ジョセフ・コンラッド『青春』
『失われた時を求めて』の投稿はまだまだおそらく続く。ちょっと疲れたのと、『失われた時を求めて』を読み返すのに時間がかかっている(本当に研究みたいになってしまっている)ので、休憩(?)ということで、ジョセフ・コンラッドの短編を紹介します。
コンラッドの『青春』と『台風』という二編がセットになった本(僕はkindle(田中西二郎訳)で買ったのだけど、もう紙ではないのか?)から、『青春』のほうをば。この『青春』、最初の場面では酒場で男たちが飲んでいる。飲んでいるのは、会社社長に会計士に弁護士、それに私という全体の語り手、そしてマーロウというこの話の中心人物である船乗り。この小説はマーロウ(『ロード・ジム』や『闇の奥』でも語り部として登場)が語るのを聞くという形式で書かれている。そのためとても生き生きと物語が語られる。語られるのはマーロウが運搬船で石炭を運送したときの経験談だ。
マーロウの乗った船に水が入ってきて、それをポンプをつかって必死に外に出したと思ったら、今度は石炭が熱られて引火し、火事になる。今回引用するのは、どうにもならなくなって船を捨てて逃げ出す場面。マーロウは乗り移るボートを準備して、みんなを呼びに船に戻るが、みんなは炎に包まれてやけくそで酒盛りをしている。
ずいぶん長いあいだ、おれは火のうなる音、吼える声のほか、何も聞かなかった。口笛の音もそのなかに交じっていた。ボートは跳ねたり、もやい綱を引張っり、じゃれあうようにボート同士ぶつかったり、横っ腹を突っついたり、そうかと思えばまた、いくらおれたちが骨折っても、本船の胴っ腹へ束になって寄りついてゆく。おれはもうこれ以上の我慢ができなくなったから、綱を伝わって船尾から甲板へ這い上がった。まるで真昼のような明るさだった。こんなふうにして這い上がった真正面に、いちめんの火炎を眺めるのは、縮みあがるような光景だった上に、その熱気も、初めはとても耐えられそうに思えなかった。船室からひきだした長椅子のクッションの上に、ビヤード船長が、両脚を折り縮め、肱枕をして、火光を全身にたわむれさせながら眠っていた。他の連中が何事に熱中していたか、諸君わかるかね? みんな船尾の甲板に車座になって坐り込み、まんなかに置いた箱の蓋をあけ、パンやチーズを食ったり、壜詰のスタウトを飲んだりしてたのさ。
やつらの頭の上で、めらめら凄い舌をくねらせている火炎を背景に、火蛇(サラマンダー)みたいに居心地よさそうに飲み食いしているところは、まさに一団の凶暴無残な海賊を髣髴(ほうふつ)させたね。火はやつらの白眼のなかで瞬き、破れたシャツから覗いているわずかな白い肌に照り映えている。どいつもみな戦場で受けてきたような痕跡を身につけている……包帯まいた頭、吊った腕、膝を巻いた汚れた布など……そしてどいつもみな股ぐらに酒壜を一本ずつ抱いて、手にはチーズの塊を持っている。
難しい船の用語は出てこず、それほど詳細に描かれているわけでもないのに、情景が目に浮かぶようだ。この小説、途中に「諸君わかるかね?」といった風に、酒場で周りの人に語りかけている感じをだしているが、話を聞いている社長、会計士、弁護士、さらに私という全体の語り部も何の応答もしない。今の読者からすると、なんで応答もしない登場人物をだすのかと思うが、コンラッドが活躍した19世紀後半から20世紀前半にかけては、『ライ麦畑でつかまえて』のような、口語的な一人称の語りがまだ一般的でなかったためかもしれない。実際マーロウの話の部分だけ読んでいると、100年も昔の小説とはとても思えない。
といったところで今回は終わりで、次回はおそらくまた『失われた時を求めて』について書きます。
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