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五条天神宮〜日本最古の宝船図考8〜(松と胞衣信仰②)

 実は、日本最古の宝船図以降の、有職故実風の宝船図において、欠かせない要素の一つが「松」です。
 宝船図における松とはどういう意味を持っているのでしょう?

赤山禅院の宝舟図(『百寶船』より)。右上に松が。
吉田神社の宝船図(『百寶船』より)。左上に松。

 その鍵を握るのが、前回から話題にしている胞衣です。

胞衣と松
 公家や皇族、著名な大名などの胞衣を埋めた塚は「胞衣塚」と呼ばれて、特に千場の住む京都にはいまも数多く残されています。その胞衣塚に必ずと言っていいほど植えられているのが、松です。
 松には、生命力や長寿、末永い繁栄といった意味あいがあることは周知の通り。
 しかし、胞衣松の由来は、それとは少し異なります。

 「民俗の流れの中には産育にかかわるしきたり・行事が多岐にわたって存し、(中略)この胞衣のあと始末の仕方は、それ自体が私たちの祖先の“生命”に対する態度の一環でもありました。『胞衣納(おさめ)』と総称されるものがそれなのです。」
「随行者の列には河原者数名が加わっていて、穴を掘り、胞衣を納めた胞衣桶の入った壺を土中に埋め、小さい松を上に植える作業に従事していたのでした。」
「では、なぜ『河原者』だったのか。『胞衣』を汚物とのみ見、それを捨て去る営みだったとのみ観じてしまうことは、いくら鈍感な私にも最早不可能事となりました。この一点は、私の中の河原者史に重要な一石を投じてくれるのです。(中略)汚穢の始末、斃牛馬の処理――その解体(腑分け)から皮革生産にまでいたる作業、さらには山水の造築、そしてこの『胞衣納』の儀礼行為における注目すべき役割をも含み込んでの河原者たちの世界が、あきらかに一つの完結した円をなしつつ実在していたのです。その世界は、おそらくこれまで私が考えてきた以上に多くの隠喩を含有していると思うのです。その隠喩は、日本中世の人びとが共有していた『生命』についての、ある種の認識の仕方にも通底していることでありましょう。」

横井清『的と胞衣 中世人の生と死』

 このように、胞衣は、明治時代の“不潔”の観念より前に、中世においては“不浄”のものとみなされ、河原者と呼ばれる身分の人たちが丁重に埋葬していたといたことがわかります。
 こうした、生々しい生命に触れる機会の多い人というのは、上記にあるようなケガレをキヨメ(清目)る存在でもあり、いわば生と死の境界に触れている者たちでした。中世人にとってのそうした「生命」の捉え方、その象徴が「松」なのです。彼らの集落の境にもそれは植えられていたと言います。
 そうした松の役割は、山の神の依代として、新年に欠かせない門松とは近いかもしれません。「松」の「公」とは八白つまり丑寅(艮)の方角を指し、山の神(異界)の木ということになります。京都の旧いしきたりを守る家では、正月用の松の「根つき(根曲り)の松」と言って、あえて根をつけた、つまり生きた状態のものを飾りますが、山(異界)のものをそのまま持ってきた、ということが重要だからです。また、五条天神宮に限らず、古来の宝船図の表記は「宝舩」となっており、つくりが「公」であることはおそらくここに由来するのではないでしょうか。また、易の世界においてこの艮という方角は、童子、鬼を指します。ここでも少彦名を連想させます(艮の方角と童子の関係性については、吉野裕子さんの論考が興味深いですが、ここでは脇道に逸れる形になるので、記しません)。

言霊学において「松」とはどういうものなのか
 また、山口志道の言霊学において、松はこのように説明があります。

マツと云う、マは向うこと、ツは続き列なることにて、二葉相向いて列なるという名なり。松の葉の、片方の長きは水を宰り、片方の短きは火を宰りて、則ち天地、女男の水火(イキ)の与合いたるなり。故に常磐に列なりて、葉数のよみもあえぬを以て千代万代のためしに云うなり(訳者曰ー箸も、正しきものは長短あり。長きは水を宰る、則ち陰なり。短きは火を宰る、則ち陽なり。この陰陽交りて正しく食するを得るものであり、この二本は丁度松葉のそれに似たものであります。但し近未来の箸は何れも同寸にして、箸の使命に違えるものであります)

山口志道『水穂伝 水の巻二』

 これは何を言っているかというと、重要なところを意訳すると…
「松葉は、片方が長く片方が短い。それは天と地、女と男、水と火という組み合わせを表している」
「一年を通して枯れることなく緑を保ち、無数の葉を持つので、長寿や永遠性に例えられる」
となります。
 おお。松葉というのは確かに、一見同じ長さにみえますが、よく見ると片方は少し短いかもしれません。

 さらに、訳者の註がありますが(訳者とは、かの『日月神事』を下ろした岡本天明!)この註が大変興味深いのです。要するに、
「松葉の長さに長短があるように、本来、箸も長短があるのが正しい。けれど、最近の箸は同寸のものばかりで、本来の箸の使命と違えるものだ」
と。
 ところがですよ。箸の歴史を辿った史料を調べてみても、なかなか長短のある箸の遺物は見当たりません。木製ゆえ、そもそも朽ちてしまって残らないという…

なぶんけんブログ「箸を使う」より平城宮出土の木製箸。「木製・竹製の箸は土の中で腐りやすく、出土した箸が当時使われていた箸の全体像を反映しているのかどうか、その実態をつかむことはなかなか難しそうです」なるほど。

「違い箸」に見る、箸や松の本来の意味
 かつて日本人が使っていた箸に長短があったことを証明することは難しいかと思われたのですが、一つ、現代の日本にも続く、興味深い風習がありました。そちらを紹介することで、結びとさせていただこうと思います。

 皆さんは、「違い箸」をご存知でしょうか? 火葬後のお骨の「箸渡し」で使う箸は、実は、材質違い(木と竹)で長さも違うのだそうです。

葬儀で行われる箸の作法は「逆さ事」のため
箸渡しで素材と長さの違う不揃いの箸を使う行為は、普段とは違う非日常的な作法です。これは「逆さ事」に由来するといわれています。逆さ事とは、現世とあの世の世界を区別するため、あえて普段のやり方と変えたり順番を逆さにするという習慣です。箸渡しは「逆さ事」になるため、食事のときにはマナー違反とされています。
また逆さ事には、死者に関わることのないようあの世とこの世を分ける魔除けの意味も込められています。つまり普段の食事における箸渡しは、あの世とこの世を混同することになってしまうためマナー違反とされているのです。

シニア・エンディングの情報メディア「ひとたび」

「現世とあの世の世界の区別する」とは、まさに「松」の役割そのものです。
 そして、ここには「逆さ事」とありますが、むしろ、生と死のリアリティに肉薄する現場においては、現世で求められる利便性が優先されず、本来の箸の神聖なる使命が果たされている、と考えてもいいのかもしれません(現実問題、箸に長短があると使いにくいでしょうから)。

 以上のような、この松が持っている「あの世とこの世の境目」という意味合いは、最古と言われる五条天神宮の宝舟図以降、宮中や公家、寺社仏閣において刷られていった宝船図の数々に通底するメッセージの一つなのではないでしょうか。

こちらは五条天神宮で授与されている、もう一つの宝船図。我が家で飾っているもの。
最古の宝船図より時代は降るようだが、伝統的な有色故実風のモチーフが並ぶ。
もちろん、右上に松もある。

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