4大学図書館による「#転換契約」:そのとき、歴史は動いた
2022年2月8日(火)は友引。この日に東北大学、東京工業大学、総合研究大学院大学、東京理科大学の4つの大学の図書館長名で、学術雑誌を発行する大手出版社の1つであるWiley社との間で、同社の電子ジャーナルに関する「 #転換契約 」が為されたことがプレスリリースされた。
各大学およびWiley社からのプレスリリース
「#転換契約」とは?
「転換契約」という用語を耳にして、すぐに「Read & Publishのことね」とわかる方は、図書館業界で電子ジャーナルの問題について詳しい専門家だと思うので(他の業界用語としてもあり)、まずは基本情報から。
つまり、これまでは電子ジャーナルの「購読 Read」のみの契約であったものを、「オープンアクセス(OA)論文投稿 Publish」と組み合わせた契約に「転換」することによって、OA化を推進することに繋がり、このことによって、出版された論文がより「引用」されやすくなって、ひいては引用数拡大に繋がることを目指している。より詳しくは、国立情報学研究所オープンサイエンス基盤研究センターの尾城孝一先生の記事を参照されたい。
背景:論文出版を取り巻く状況
この「転換契約」の背景には、高騰する電子ジャーナル購読料や投稿料の問題があり、さらに「研究力」を「論文の引用数」をベースに測るという動向がその下敷きとなっている。それらは「大学ランキング」等に組み込まれている。このような数値化が可能となったのは、論文がディジタルな世界に入ったからである。さらにこのことは、学術情報の商業化を招いている。一方、より大きな絵としては、「オープンサイエンスの推進」がある。学術情報や研究データは限りなくオープンにし、ステークホルダーがアクセスできるようにすべきである。学術出版にまつわる背景に関して、詳しくは、以下の拙note記事およびブログや、取り上げた書籍、関連する日経新聞記事などを参考にして頂きたい。
なぜ、これまでできなかったのか?
伝統的に、図書館はまず「図書」を収蔵・管理し、次に紙媒体の「学術雑誌」を扱ってきた。大学や研究所において、研究に必要な図書や雑誌を購入する窓口は図書館だった。そこに、電子ジャーナルが加わった。電子ジャーナルが扱う論文の数は、世界における研究者人口の増加に比例して日々増加する、ことを理由に電子ジャーナルの価格(購読料)は、出版社によって毎年、値上げされている。筆者が2018年より東北大学附属図書館長を拝命して、真っ先に納得がいかなかったことが「なぜ、毎年数%の値上げありきなのか」、ということだった。出版社側は、世界的な研究者人口の増加に伴い扱う論文投稿数が増加していること、各種インフラ整備等を理由に挙げている。
論文を雑誌に発表する際には、紙媒体の時代からも若干の「投稿料」は存在し、カラーページ分のチャージなどもあった。ところが、電子化されたらこれが安価になるかと思えばさにあらず、Article Processing Charge(APC)と呼ばれる費用が必要となり、それはむしろどんどん高額になりつつある。「すぐにオープンアクセス(OA)論文として公開できるようにするためには、APCを余分に支払うことが求められ(注:Full OAとして、すべて一律のAPCとなっているジャーナルもある)、このAPCも出版社の言い値である。
APCは研究者が「研究費」で支払うことになるので、基本的には図書館の関知するところではない。ここに「日本の縦割り社会」の大きな落とし穴があある。図書館は図書経費を削り、電子ジャーナルの購読タイトル数も減らす交渉をするのだが、大きな大学図書館なら年間数億円の購読料を出版社に支払う。一方、研究者は出版社に高額なAPC(たとえば平均的な金額として40万円程度)を支払う必要がある。どちらも、大学のお財布から出ていく費用として、いわば「二重取り」されているにも関わらず、この問題は長く放置されてきた。
研究者は、電子ジャーナルのどのタイトルを継続するのかについて、図書館の雑誌選定委員としても関わってはいるが、図書館のバックオフィスを知っている訳ではなく、図書館職員は研究者としての経験はない。したがって、両者の間には大きな溝がある。研究者の中には電子ジャーナル問題を他人事のように捉えている方も多い。もっぱら気にするのは「読める雑誌が減らないように……」ということのみ。「日本の大学全体でなんとかすべき」「団体交渉できないのか?」という意見も出されるが、日本の大学図書館は「個別に」出版社と契約をせざるをえないため、ことはそう単純ではない。
多額の研究費を持つ研究者にとっては、APCを支払うことに大きな問題は無いので知らん顔。複雑に問題が絡み合ったジャーナル問題をどこからほぐせばよいのか、誰もが糸口をみつけられない状態が続いていた。だが、大型の研究費を獲得していない、例えば若手の研究者にとって、OA化するためのAPCが支払えず諦めるとしたら、それは日本からの研究発信にとって、大きなマイナスとなる。そこで、筆者は図書館長に着任してから、「ジャーナル問題を考える」セミナーシリーズを学内で行うとともに、学外でも問題提起を行ってきた。
なぜ、今回、4大学での「#転換契約」が可能となったのか?
今回、Wiley社と覚書を結んだ4つの大学図書館は、それぞれ個別に各出版社と交渉を行う中で、行き詰まりを感じていた。そのため、大手出版社の転換契約の動向や学術論文のOA化に関する情報交換を昨年の秋より行ってきた。ハブとなったのは、アカデミア界隈の随所で八面六臂の活躍をされる自然科学研究機構の小泉周教授。集まったのは図書館職員だけでない。例えば、文部科学省科学技術・学術政策研究所データ解析政策研究室 林和弘室長は、かつて日本の学会誌の編集に関わった経験もあり、本学の図書館セミナーでも講演して頂いたエキスパート。他にも内閣府所属の方もメンバーにおられる。zoomの勉強会を何回か行い、Wiley社の方も交えて事前交渉もしてみて、「行けそう!」という手応えを感じるに至ったのは、「日本の若手研究者の将来のためには、今、やるしかない!!!」という、遠近法の消失点のような共通ポイントを、それぞれの立ち位置から見通すことができたからだ。
また、本学では大野英男総長がジャーナル問題について造詣が深いことも大きな後押しとなった。総長は日本学術会議第二部部会長であった折に、この問題に関するシンポジウムを2回、開催され(上記引用拙ブログでも取り上げた)、「学術情報流通の大変革時代に向けた学術情報環境の再構築と国際競争力強化」という提言(2020.9.28発出)にも深く関わられた。
「やる!」と決めてからは目が回るくらい早かった。プロジェクト用のSlackを立ち上げたのは12月初旬。本学ではDX推進の合言葉として、理事・プロボストの青木孝文先生より常に「アジャイルに!」と言われ続けていたが、今回のプロセスは(民間企業では当たり前なのかもしれないが)、まさにアジャイル(直訳すると「素早い」「機敏な」)だったと思う。参加者がお互いのことを信頼し合うことができ、適宜、臨機応変に振る舞い、それぞれの時間を有効に使ってチームとしての成功に結びつけることが可能となった。もともと、1大学図書館のみではWiley社とは契約できなかったはずだが、4大学が足並みを揃えようとすることによって、対応がより加速した。
今回の4つの大学は、規模や役割がそれぞれ異なるため、パイロットプロジェクトとして、他大学の参考になると考えられるが、出版社との交渉のために必要な基礎データは「どのくらいのAPCを大学全体で支払っているか」の把握である。本学の場合も、このデータ収集に足掛け3年かかった。なぜなら、財務会計システムからAPCらしき金額を拾うのに、必要な「タグ」が付いていなかったからである。図書館が財務の方にかけあって、ようやく正確な数字をはじき出すことが可能になった。そういう地道な努力の汗と涙の結晶としての覚書き(MOU)締結である。本日は「友引」(実は、この日をプレスリリースにしようという話も、急展開だった……。対応頂いた各大学の広報関係者にも心より御礼申し上げたい)。さらに、このプロジェクトに興味を持って後に続く大学が増えることを願う。
本番はこれから
さて、実際の転換契約は4月からとなる。図書館からは、まず出版社に一定のAPC分を購読料に上乗せした金額を支払い、そのことによって、今回の4大学の研究者はWiley社の抱えるハイブリッド誌にOA論文を発表する際のAPCに関して優遇措置が受けられる。少々ややこしく、また個別の大学ごとに具体的な内容が異なるため、ここには記載しないが、これから、種々手を尽くして学内周知を図っていく予定である。
また、今回、転換契約を結んだWiley社以外にも大手出版社はあるが、出版社によっては国単位でないと契約できないなどの大きな問題が残されている。我が国の研究力を支えるインフラとしての電子ジャーナル購読と論文発表について、この問題に対処する必要があると考える。
総長からは「パイロットプロジェクト」を行ってみて、随時、必要な改正をしていけば良いと言われている。将来から振り返って「そのとき、歴史が動いた」のだと思えるようにしていきたい。