正解の探し方
私が小学1年生くらいの頃
図工の授業で
先生が「目を隠して」の合図で
「スイミー」の絵本を
読み始めたことがありました。
私は机に突っ伏し
波打つ木目を見つめながら
「なんで、こうしているんだろう?」
「いつまでこうしているんだろう?」という
疑問や不安が
ずっと頭の中にありました。
読み終えた後 先生が
「印象に残ったシーンを
描いてみましょう」と言い、
それぞれ画用紙に向かったのですが
クラスの子は大方、
絵本のクライマックスである
スイミーを「目」にした大魚の絵を
描いているのに、
私が描いたのは序盤の
海の生き物達の絵
「あ、皆んなと違う」
なぜ、それをするのか
意味がわからないまま
自分は求められている正解に
辿り着けず、
「皆んなと同じように出来ない=失敗」と
捉えていた思いが
長らく心の底にあったのです。
その頃の違和感の
答えに手を差し伸べてくれたのは
息子でした。
息子は新しいことをする時には
しっかり観察をしてから
行動に移す慎重タイプ
時間をかけてでも
「なぜ、これをするのか」と
納得しないと動かない。
そして、やっと動き出しても
大人からみれば「?」な
遠回りをしたり、
やきもきすることも多いのですが
自分なりの方法で挑戦し
習得していくので
時間をかけながらも
自分のものにする力があるのです
そのことに気づけなかった時は
私のせっかちな性格が災いして
行動を促すような
コントロールをすることも
ありました。
けれど、
自分で納得した上で
時間をかけて取り組み
理解を深めることは
かつての私が自分に対して
したかったことだったな…と
気づくことが出来
それ以降
息子の新しいチャレンジの時は
見守りに徹しています。
この気づきを経て
私の中で
「わからなさ」を感じ
「わからない」と認められることは
大きな強みだと感じています。
講座を受ける側から
伝える側になった時、
学んでいた時の
「違和感」のセンサーにひっかかった
自分の中の「わからなさ」を
時間をかけて
咀嚼したことによって
私が伝えられる
講座の形になっていると
感じています。
大人になればなるほど、
万人に届く100点の正解はないけれど、
自分が考えに考えて出した
正解に共鳴いただける方と
繋がっていきたいと思っています。