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『勇者によって追放された元国王、おっさんになってから新たなSSSランク勇者に指名され、玉座に舞い戻る』というライトノベルの感想

現前する社会を円滑に回すためであれば、どうあっても自分で考える意欲も能力もない人任せで無責任な衆愚などは摩滅するのが正解だろうが、宇宙の視点から彼らがなぜ存在するのかを考えれば、それは不正解だろう。彼らこそ悔い改める場が必要だ。とはいえ、愚かさの治療は難しい。自らを省みても至難だ。その認識は無意味ではない。

中身に賛同しつつ、かつ戦慄し、自らを振り返って気を引き締めつつ考えたのは、それでもこの絶望をどう希望へ転換すべきかということだった。確かにこれを読むべきは、これを手にとって悪寒を覚える人たちだとは思うが、悪寒ですむなら読んでおいた方が賢いだろうともいえる。なにせ現実は本当に甘くはないのだから、その通過儀礼を想像で済ますことができるなら人生より安い。

あとがきを読んでいてこの作者の得体の知れなさがなんとも恐ろしい。作者みたいな人が王であったなら、恐らくは私も臣下の礼をとるだろうが、一切油断できないことは間違いないし、駆け引きが成立しなくなるほど自分が愚かになり下がった瞬間に、全ての責任がフィードバックしてくるのは確実だとわかる。

フィクションゆえに突っ込みたくなるところもないではないが、これを読んで快感を覚えるとしたら(私もそうなのだが)、その性質こそ、次に向き合い反省すべきなのだろう。そういう意味でも本当に作者の意図が読めない。こんなレヴューも鼻で笑われそうだ。というか、笑ってほしいくらいだ。


ここに民主主義の根幹となる条文を挙げておこう。ある意味、愚かさの定義となると考えている。

日本国憲法
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。 又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。


日本国憲法は決まりごとの集合というより、(国際平和が成立した世界の)法則の体系として読むことで理解が深まる。前文が既にその体をとっているので着目してほしい。そして、この体系が崩れないように打たれた楔が、この第12条だろう。

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