「愛されるゲスキャラ」について考える
使い捨てゲスキャラで話を回すのやめない?
アニメ「ギルドの受付嬢ですが、残業は嫌なのでボスをソロ討伐しようと思います(以下、受付嬢)」を3話まで見ました。
3話までに1話だけ登場のチンピラみたいな頭が悪くて暴力的なゲスキャラがトラブルを起こす、という展開が2回もありました。
「もうこれは原作か脚本の人がゲスキャラで話を回すのが癖になっているな」と思いました。
そこさえ工夫すればいい作品なのにね、と思うと残念です。
ゲスキャラには出て欲しくない
こういうゲスキャラって見るのすらストレスじゃないですか。気持ちよくない。
今のところ良い人しか出てこない「悪役令嬢転生おじさん」はストレスフリーで良いのですよね。この作品はその辺り意識されている。
こういうパターン化された異世界チートものに求めるものって、前にも書いた通り、個人的に「安心」なので、ゲスキャラって出て欲しくないのです。
さっさとチート主人公が活躍してパッと終わればいいんですよ。
意外性を求めるなら徹底的にやらないと。
好きなゲスキャラを他の作品から見てみよう
でも、好きなゲスキャラもいるんです。
アニメではないのですが、永野護さん「The Five Star Stories」のメイユ・スカ閣下とか。
登場時、「あ、これすぐ死ぬな」って名前と顔とセリフだったのですが、これが意外や意外。しぶとく登場することになります。
ポイントは、「しぶとさ」と「意外性」だと思います。
意外な多面性を見せることでキャラに奥行きができるし、負け組なのにしぶといって、受け手の共感を呼ぶんですよ。
なぜならチート異世界ものとかを見る人って、どこか「自分は負け組」だと思っているからです。だからチート主人公に鬱憤を晴らしてもらいたいわけです。
でも自分がチートスキルなんて持てないことはわかっている。だから逆にしぶとい悪役に感情移入してしまう、なんてことはあるのではないでしょうか。
「タイムボカンシリーズ」の3悪人やポケモンのロケット団、アンパンマンに対するバイキンマンもそうですが、本当は「愛されるゲスキャラ」って、物語において大事だと思うんですよ。
1話使い捨ては、あまりにもキャラに対する愛も芸もないよな、と、そんなことを思った次第です。