「一番かわいそうな世代」と言われた大学生活を振り返る。
「一番可哀想な世代」
コロナ禍でそう言われ続けた僕は、現在21歳の大学4年生。昨日、学生時代最後の学園祭が終わってしまった。
振り返れば
大学生になってからしっかりと学園祭を味わったのは去年と合わせて2回目だ。確かに、ドキドキワクワクしながらドン底に落とされたスタートだったから、可哀想な世代なのは間違いないとは思う。
学園祭といえば、みんなで屋台をしたりステージでパフォーマンスをしてその場の主人公になれるイメージだが、僕は妄想で終わってしまった。
そもそも
大学生になったら軽音サークルに入ろうと思っていた。高校二年生で音楽と出会い、ギターを買ったから。ところが、どこからともなくやってきた"コロナ禍"はそんな僕の予定を全部壊した。そもそも、大学の入学式は存在しなかった。なんなら高校の卒業式も無くなった。
当時、高校で生徒会長を務めていたから、最後の仕事にずっとワクワクしていた。卒業生を代表して読む"答辞"は、僕が生徒会長を目指した理由の一つでもあった。誰もが感動する文章を書いて、代表としてステージ上で読むことに、この上ないかっこよさを感じていたから。あの頃は、なんとか勝ち取った生徒会長という役と答辞を読む権利にワクワクしながら毎日を過ごしていた。高校三年生の自由登校の時期も僕は一人で教室に通っていた。三年間を過ごした学舎で、誰もが涙を流すような文章を考えてやろうと意気込んで。
そんな所に飛び込んできた、体育館での卒業式中止という知らせは流石に言葉を失った。最後の舞台が呆気なく無くなってしまった瞬間だった。
それから
気づけば大学一年生の前期は終わっていた。大学生になってから友達は誰一人出来ていないし、大学にも一度も行っていない、勿論あんなにワクワクしていたサークル活動も一度も無かった。そんな強制引きこもり生活に、とても将来が不安になっていた覚えがある。沢山話し相手になってくれた高校の友達が、唯一の救いだった。
結局、初めて大学に行ったのは大学一年生の夏ごろだった。生徒会長になった頃から支えてくれた彼女とも会うことが出来ずに別れ、僕は静かに地元を離れた。それからいつ、サークルの活動があったのかは知らない。ただ、知らないだけで活動はあったらしい。
大学三年生になった頃、やっぱり軽音サークルに入ってバンドを組みたいと思っていた僕は、軽音サークルの集会に何回か参加した。しかし、そこでは既に仲間内が出来ていた。大学側からあれほど制限されていたサークル活動の中、どこで一歩踏み出しやがったんだと悔しい気持ちでいっぱいになった。しっかりとルールを守ってしまった僕は、結局サークルに馴染めず、今でも名前だけ所属の幽霊部員だ。
いつの間にか、大学生最後の学園祭も終わってしまった。沢山の観客が見ているステージの上でパフォーマンスをする他の学生は眩しすぎた。もう僕には簡単に叶えることが出来なくなってしまった。ステージ上でのパフォーマンスを淡々とこなす後輩たちには、正直、羨ましい以外の言葉が見つからない。
やるせない気持ちときっと一生消えない後悔が生まれてしまった。ただ、事実として同世代でもステージに立てている人がいるということ。それだけが揺るぎない事実だ。あれだけ制限されていたサークル活動もモノともせず、学園祭で主人公になれてる同世代の人がいる。
行動すること。
僕が4年間の大学生活を経て学んだことは、行動することの大切さだ。人生の主人公は自分で、自分がどう生たいか。それが一番大切なんだということ。周りに揃えずに、一歩踏み出す行動力を持つことで夢に近づくということ。僕の将来の夢は、アーティストになることだから今回の後悔と失敗は、僕にとっては大打撃だ。ただ、ここからまた学んで行動力を磨けばいい。失敗も成功の元だ。コロナ禍も何も失敗ではない。そう前向きに考えられたら、この後悔も夢を叶えた時には良かったと思えるはずだ。