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「きこえとことばの教室」

夏休み終わりかけの、ある平日午後、とある出張に行ってきた。

8月上旬に、いきなり教頭から「急で悪いのだが出張が入った」と伝えられ、さいわい出勤日ではあったので、まぁ仕方なく赴いたわけです。


三人の先生からの講義を聞けたのだけれど、その三人目の先生による話を、とりわけ深く興味を持って拝聴した。

その方は、わたしが勤務する市内の、某小学校に設置されている、『きこえとことばの教室』にお勤めの先生。

ご存じの方には、『きこえとことばの教室』というフレーズだけで伝わると思いますが、つまり吃音・難聴・構音に関する通級の教室というわけ。


端的な事実だけ記すけど、実はわたし、父親として、当時小1だったむすめを連れて、この教室に通っていたことがある。

十年前の出来事なので、わたしは初任者としてすでに教員生活を送っており、たしか「子育て休」のような特別なかたちで、四時間目を終えたあと、むすめの通う学校に迎えに飛んでいった記憶がある。

(夫婦で交代で連れて行っていた)

「授業」中、わたしも、小1のむすめの傍らに座り、ベロの形の特訓を受けているむすめの様子を見ながら、その実、

「こんな形の特別支援学級があるんだ、へぇー」

と、そのありようについて、しみじみ感じ入った。

ちなみにまだこの頃は、その後、他ならぬおのれが、特別支援学級に関わるとは、ちっとも思っていなかったんじゃないかなー。

さらに「ちなみに話」を続けると、我がむすめは一年弱でその教室を卒業し、小学生のうちに金管バンドに入り、中学で吹奏楽に進み(トランペットを選択)、高校2年生のいまも、続けている。

(ことばの問題の方は、きちんと定期的に通うと、一年程度で卒業できるくらい、その力は向上するのだそうだ。)

彼女は、進路先に「音楽の先生」も考慮しているというから、これは、十年前の先生にも感謝ひとしおである。


そんな思い出が脳裏をかすめつつ、講義を聞きつつ、その最後に知らされたこと。


PP資料の最後のページ


ザ・後継者問題。

いま、その学校の『きこえとことばの教室』に関わる4人の先生のうち、実に3人が、「再任用」という雇用形態で働いているという。つまり、その先生方のご年齢は、推して知るべし。

(講義者の先生も、「再任用」のおひとりだった)

残るお一人も、それなりのお年を召されているとか。


お話をうかがって、ちょっと、「自分にできることがあるか」、いちど真剣に考えたいと、実は思った。

きっと来月には、「8月にあなたが受講した認定試験の単位、あげるよ」と、県から連絡が届き、それを以て、特別支援学校教諭免許状取得に進むのだけれど。

やっと、そのための勉強が、とりあえず一旦は(そのためには)終わるのだけれど。

また、新たな勉強を、始めたいかも。

と、そんなことを、あくまでもまだ思いつきレベルに過ぎないけれど、8割、9割の確率で翻意するような気もするけれど、でも、挑戦をしたい気持ちも、ちょっとだけ芽吹いている。

お話を伺って今日でちょうど十日経つけれど、いまだ心に燻っている思いが、ちょちょいとある。

こんな、ふわふわとした程度の心の内奥を記してどうすんねん、と我ながら思うけれど、『きこえとことばの教室』という存在と、その存続の問題(それは、わたしが勤める市の教室だけでなく!)については、記録すべきだと思い、したためてしまいました。

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