あなたの希死念慮はどこから?
小学校2年生までは本当に目立ちたがり屋の誰とでも友達になれるクソガキだった。
小学校3年生で東京から愛知に引っ越したところから何となく歯車が狂ってきたような気がする。
なんというか、あまり治安が良くなかったというか、田舎特有の閉鎖的なコミュニティのせいで、余所者である自分は遺物として排除されることが多かった。
それでも3,4年生はそのままクソガキだったのだが、5年生で学年のボスに目をつけられてしまい、物を盗まれたり無視されたりが始まった。
そのあたりから希死念慮というか、「死んでもいいんじゃないか」という気持ちが生まれた。
休み時間はいつも学校の最上階の窓から下を眺めて、ここから飛び降りたら死ねるかな、と思っていたし、帰り道の線路で飛び込んだら死ねるかな、と思っていた。
常にぼんやりと「死ぬこと」が頭の中にあった。
5年生の頃から塾に通い始めて、毎日親に殴られるか怒号を浴びせられるかのどちらかをされてたのも多分理由だと思う。
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中学に上がったら、小学校の時のボスは私立に行ったので、しばらくはまたクソガキに戻った。
ただ、3年生になってまた学年のボスに目をつけられて、いじめじみたことをされてまた希死念慮が発生する。
この頃も変わらず親からの暴力と罵声は無くなっていなかったので、それも理由にある。
その頃、メンヘラの女と仲良くなって、リストカットを教えられ、自傷行為が始まる。
後ほどそのメンヘラ女に影で嫌われていたことが分かり、またそれがきっかけで病む。
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高校生になって、もうクソガキの要素は無くなって、大人しくすることを覚えた。
とある女に学校生活を狂わされて、本気で死のうと思った。
毎日「ここから落ちたらもう学校に来なくていいのかな」と思っていた。
学校に行きたくなかったが、親に言っても学校に行くことしかお前に出来ることは無いと言われ、休む選択肢を与えられることは無かった。
この頃からTwitterの精神病アカウントを運用し始めた。
この毎日感じているものが希死念慮ということ、自分はうつ病なのではないかということを知った。
この頃精神科に行ったが特に何も良くなることはなく、すぐに行くのを辞めた。
腕の傷がどんどん深くなった。
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大学に入ってから急激に今まで感じなかった不安感が襲うようになり、この世の全てが恐ろしく、パニック発作が出るようになったため、精神科に行くようになった。今もお世話になっている。
自分が全般性不安障害であること、躁鬱の気があること、ADHDとASDであることがわかった。
トリンテリックスを処方されたのがかなり大きな進歩で、あれを処方されたすぐは世界が輝いて思えた。(今考えるとどデカい躁転だったと思うが)
躁鬱の気の対策としてラツーダを処方された。普段はあまり効果を感じないものの、切らすと途端に落ち込みが異常なほど発生するので、なくてはならない存在である。
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結婚してからだいぶマシになったが、夜になると今でも酷い希死念慮に襲われるし、夫と喧嘩すると自傷行為に走りたくなるので、頓服としてリボトリールとリスパダールの液を出してもらっている。
リボトリールはレンドルミンだけで眠れない程度の不安感がある時に飲んだり、コンサータの抜け目で抑うつが酷くなった時に飲む。眠気がそこまで出ないので割と簡単に飲める。
リスパダール液は本気の希死念慮の時に使う。
このままでは自殺or自傷行為をしてしまうというときはまず水を用意して薬を飲む、という所まで至れないので、チュッと飲むだけでいい液状の薬である必要があるのだ。
飲むと30分もすれば気絶するように眠りにつくので、状態が本当に宜しくないときに使う。しかし飲むとその日1日使い物にならなくなるので、本当に最後の手段として使っている。
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薬のおかげで一年以上自傷行為をしていない。
希死念慮は普通にあるが、付き合い方を覚えたというのが正しいかもしれない。
一度でも「死んだら解決するんじゃないか」という極論にたどり着くと、人生のうちの選択肢に常に「死ぬ」が入ってくるので、それを薬で落ち着けることをするのがこの人生らしい。
とりあえずは落ち着いているので、しばらくは大丈夫だと思う。
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