さんやれたりするのかなって…」という、この弥生の母性溢れる言葉にはハッとさせられました。

水季の母、大竹しのぶ演じる南雲朱音。大竹しのぶでは歳をとりすぎているとかいろいろ言われていましたが、第3話で水季が不妊治療の末に42歳で産んだ子どもだと判明しました。

自分の元に産まれてきてくれた愛しい我が娘・水季への朱音の想いの深さを思うと、その死をまだ受け止めきれずにいる悲しみが伝わってきます。同時に、水季の母としての、海の祖母としての強さも。

海の誕生日、弥生と海と三人で出かける夏に何かあった時のためにと朱音は連絡先などを手渡し、こう言います。

「不安になるでしょ?何かあったらって言われちゃうと。練習っていうのは嫌だけど、でも、練習してください。親って子どもの何を思ってて、何を知らないといけないのか」

夏が海のことをすんなり受け入れていることについては嬉しさも感じていそうな朱音が、弥生については「あの子、私お母さんやれますって顔してた」と水季の母としての複雑な感情ものぞかせました。

帰ってきた二人に話しかけた時の、朱音と弥生のこの会話。胸が痛かったです。朱音の気持ちはもちろん理解できますが、弥生の過去を思うと朱音の言葉がどれだけ刃のように弥生の心に突き刺さったか…と。

「大丈夫でした?」
「はい。楽しかったです」
「楽しかった…そう」
「はい」
「子ども産んだことないでしょ?」
「ありません」
「大変なの。産むのも育てるのも。大変だろうなって覚悟して挑むんだけど、その何倍も」
「はい。尊敬します」
「別に尊敬しろなんて思ってないけど、産みたくて産んだんだし、当然のことなんだけど。水季もそう。産みたくて産んだし。もっと育てたかったの。悔しいの。水季がいたはずなのに。血の繋がりが絶対なんて思わないけど、でもこっちは繋がろうと必死になって、やっと繋がれたの。だから、悔しい」
「でも、ホントに楽しかったです。ありがとうございました。私まで一緒に」
「いえ、こちらこそ」

ドラマ『海のはじまり』第3話より

水季と海、二人のシーンを毎回冒頭で描いているのも生方氏の狙いがしっかり感じられます。

第1話の海辺のシーン「いるよ。いるから大丈夫」。第2話のランドセルを前にしたシーン「いるよ、パパはいる」。第3話の海の身長を測るシーン「いなくならないよ、いなくならない」。

この「いるよ」と「いなくならないよ」という言葉には、深い深い意味が込められているように感じます。

海のパパである夏の存在をあえて海に隠さずに明かしてきたのは、自分の病気のことを水季が知っていて、いつか自分が海の前からいなくなってしまうことが分かっていたからなのでは?と想像してみています。

一人で夏の子どもを産んだことは水季の勝手ではありますが、相手のことを考えてくれて優しい夏なら、きっと海のことも受け入れてくれるはず…そう水季が信じていたからこそなのではないかと。

そして、例の海のセリフの意味が第3話でなんとなく分かりました。

「ねぇ…パパいつ始まるのって聞いてくれたけど、始めてほしいってこと?パパになってほしいってこと?」
「ううん」
「ううん?」
「夏くん、パパやらなくていいよ」
「えっ?」
「でも、いなくならないで…。ママとパパ、一人ずつしかいないから。だからいなくならないで」
「パパだからいなくならないでほしいけど、パパはやらなくていいってこと?」
「うん」
「ごめん。パパやるって、なに?」
「分かんない」
「俺も分かんないけど。認知するとか、育てるとかって、そういうの簡単に決めるのも無責任な気がするし」
「無責任って?」
「分かんない。よく、分かってないってこと」
「いなくならないで…は分かる?」
「それは分かる。分かるし、そうしたい。水季の代わりにはなれないけど、一緒にはいれる」
「じゃあ、いて」
「分かった」

ドラマ『海のはじまり』第3話より

明確にパパになる決断はまだできないけれど、できるだけ海と一緒にいることに決めた夏。迷いながら惑いながら…これからどんな風に二人の親子としての絆が深まっていくのかを、しっかり見守っていきたいです。

さまざまな″親子の愛″を通して描かれる家族の物語がどんな展開をみせていくのか、生方美久の世界観をじっくり味わっていこうと思います。

長い文章、最後まで読んでくださりありがとうございました。

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