機能不全家族育ちが実家から脱出したよ!私が"逃げた"理由と、当日までの長い助走期間の話。
こんにちは。パーソナルトレーナーのめいです。
職業はパーソナルトレーナー、職歴は20年ほどになります。
虐待の加害者は実の父親と母親で、彼らの世界観はこんな感じです。
1.私が実家を脱出しなければいけなかった理由
父親か、母親か、私か。
我が家ではDVと虐待が日常的にあり、家族の誰かが他の家族を殺めてしまう可能性と緊張感が高い状況が二十年以上に渡って続いていました。
私が実家からの脱出に成功した時は、その危険性が限界に達しようとしていたタイミングでした。
2.脱出するまでの長い助走期間の話
今思えば、虐待被害にあっている自覚のなかった時期から、脱出にむけて心は動き出していたのだと思います。
例えば児童文学からはキビシイ環境から経済的自立を果たすための心構えと、世の中にはどのような誘惑や落とし穴があるかという予習をさせて頂いていました。
そして自分が機能不全家族育ちの虐待サバイバーだと自覚してからは
じっくり実家(加害者)との距離感や関係性をどうすると良いのか考えて、
たくさんシュミレーションをして
貴重品や持ち出し品をまとめたり整理し直したりして
脱出のその日を迎えました。
3. 助走期間が長かったから、良かった。
私が機能不全家族を脱出するまでの助走期間は少なく見積もって二十数年あり、
しかも「もうダメだ、脱出しよう!」と決めて動き始めてからも、一発で実家を離れることに成功できたわけではありませんでした。
鬱や解離等の虐待の後遺症が悪化して身動きが取れなくなったり、脱出に失敗して実家に戻される度に
ここ(機能不全家族)から逃げるなんてムリなのかもしれないと落ち込んでいました😔💔
でも助走期間が長かったお陰でたくさん試行錯誤して自分と向き合う時間をもてましたし、
ひとりで生活していくのに必要な知識や経験値を増やすことができました📚👀
それがあったから何度目かの脱出チャレンジで実家を離れることに成功して、なんとか暮らしを軌道に乗せることが出来たと思います🏠❤️
当時は 何もかもがイヤでたまらなかったけど………
今は、あの永遠に思えた長い助走期間があって良かったと思います😊⭕