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土着への処方箋——ルチャ・リブロの司書席から⑤


誰にも言えないけれど、誰かに聞いてほしい。そんな心の刺をこっそり打ち明けてみませんか。

この相談室ではあなたのお悩みにぴったりな本を、奈良県東吉野村で「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」を開く本のプロ、司書・青木海青子さんとキュレーター・青木真兵さんが処方してくれます。さて、今月のお悩みは……?

〈今月のお悩み〉働かない夫となぜ暮らしているのか
私が今悩んでいるのはズバリ! 「働かない夫となぜ暮らしているのか」です。夫には発達障害があり、外で働くことができません。
彼のことが大好きで結婚しましたし、その気持ちは今も変わってはいません。でも最近気がついたんです。自分の中にときおり、「誰のおかげで飯が食えていると思っているんだ」という気持ちがわいてくることに。
もしかして私は、自分が働いていることで優位に立とうとしているのだろうか。世間での自分の自信のなさを、「自分が夫を養っている」という事実でカバーし、正当化しようとしているのではないか……そう考えると、胸が苦しくなります。
彼は私に、私は彼に依存しているのかもしれません。こんな気持ちを抱えたまま、彼と暮らしていてもいいのでしょうか?
(H.T./40代女性)

◉処方書その1 青木海青子/人文系私設図書館ルチャ・リブロ司書

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『脳は回復する 高次脳機能障害からの脱出』

鈴木大介著 新潮新書

依存関係が逆転するとき

ご相談を聞いて、本書に描かれているライターの鈴木大介さんのご経験がまず思い浮かびました。
鈴木さんの奥様には発達障害があるため、鈴木さんがあなたと同様、大黒柱として働き、奥さんを支えていました。しかしある日、無理がたたったのか車の運転中に脳梗塞を発症して事故を起こし、高次脳機能障害を患うことになってしまいます。

高次脳機能障害とは怪我や病気によって脳が損傷を負い、知的な機能に障害が出て、日常生活や社会生活に支障をきたす状態のことです。それまでできていた様々なことができなくなるだけでなく、認知の仕方やそれに対する反応まで変わってしまうことがあります。
鈴木さんの場合、本来はさっぱりした性格でしたがこだわりが強くなったり、ちょっとした嫌なことが忘れられず、どんどん妄想が膨らんでしまったり、夜中に無性に悲しくなって泣き叫んでしまうなどの変化があり、治るかどうかわからない日々の中で、次第に精神的に追い込まれていきました。
でもそのうち彼は深く実感するのです。今自分の身に起きている症状は、発達障害という生きづらさを抱えた奥さんに起きていた二次症状や、自分がそれまで取材してきた発達障害の人たち、貧困に苦しむ若年層たちの経験と同じなのではないか、と。

一方、こうなったとき最強なのは、奥さんです
鈴木さんが初めて経験する一つひとつの症状に奥さんはすでに慣れっこ、いわば「先輩」なのですから。
混乱する鈴木さんを「あなたのその辛さはわかるよ。でもやっと私の気持ちがわかったか」と、あっけらかんと受け止め、夜涙が止まらなくなった鈴木さんを見ても全く動揺することなく、一晩中背中をさすってあげたり、厄介な症状に「イラたんさん」「夜泣き屋だいちゃん」といったかわいらしい名前をつけたりしながら、易々と対処していきます。鈴木さんが不満を募らせて奥さんに強い言葉を投げてしまったときにも、「はいはい」と軽く流してくれるほどです。

この2人に起こったことは、いつでも誰にでも起こりうるのだし、常に片方が守っていて、もう片方が守られていると決めつけるのは無駄なことだと思えてきます。「依存」と呼ぶよりは、「守り守られる関係」と捉えるほうがしっくり来るのではないでしょうか。
あなたにもし何かがあったら、今度は旦那さんが、鈴木さんの奥さんのように守ってくれるに違いありません。ぜひお2人でこの本を読み合ってみていただけたらと思います。

『脳は回復する』は鈴木さん受難のお話ですが、奥さんの発達障害と2人の生活に焦点を当てた『されど愛しきお妻様 「大人の発達障害」の妻と「脳が壊れた」僕の18年間』(鈴木大介著、講談社)という本もおすすめです。
高次脳機能障害になる前の鈴木さんは、片付けが苦手な奥さんのことを「病気でできないのだ」と決めつけ、全部一人でやってしまっていました。この本には、自分が障害を負って初めて、奥さんが家事をする機会を奪っていたのだと気づき、奥さんができるようサポートしていく様子が綴られています。よかったらこちらもぜひ読んでみてください。

◉処方箋その3 青木真兵/人文系私設図書館ルチャ・リブロキュレーター

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『都市と農村』

柳田國男 岩波文庫

「働く」の本来に立ち戻ろう

健常者と障害者の関係は、そっくりそのまま現代における都市と農村の関係にあてはめて考えることができるのではないか——お悩みを聞いたとき、ぼくはそう思いました。
柳田國男は、本書の紹介文にも書いてあるように、「昭和初期の小作争議が頻発した時代、農政官として出発し」、「農村の疲弊と農民の貧困を、農村内部の問題としてではなく、都市との関係で捉えた」人です。農村や農民の疲弊や貧困は、決して農村や農民だけの問題ではなく、都市との関係から生まれているのだと、柳田は言うのです。

あなたは、ご自身の夫婦関係が依存状態にあるのではないかと悩んでいます。自分は働いていて、夫は働いていない。その関係に満足している自分の潜在意識には、何かやましいところがあるのではないかと考えている。これはまさに、柳田國男が考察したのと同じ、近代化による悩みではないでしょうか。

現代社会では、人々は働く人/働けない人の2つに分かれていて、働けない人が働く人に依存するという非対称の関係が成立しています。でも本来、「働く」とはもっと多様なものです。

日本の都市はもともと、農村出身者で成り立っていました。その意味で、都市と農村はある種依存関係にあったと言えます。農村から都市に物が流れていたし、都市が存在するためには農村が不可欠でした。
それが、現代では都市での働き方、つまり自分の存在と時間を労働力に変えてお金を稼ぐという働き方だけが「働く」であると考えられるようになり、それ以外の働き方が認められなくなっている。そこに今回のお悩みの要因があるように思います。

「働けない夫」は、現代の都市的な意味での「働く」ができていないだけであって、本来はもっと豊かなものを持っている人なのではないでしょうか。あなた自身、そのことに心の奥では気づいているから一緒にいるはずですが、都市生活を送る中ではその「豊かなもの」の価値がどうも見えてこない。だからこそ、自分の感覚は間違っているのだろうかと不安になり、自分は「働かない」相手を下に見て、彼より優位に立つことで満足する関係に陥っているのではないかと思い込んでしまう。
でも、きっとそうではないのです。「働けない」旦那さんには都市生活者の価値観とは違う次元での豊かさがあり、あなたはそこに惹かれているのだと思います。ぜひ自信を持って、旦那さんとは大いに依存関係を継続してほしい!(笑)

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柳田國男は、人間が農村から離れるとはすなわち「衣食住の材料を自分の手で作らぬということ、すなわち土の生産から離れた」ことであると言っています。自らの生活を自らの手でつくっていくことが農村の暮らしであり、実に多様な「働き」がそこにはあったということですよね。
そう考えると、都市的意味での「働く」をしない旦那さんは、より農村に近い土着的な人と言えるかもしれません。
「働く」あなたは、毎日都市と農村的な故郷としての旦那さんとを行き来しています。土の匂いのする故郷に毎日帰っていけることほど、豊かなことはありません。どうか「故郷」に感謝しながら、これからも大切にしていってくださいね。

◉処方書その3 青木海青子/人文系私設図書館ルチャ・リブロ司書

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『花よりも花の如く 15』

成田美名子作 花とゆめコミックス

自分自身の言葉を見つける

お悩みの中にある、「発達障害」や「誰のおかげで飯が食えているんだ」といった言葉。
どこかで聞いたことのあるこれらの言葉は、自分の内側からではなく、外から聞こえてくるパワーワードのように思います。外から聞こえる強い言葉はやっぱり気になるし、どうしてもとらわれがちになりますよね。

そんなあなたに最後にご紹介したいのは、成田美名子さんの漫画作品『花よりも花の如く』の第15巻です。
このシリーズは、主人公である若き能楽師・憲人が、能や周囲の人たちとのかかわりを通して、能楽師としても人間としても成長していく物語で、毎回印象的なサブキャラクターが登場します。第15巻でメインになるのは、憲人の友人の美潮(通称:シオちゃん)という女性です。

シオちゃんは、亡くなった幼なじみの智哉のお母さんが、病気の体をおして四国八十八ヶ所のお遍路に出ようとしていることを心配し、仕事を辞めてお母さんの代わりにお遍路に出かけます。
当初シオちゃんは智哉のお母さんのサポート役といった感じで登場していて、自分の思いを語ることのない人物でした。幼なじみのお母さんの悲しい気持ちを受け止めているのであって、智哉について思うところは特にないように見えていたのですが、次第にそうではないことがわかってきます。

シオちゃんはブログにお遍路日記を綴っていて、巡礼が進むにつれ、そこに自分の思いがポロポロと出るようになってきたのです。
シオちゃんの智哉に対する思いは実は、とても簡単には言い表せない、複雑なものでした。その死についても自責の念を抱えながら、誰にも言えずに苦しんでいたのでした。

シオちゃんは、巡礼を通して智哉との関係を自分なりの言葉で捉え直すことで、悲しみを癒そうとしていました。大事な人との関係を、借り物の言葉ではなく自分なりの言葉で表すというのは、それほど大切なことなのだ——私はこの作品を読んで、そう感じました。

あなたもこの本を読んでシオちゃんと一緒に巡礼に出かけてみませんか? そして大切な旦那さんとの関係をどこかで聞いた言葉ではなく、自分の内側から出てくる本当の言葉で表現してみるのはいかがでしょうか。

https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/46908/

〈プロフィール〉
人文系私設図書館ルチャ・リブロ 
青木海青子
(あおき・みあこ)
人文系私設図書館ルチャ・リブロ」司書。1985年兵庫県神戸市生まれ。約7年の大学図書館勤務を経て、夫・真兵とともにルチャ・リブロを開設。2016年より図書館を営むかたわら、「Aokimiako」の屋号での刺繍等によるアクセサリーや雑貨製作、イラスト制作も行っている。本連載の写真も担当。奈良県東吉野村在住。
青木真兵(あおき・しんぺい)
人文系私設図書館ルチャ・リブロ」キュレーター。1983年生まれ。埼玉県浦和市に育つ。古代地中海史(フェニキア・カルタゴ)研究者。関西大学大学院博士課程後期課程修了。博士(文学)。2014年より実験的ネットラジオ「オムライスラヂオ」の配信がライフワーク。障害者の就労支援を行いながら、大学等で講師を務める。著書に妻・海青子との共著『彼岸の図書館—ぼくたちの「移住」のかたち』(夕書房)『山學ノオト』(エイチアンドエスカンパニー)がある。奈良県東吉野村在住。

◉本連載は、毎月1回、10日頃更新予定です。

◉ルチャ・リブロのお2人の「本による処方箋」がほしい方は、お悩みをメールで info@sekishobo.com までどうぞお気軽にお送りください! お待ちしております。

◉奈良県大和郡山市の書店「とほん」とのコラボ企画「ルチャとほん往復書簡—手紙のお返事を、3冊の本で。」も実施中。あなたからのお手紙へのお返事として、ルチャ・リブロが選んだ本3冊が届きます。ぜひご利用ください。

以下の記事でも「土着への処方箋」と「ルチャとほん往復書簡」が取り上げられました! 記事内に登場する「自粛中におすすめの本についての夫婦での対談」は、「夕書房通信」第1号に掲載されています。夕書房オンラインストアで本をお求めの方に無料で同封していますよ!


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