書くことによる「癒し」と、書かないことによる「癒し」

世界的な売上を誇るアパレルメーカーの創業者の自伝を読むと「自分が解決したい悩みをノートに書き出していった」というくだりに出会います。ほかにも「その日あったことを毎日3行書くだけで自分が変わる!」とか、書くことで何かを解決できると主張する方はとても多いです。また、カウンセラーと呼ばれる方にも「あなたのその悩み、言語化してみませんか?」的な売り込みを図っている方がいます。

ただ、思うにこれだと「書かなきゃ」という負荷を自分自身にかけてしまうのではないかという懸念も頭をよぎります。

臨床心理の大家、河合隼雄の著書に「先生、自分の悩みを、言葉に出さずになんとか克服することができました」とクライエントから告白されるシーンが出てきます。氏曰く、日本人の場合、なんでも言語化することが必ずしも問題の解決や心の癒しにつながっているわけではないのではないか、と。言葉にすることで「自分はこんなにひどいことを考えてたのか」とさらに自分を傷つけてしまうこともあるのではないか、と。

つまり、「こうしたい」という動機に突き動かされるよりも「こうしなきゃ」という心理なり暗示によって自らが動かざる得ない状況が増えると、人は心身ともに、かなりくたびれてしまうのではないでしょうか。

コピーライターの糸井重里さんは、吉本ばななさんのお父さんで思想家の吉本隆明さんとの対談で、「今の日本人って、周りに困っている人がいるのに自分が何もできない、つまり善人になり切れないという悩みを抱えていると思うんですよ」という趣旨の発言をしています。これに対して吉本さんは高僧の親鸞聖人の発言を引きながら「助けたけりゃ助ければいいし、助けられなければ助けないで良いのではないでしょうか」と答えています。

つまり、書きたきゃ書けばいいし、書きたくなきゃ書かなくてもいい。「こうしたい」ではなく「こうしなきゃ」に縛られることをなるべく無くす方が、生きる上でラクなのかもしれません。

ちなみに、物事を判断する上で「◯◯かもしれないし、それとも△△かもしれない」という幅のある思考軸を持てれば、自己変容を促しやすいですし、より柔軟な自己を保てるような気がします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?