2月1日は「対話の日」鬱について考えてみた
毎日なんらかどこかの団体や個人が設定した記念日がありますが、今日は「対話の日」。
メンタルヘルスについて話し合うことが目的です。
今日はちょっと、鬱について自分の過去の経験をベースにお話しますね。
見出しも何もなく、思うまま書いていきますので、読みづらい部分もあるかもしれません。
なお、人によって体験も状況も異なるので、あくまでも私個人の経験からの考えです。
まず、「対話の日」にちなんで。
家族や友達が「最近ちょっと元気がないな」と感じたら、ぜひ話を聞いてあげてください。
でも鬱の場合は「大丈夫?」と聞かれるのは辛いです(個人的経験から)。
だってそう聞かれたら「大丈夫」と答えるしかないので。
鬱は本人が気づいてないことも多いです。
相当鬱が進んでいても、本人は
「ちょっと最近疲れてるかな」
「なんかネガティブなことばかり考えて気分が重い」
程度だったりします。
なので、無理に問いただすのではなく、
「最近どうしてる?」と軽い感じで聞くのがいいと思います。
それで話をしてくれる場合も、
「別に普通」という返事が返ってくる場合もありますが、
「何かあればいつでも話を聞くからね」という感じで。
気をつけなければいけないのは、「話をただ聞くことを徹底する」こと。
アドバイスされなくても、本人はわかっている、でも行動ができないんです。
私は鬱だと思っていませんでしたが、何年もたった後に
「あのときは本当に心配だった」
と親しい友人たちから言われました。
もしかしたら「自分は鬱だ」と意識できる人はまだそこまで深刻な状態ではないのかもしれません。
DVの被害者が「私が悪いから」とか「普段は優しいから」といろいろ理由をつけて、なかなか現実を直視できないのと同じです(これも経験ずみ)。
どっぷり深い状態にはまっているときは、自分ではそこまでひどい状態だと実感できないことが多いです。だから周囲から見ると、突然命を絶ってしまったように見えることも多いんですよね。
ストレスが重なって、どんどんネガティブになって、知らないうちに体も心も状態が悪くなり、それが自分にとって普通の状態になってしまう。
「調子悪いし、なんとかしなきゃ」とわかっていても、抜け出し方がわからない。
周りは「こうした方がいい」と色々アドバイスをくれても、そんなこと本人が一番わかっている。できないから辛いんです。
アドバイスを受ければ受けるほど、それがプレッシャーとストレスになる。
私が鬱を抜け出すきっかけを作ってくれたのは、
「ただただ話を聞いてくれる友人の存在」
でした。
鬱のときは、同じネガティブなことをずーっと考えているので、話を聞く方も同じ話ばかり、しかも超ネガティブな内容で友人も相当辛かったと思います。
でも、何ヶ月そうやって話を聞いてもらっているうちに、少しずつ前向きに考えられるようになったんです。
どうしてなのか?
「ただただ話を聞いてくれる存在」は本当に大きいです。
だって、「こんな気持ち誰もわかってくれない」と思っているわけで、誰にも話せなかったり、勇気を出して話してみても「こうした方がいい」とかのアドバイスばかり。
あとは、毎日電話をくれる友人たちがいました。
別に用事もなく「今何してた?」とかの短いもの。
電話に出るまで呼び出され続ける。
「もう、うざいなー」
とか正直思っていました。
これはものすごく後になって知ったことですが、生存確認だったそう。。。
毎日交代で電話をして、3時間だったかな、出なかったら警察に連絡する、と。
そんな感じで取り決めていたらしい。
だからね、話ができそうな感じだったら、ただただ聞いてあげる。
「うんうん、そうだね」
と。決して否定はしない。
「わかるよ」
ということばも地雷になることがあるので、避けた方が無難。
もし、ちょっとした会話もあまりしたくなさそうな感じだったら、
「気にしてるよ」
という意味で何気ない会話をしたり、頻繁に連絡をとる。
知人の家族にもありましたが、本当に傍目から見たら仕事もプライベートも順調そうなのにいきなり。。。とかあります。
特に「疲れた」ということばが頻繁に出るようになったらサインの可能性もありますので、気にかけてあげるといいと思います。
あとはあたりまえの普通のことができなくなります。
たとえば、ご飯を作る、食べる、お風呂に入る、など。
今まですごくきちんとしていた人の身だしなみに変化があるのは、一番わかりやすい兆候です。
なぜか?
「自分を大切にしなくなるから」
どうでもよくなってしまうんですよ。
それこそ食べるのも、お風呂入るのも億劫になる。
さらにずっと同じことをぐるぐる考えているため、不眠にもなります。
そうするとさらに体も心も休むときなくて、ネガティブ思考が進みます。
体にも、もちろん負担がかかるので、当然不調になって。。。
悪いサイクルに入ったまま抜け出せない状態になります。
今では自分の過去を冷静に見つめることができますが、当時は全くそんな余裕もなかったし、不思議と細かいことまでは覚えてないんですね。
自分がどんなことでどれほど苦しんでいたかなんて、ぽっかり抜けてる感じ。
客観的思考が働いてなかったせいなのかもしれません。
まだ自分が鬱だと自覚できる場合は、対処できることもありますが、
そうでない場合は、医者ではなく信頼できる人のサポートが必要になります。
医者は他人ですから。鬱を自覚している人には効果があるかもしれませんが、深い深いところに落ちてしまうと、他人に話をするというのは非常に負担になることもあります。
あと薬で一時的に気分がよくなっても、飲み続けないと状態が保てないので、結局長年飲み続けることになります。
「もう大丈夫」
と思ってやめたら、ぶり返したり。
薬は否定しませんが、できれば自然と状態が改善するに越したことはないと思います。
ケースバイケースだとは思いますが、私はあの時、無理やり病院に連れて行かれなくてよかったと思っています。
そもそも病気だいう自覚がないので、通院を進められても行きませんし、外に出るのも辛い。外出のための支度もちゃんとできないし。。。
状態は徐々に進行する場合もありますが、一気にドーンと落ちるケースもあります。
一気に落ちるケースとしては、おそらく普段から自覚がないだけで鬱だった可能性が高いのではないかと思います。何かが引き金になって。
私の場合といえば、気づかないうちに実は鬱になっていて、あることをきっかけに一気に落ちたんではないかと思います。
いや、もしかしたら、徐々に進行していたのかもしれない。。。
今となってはわかりません。
あと、一度重い鬱になった人はまた鬱になる可能性も高いです。
もともと繊細だったり、傷つきやすかったりするので。
元気な状態に戻っても、それはなかったことにはならないんですね。
だから、何かのきっかけでまた思い出してしまったり、普段意識していないだけで引きずっていたり。
同じようなことが起これば思い出すし、過去に引きずり戻される感覚があったり。
だからできるだけ冷静な、元気な状態のときに、きちんと振り返って自分と対話することが大事だと思います。
私がジャーナリングを勧めているのは、単に「自分もっとよく知ろう」というだけではなく、メンタルヘルスの観点も大きいです。
たとえ親しい相手でも、なかなか自分の本当に考えること、感じていることをことばで伝えるのは難しい。自分の気持ちを誰かにシェアするのは苦手。
そんな場合はノートに書くのが一番です。
ただ話すのと違って、あとで読み返すこともできますし。
そうはいっても、重い状態では書く意欲もなくなりますので、やはり周囲が気を配ってあげるのが一番だと思います。
腫れ物に触るような態度は逆効果ですので、ごく普通に接すること、これが大事。
あとは、家族でも普段からあまり対話がない場合。
「愛してるよ」「大切に想っているよ」ということを示してあげること。
普段からハグをよくする。。。というのは普通の日本人にはちょっと難しいかもしれませんが、大切であるということを口に出すのはできますよね。
普段もしそういうことを言わない間柄なのであれば、逆に言われたことが心に残って、最悪の決断を思い止まってくれることもあると思います。
これももちろんそうではない場合もあります。
愛する子どもと奥様がいて、金銭的にも余裕があって。。。
それでも命を絶ってしまう方も。
本人にしかわからない、本人さえわからない苦しみを感じている場合もあります。
でも行動すれば、もしかしたらそれが支えになったり、ふと思い出してくれることもあるので。
大切な家族や友人とは、普段からできるだけ顔を合わせて対話する機会を持つ(チャットではなく)。
そうすることで、早い段階で気づいて力になってあげることもできるし、変化にも気づきやすくなります。
チャットだけだと、なんとでもいえるので実際の様子はわかりませんから。
なかなか会えなくてチャットだけの友達にも、たまには電話をしてみましょう。
普段チャットだけだと、相手はびっくりするかもしれませんが、
「うーん、久々に声が聞きたくなって」とか
「話した方が早いと思って」とか
理由になる理由はなんでも。
ビデオコールの約束を取り付けるのもいいと思います。
最近は付き合うのも別れるのもチャットだったり、チャットの返信スピードで愛情を測る。。。なんて話も聞きますが、うーん。
実際に顔を見たり、声を聞いて話すことはコミュニケーションの基本で必要なことです。
鬱は年齢関係なく、年配者もかかります。
特にずっと仕事一途できた人が定年退職して何もしなくなったり、子育てと家族の世話に忙しかった母親が子育て終わったり。
普段は用事がない限りご両親と話すことがない人もいるかもしれませんが、
たまには「最近どう?」と用事がなくても電話してあげてください。
両親と修復不可能なレベルにこじれていたり、虐待を受けていた、という場合以外は。
私は小さいときに母から言われたあるひとことが、大人になるまでずっとしこりになっていて、母と仲良くするとかできなかったんですね。
でも、自分が母親になってからその話をして。というか話す勇気ができて。
そのとき対話できていなかったら、わだかまりを抱えたままで、母との関係も改善できなかったかもしれません。(今ではなんでも相談できて仲良しですよ!)
友達や家族のメンタル状態のチェックというのもありますが、何もなくても万一悪くなったときに、「寄りかかってもいい存在がある」ということを覚えておいてもらう。
そういう意味でも、できるだけ声がけや会話をしていくのが大切だと思います。
なんだか取り止めない文章になってしまいましたが、今日はこの辺で。
では最後はいつものようにジャーナリングお題を。
<今日のジャーナルお題>
ジャーナリングは自分を見つめ、成長していく上で欠かせないもの。
モーニングページのように、ただただ頭に浮かんだことを書いていくのもいいですが、
習慣になるまで「面倒」「書くことがない」という人もいると思います。
毎回記事の最後は記事テーマに関連するジャーナルお題を載せています。
今日のお題は、
普段ジャーナリングをしない人も、数行やリスト的な感じでもいいので
ぜひ書いてみてくださいね。