土着への処方箋——ルチャ・リブロの司書席から 20 「やると決めたのに不安が消えない」
誰にも言えないけれど、誰かに聞いてほしい。そんな心の刺をこっそり打ち明けてみませんか。
この相談室では、あなたのお悩みにぴったりな本を、奈良県東吉野村で「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」を開く本のプロ、司書・青木海青子さんとキュレーター・青木真兵さんが処方してくれます。さて、今回のお悩みは……?
◉処方箋その1 青木海青子/人文系私設図書館ルチャ・リブロ司書
不安は、自由と責任の勲章
私自身、決めたことに対して不安になることは、もちろんあります。
woolさんは、不安になることが「あるならば対処法を、ないようでしたら、不安に陥らないために必要な心持ちを教えて」と書かれています。不安を感じないこと、あるいは感じたら消すことがよい状態だと考えていらっしゃるのではないでしょうか。
本書は、福島第一原発事故をめぐる地域の方たちの不安を中心に、脳科学や人文学の見地から「不安」の本質を紐解く本です。
脳神経科学者の伊藤浩志さんは、「不安とは生命の警報で、不安を感じなくなれば、人は安全か危険かを見分けることができなくなり、生きていくことができない」と語っています。
不安を感じるための脳の器官が病気で破壊されてしまうと、人は不安を感じなくなります。この病気にかかった人は、危険が気にならないので、毒蜘蛛や蛇を恐れることなく触ろうとしてしまう。ある患者さんは、不安を感じなくなったことでリスク管理ができなくなり、失業に追い込まれてしまったといいます。
他方、宗教学者の島薗進さんは、さまざまな人物や文学作品から「不安」を読み解いていきます。たとえば夏目漱石は、不安に苦しむ人物を作品の中で繰り返し描いていますが、それは漱石が「不安」を意義深いもの、取り組むに値するものだと考えていたからだ、と島薗さんは言います。
また、実存主義の創始者・キルケゴールは、「自由と責任の生じるところに不安がある」と言っているそうです。「不安を遠ざけることができるのは、自由が生じるはずの場から目を背けることに他ならない」と。
他人から決められたことをそのままやるぶんには、不安は生じません。その最たる例として、ナチスドイツ親衛隊隊員としてホロコーストを実行したアドルフ・アイヒマンが挙げられています。不安を感じなければ、どんな残酷なことも平気な顔でできてしまう。恐ろしいですよね。
そう考えると、woolさんが不安になってしまうのは、「自分で決めた」からこそなのだと思えてきます。
会社を辞めて大学院に行くと決めたのは自分で、そこには自由と責任がある。不安は決して悪いことじゃなく、とても大切な反応です。ぜひ本書を読んで、不安にはちゃんとした役割があること、woolさんが不安に感じるのは自然だということを実感してもらえたらと思います。
◉処方箋その2 青木海青子/人文系私設図書館ルチャ・リブロ司書
不安も自分の一部と思えたら
スタンリー・キューブリックによる映画作品でも知られるスティーブン・キングの代表作の一つ。
5歳の男の子ダニーを含むトランス一家が、山間のホテル「景観荘(オーバールック)」に冬季管理人としてやってきたことで始まるお話です。
ダニーは不思議な力「かがやき」を持った男の子です。ホテルに来る前から「かがやき」によってさまざまなビジョンを見ていて、それが家族間の溝を作るきっかけにもなっていました。
本人から自由を奪ったり、余計な苦しみを背負わせたりもする「かがやき」は、woolさんの不安とどこか似ているかもしれません。物語では、「かがやき」の力に吸い寄せられるように、ホテルに潜んでいた幽霊達が蠢き始めます……。
ホテルには、自身も「かがやき」を持つ料理人・ハローランが出てきます。ハローランに「おまえさんには『かがやき』がある」と言われたダニーは、「そんなもの、ないほうがよかった!」と声を詰まらせますが、これに対してハローランは、穏やかにこう答えるのです。「しかしおまえさんは、持ってる。よかれあしかれだ。それをいやとは言えんのだよ」と。
woolさんはもしかしたら、やりたいことに取り組もうとする自分の前に立ちはだかる他者のような存在として、「不安」を捉えているのではないでしょうか。でも私は、ダニーの「かがやき」とwoolさんの不安に対する気持ちは似ている気がするのです。
ダニーの「かがやき」も、ダニー自身の投影なのでしょう、トニーという同年代のイマジナリーフレンドが見せるビジョンという形で彼に働きかけてきます。
「かがやき」に翻弄されるダニーが「かがやき」を含めてのダニーであるように、woolさんもやっぱり不安を含めてのwoolさんなのだと思います。不安に邪魔されて勉強の能率が落ちていると感じるかもしれませんが、きっと不安込みでのそのスピードが最速です。
物語の最後にハローランは「遠くにいても、自分に話しかけるために『かがやき』を使いなさい」とダニーに語りかけ、2人は固い友情を誓い合います。
woolさんも、不安=自分と受け入れて、不安が教えてくれるものや連れてきてくれるものにも目を向け、耳を済ませてみてください。
ちなみに、本作品のタイトル「シャイニング」とは「かがやき」のこと。ダニーと「かがやき」の距離感に焦点が当たっている原作を読むと、タイトルにも納得がいきます。映画ではすぐ死んでしまうハローランも、本書では重要なキーパーソンとして活躍しますので、映画ファンもぜひご一読を。
◉処方箋その3 青木真兵/人文系私設図書館ルチャ・リブロキュレーター
知らないことを知っていると思うから、不安になる
ソクラテスは、言わずと知れた古代ギリシャの哲学者。
70歳のとき、神様を敬っていないと「不敬神」の罪で告発され、死刑の判決を受けてしまいます。潔く死刑を受け入れ、自ら毒杯を仰いで亡くなるのですが、その裁判の様子を題材に弟子のプラトンが記したのが、本書です。
woolさんはお悩みで「やるべきことは決まっているはずなのに不安が邪魔して集中できない」と書かれていますね。
ソクラテスによると、不安に思うこと、何かを恐れるということは、これから訪れる未知のものを知っていると思っている状態を指します。
ソクラテスの有名な言葉「無知の知」は、知らないという自覚を持っていることを意味します。「知らないということを知っている」と思っているのは、知ることに対してちゃんと向き合っていない証拠であり、そもそも未知のものを恐れるという価値判断ができるのも、それを「知っている」と思っているからなのだ、と。
ソクラテスは死を恐れていません。これは究極の「無知の知」です。
人は誰しも死んだことがないのだから、死ぬとはどういうことかを知らないはず。「死を恐れるということは、(…)知恵がないのにある(傍点)と思い込むことに他ならないからです」と、ソクラテスは言っています。
不安を抱くのは、恥ずべきことだ! というわけです(笑)。
ソクラテスいわく、本当の「知らない」は、「知らないという自覚を持つこと」であり、自覚を持ったとき初めてその対象を知ろうという動きが始まる。それがいわゆるフィロソフィー、知ることを愛することなのだ、と。知っているつもりになっているから怖いのであって、本当に知らないのなら知ろうとするはずだよね、ということです。
実は、僕自身の考えもソクラテスに似ています。どんなこともやってみないとわかりませんからね。でも、つい前例を調べてあれこれ推測し、知った気になって先取りしてしまうから不安になる、その気持ちもわかります。
まずは「不安を知らない」という自覚を持つと、「知りたい」と思えてくる。そして、そう思えたら、いつの間にか不安自体が遠のいているかもしれません。
◉ルチャ・リブロのお2人の「本による処方箋」がほしい方は、お悩みをメールで info@sekishobo.com までどうぞお気軽にお送りください! お待ちしております。
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