髙橋早苗

エッセイスト・ヨーガインストラクター・セラピスト \本音を勇気に繋げるセルフコーチング/の 自分自身への実践の場として ネガティブ体験という人生の「行間」に 価値という光を届けるエッセイを綴っていきます

髙橋早苗

エッセイスト・ヨーガインストラクター・セラピスト \本音を勇気に繋げるセルフコーチング/の 自分自身への実践の場として ネガティブ体験という人生の「行間」に 価値という光を届けるエッセイを綴っていきます

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今につながるラブレター

世の中にたくさんの表現方法がある中で 私はすぐに「書く」ことを 選んだ訳ではありません。 幼い頃の両親との関わりから 「自分の想いを表現すること」を 自分自身に許していなかった為、 書くことに関しても 作文や読書感想文、 日記に至るまで 自分の想いや感覚を 言語化することが苦痛でした。 そんな私が書くことに 自分自身で許可を出せたのは 18歳の時 ある一人の先生との出会いでした。 文学の非常勤の先生で、 お名前は忘れてしまいましたが、 東北の柔らかい言葉で話す 上品な

    • 正解の探し方

      私が小学1年生くらいの頃 図工の授業で 先生が「目を隠して」の合図で 「スイミー」の絵本を 読み始めたことがありました。 私は机に突っ伏し 波打つ木目を見つめながら 「なんで、こうしているんだろう?」 「いつまでこうしているんだろう?」という 疑問や不安が ずっと頭の中にありました。 読み終えた後 先生が 「印象に残ったシーンを 描いてみましょう」と言い、 それぞれ画用紙に向かったのですが クラスの子は大方、 絵本のクライマックスである スイミーを「目」にした大魚の絵を

      • 手離しのお話①黒いロングコート

        第1回目 黒いロングコート 寝室に入ると 白い壁に 存在感を放つ 礼服用の黒いコート 引越し後 中段のある押入に入らず 仕方なく壁に掛けていました 黙っていれば きれいめのコートですが 「礼服用だから」という 思いがひっついていると 普段着るにも 抵抗があります そして何よりも そこにあることで 誰かのお別れを 待ち構えているような 気持ちになり、 それなら手離そうか、と ようやく思い至りました コートを買ったのは 今から6年前のこと 結婚をして、 1年と経た

        • 古巣に行った日

          昨日、2ヶ月ぶりに 引っ越し前に通っていた幼稚園の イベントに声をかけていただき 息子と出かけてきました。 朝から 「何となくお腹が痛い」と言いつつ 「けど、行きたい」の やり取りを経て 最寄りの駅に降りたって歩いて行くと、 幼稚園の塀にかかれた ニワトリとヒヨコの絵が見えます。 その時に初めて 「不安だよ、怖いよ」と 息子が言いました。 訊いてみると 自分がもう、 忘れられているのではないか と感じていたのだそうです。 「大丈夫、そんなことないよ。」 そう伝え、

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          こじれをほどく

          いいことや 素晴らしいことを言う人は 嘘臭い人 わかるわかる!という人は 軽薄で適当な人 誰がそう思っていたのか そう、今までの私です・・・ そして極めつけは 褒められたら、 心の中で一歩ずつする後ずさり! その場にいるのが いたたまれなくなってしまう かつての私は 何でも素直に受け取れなくて 「思いやり」や「親切」を すぐに 「何か裏があるに違いない」と 受け取り拒否をしていました。 書き綴ってから 客観的に見てみると 自分のこじれ具合に びっくりするけれど

          こじれをほどく

          自分の感受性くらい

          今朝、起きた時に とある詩を思い出しました。 初めて茨城のり子さんの詩を 知ったのは、中学生の時 父が童話社の詩集を 買ってきてくれたことが きっかけでした。 感受性という言葉の意味を 当時は どう解釈していたのかは わかりませんが、 さいごの「ばかものよ」の インパクトが 忘れられずにいたようです。 年を重ねながら感じてきた 自分の生きづらさが その感受性ゆえの 「繊細さ」というピースであり、 その概念を 自分の内面の違和感に あてはめることで 随分と自分の心

          自分の感受性くらい

          短所は長所

          昨日は息子の習い事の 面談日でした。 年末の引越しにおいて 大きく環境が変わる中、 変わらない場所も残したいと思い、 習い事は続けることにしました。 面談では 日々の親子の関わりや 息子の好きなこと 夢中なことについて 担任の先生と話していきます。 先生とは、 妊娠中からのお付き合いで 気心も知れた仲なので 早い段階で わが家の事情について お伝えし、 それを知った上で 変わらぬお付き合いを してくださいます。 ひと通り話し終えると 先生が お母さん、 顔が明る

          短所は長所

          あの時の言葉

          人生の折々に  思い出す言葉はありますか? 私は かつての上司からの 言葉がずっと 心に引っかかっていました。 幼いころから 承認欲求が強かった私は 素晴らしい人と比べては 「自分は、どうせダメだ…」と拗ねたり ちやほやされる人を見ては 「その程度で、どうして褒められるの?」 と妬んだり、 なかなか 心中が 穏やかではありませんでした。 いつも 他者の領域という枠の中にいて 上手く立ち回れない 自分に苛立ち、 自分に寄り添い 甘やかすことは 負けることと思っていま

          あの時の言葉

          お昼寝へのハードル

          私が朝早くに目覚めると ほどなくして、息子も起きてきます。 まだ、朝の5時。 「そんなに早く起きて、平気?」ときくと、 「そうしたら、お昼寝出来るかもしれないから」と ぽつり。 保育園に入って2週間、 少しずつ馴染んできたものの 眠れないお昼寝の時間は 苦痛なようです。 保育園に勤めたことのある友人に そのことを相談した時、 「お昼寝を一緒にすることは、 一緒に銭湯に行くくらいの心理的な ハードルがあるかもしれないよ」と 教えていただきました。 他人と一緒にお風呂に入

          お昼寝へのハードル

          枠を超えていく

          母とのことを ぐっと掘り下げると 思わぬ母との共通点が出て 理解には至ったものの、 そこから先に進めなくなりました。 私は、物心ついた時から 人から「認めてもらいたい」という 承認欲求を強く持っていました。 求める割にアピール出来ないので 心の底の重い思いは叶えられず ネガティヴな経験をする度に 自分には価値がないと 思ってきたのです。 そこを掘り下げていくと 両親との幼少期の関わりと なってくるのですが、 私は母よりも、 父に対して認めてほしいと 思うことが多かったの

          枠を超えていく

          誕生日への思い

          1月17日の誕生日 私は毎年、写真を撮ってみるのですが しみじみ見るまでもなく 顔が痩せたのか、何だか しゅわっと縮んだような感じ また一つ歳を重ねるからこそ ちゃんと食べることを 大切にしようと感じました。 そして、この誕生日の日は 私にとって 忘れられない日でもあります。 29年前の大阪で 私は阪神大震災を経験しました。 大きな縦揺れの恐怖が あったものの 幸い我が家は 食器が割れたくらいで、 怪我もなく済みました。 日が昇ってから 続々と現状を知らせるニュ

          誕生日への思い

          私と母の願い

          幼少期の母とのことを 前回の投稿で触れたので、 もう少し書いてみたいと思います。 そもそも、私は 何のために入園までに トイレトレーニングを間に合わせず 幼稚園で粗相を繰り返したのでしょう? 私が生まれる数年前(1981)に 国産メーカーの 紙おむつの販売が始まりましたが、 当時の我が家は布おむつ。 私自身も 息子を布おむつで育てていたので よくわかるのですが、 紙おむつの進化に対して じっとり濡れた布おむつの不快感は 世代が変わっても変わりません。 そして、その不快

          私と母の願い

          心のゆとり

          今週から保育園が 本格的に始まりました。 本格的、というのは 朝から夕方までの フルコースということ 朝、息子を保育園に連れて行った時 先生から私への 「行ってらっしゃい!」が とても新鮮で、 これが保育園なんだ!と 実感しています。 今までの環境の「当たり前」が 「当たり前」ではなくなること。 子供の頃は 転校を経験する度に 親、学校、友達のせい…と 変化に対して、 不満を感じてばかりいました。 しかし、 高校卒業と共に 親元を離れるという 環境の変化が訪れた時

          心のゆとり

          ノイズを減らす

          三連休の最終日は 午前中に本棚を組み立て 平積みになっていた絵本をしまい、 午後はトイレの不具合から 業者さんの手配と 引っ越しから半月 まだ行きつ戻りつですが、 家の中が大分整ってきました。 家の中が整ってくると、 頭の中の「これしなきゃ」の案件が ぐんと減ってきます。 そのくらい、 目の前に映るものが ノイズとなってしまうと それに引っ張られ、 時間や集中力を 奪われてしまうのだなと感じます。 今回の引っ越しでは テレビも手放しました。 テレビをつけることは

          ノイズを減らす

          もやもやの中に

          エッセイを書くことで しばらく休んでいたSNSを 少しずつ再開しています。 すると、そこからコメントや ダイレクトメッセージを いただくことがあるのですが、 いつも もやもやと 引っかかる人がいました。 私の経験に対して、 「自分もそうだった」というもの。 一見、共感に見えるけれど 「わかってほしい」が透けてみえるもの。 嫌だな、と感じる部分とは 私が自分に対して 許せていないことです。 まずは、私こそが 相手に対して 「ただ、わかってほしい」と 思っている。 そし

          もやもやの中に

          やさしい世界

          家から 少し頑張って歩くと 大きな大きな公園があります。 ここは、私の中の パワースポットとなっていて、 若かりし頃 悩みごとで 心がもやもや、ざわざわする時 よく訪れていた場所でした。 数年ぶりでもそこは 大らかな空間が拡がっていて 大地と樹々と空という シンプルなゆりかごの中に すっぽり包まれるような 安心感があります。 昔は 頭の中を空っぽにしたくて ただただ早足で歩いていましたが 今は 隣に息子がいて しりとりをしたり、 枝や木の実を集めたり、 お散歩中の犬に

          やさしい世界