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土着への処方箋——ルチャ・リブロの司書席から⑩

誰にも言えないけれど、誰かに聞いてほしい。そんな心の刺をこっそり打ち明けてみませんか。

この相談室ではあなたのお悩みにぴったりな本を、奈良県東吉野村で「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」を開く本のプロ、司書・青木海青子さんとキュレーター・青木真兵さんが処方してくれます。さて、今月のお悩みは……?

〈今月のお悩み〉社会から見た価値に囚われてしまう
ご相談したいのは、どうすれば自分のことを「社会から見た価値」で評価しないでいられるか、です。
私はある人の経済力や社会的地位は、その人の人間としての価値と同義ではないと思っているし、他人と接するときには、それらを勘定に入れないよう気をつけています。
でもいざ自分のこととなると、「たいした稼ぎもないのに」とか「知られるような仕事をしていない」と、つい数字や社会的評価が気になってしまい、自分を認めることができません。
さらに、自分自身をそのようにしか評価できないのは、他人のことも心の奥ではそういう目で見ているからではないかと感じて怖くなりますし、自分に失望してしまいます。
自分を「生産性」で判断している私は、やはりその価値観の中にいるのでしょうか。どうすれば数字や社会的評価に囚われることなく、自分の存在を認めることができるのでしょうか。
(M・M/30代女性)

処方箋その1 青木海青子/人文系私設図書館ルチャ・リブロ司書

『柳宗民の雑草ノオト』

柳宗民著 三品隆司絵 ちくま学芸文庫

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多様な野の草の世界に目を向けてみる

本書は、園芸研究家の柳宗民さんが、身近な野の花の来歴や生育環境、薬効や毒性を一つひとつ丁寧に紹介していく本です。
野原を見ていると、同じ種類の植物のみが一ところに長期間繁殖していることって、まずないですよね。群生していたとしても、間には違う草も紛れているし、土の下にはもっと多種多様な植物の根たちが待ち伏せている。そんなふうに多種多様な環境では、比較して評価することは起きないだろうな、と、この本を読んで感じました。

同じ種類のものがたくさん集まっていると、どうしても隣と比べて評価をしたくなってしまう。でも、隣同士が全然違う種だと、比較にならない。本書に出てくる野草の状態は、土壌や天候によって全く変わってくるので、たとえば「生命力の強さランキング」をつけることなんて、不可能です。その意味で、野の草の世界、自然界というのは、数値化して比較するのが難しい世界だと言えます。
「つい数字や社会的評価が気になってしま」うことに疲れたら、いったん野の草に目を向けてみてはいかがでしょうか?

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とは言っても、自然から得た感覚だけが本物だ、と盲信してしまうのも、また危ういことです。数値化できない世界を眺めたあとに、数値化して評価する世界に戻ると、以前とは違った側面が見えてくるかもしれないし、その2つを行き来するうちに、自分の血肉となって共にいてくれるものは結局のところ何なのかが、見えてくるのではないかと思います。
私たちも、「彼岸の図書館」と此岸であるところの資本主義社会を行ったり来たりしながらバランスをとっていますが、それと似たことが、野の花に目を向けることでもできるのではないかと、本書を読んで感じました。

それぞれの植物の生態はもちろん、まつわる故事や神話、文学なども紹介されていて、読み物としても、とてもおもしろい本なので、ぜひ手にとってみてください。

◉処方箋その2 青木海青子/人文系私設図書館ルチャ・リブロ司書

『失われたモノを求めて——不確かさの時代と芸術』

池田剛介著 夕書房

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自分ととことん一緒にいてみる

現代美術作家でありながら美術批評家でもある池田剛介さんによる、「コト」に偏ってしまった現代美術に一石を投じる一冊です。
本書で池田さんは、政治思想家ハンナ・アーレントの『全体主義の起源』を引きながら、「ものを作るためには孤立、そして孤独の中で閉ざされている必要がある」と、孤独とは寂しさとは違うものだと説明しています。「私と私自身とが内的に分裂しながら、自分自身との対話を深めていくこと、それが孤独の内実である。だが、寂しさは孤独とは異なる。寂しい人は内なる二者に分裂することができず、それゆえ自分自身と共にいることができないからである」と。

社会からの評価、数字による価値には必ず、他者が入り込んでいます。その評価に心が動かされてしまうというのは、孤独が確保できていない状況だと感じます。
池田さんが本書で「自閉する」ことを勧めているように、あなたもいったん外界との扉を閉めて、自分自身ととことん一緒にいてみてはいかがでしょうか。自分との対話に集中することによって、寂しさから解放され、社会からどう見えるかが気にならなくなるかもしれないし、自分を認めてあげられるようになるのではないかと思います。

アーレントも、現代社会において孤独を確保することの難しさを指摘しています。寂しさを埋めるものは世に溢れているけれど、肝心の孤独になることからは疎外されている。寂しさは、どんなに埋めてもまた広がっていくものです。社会的に評価されてよかったと思っても、その穴はさらに広がり、もっと埋めたくなってくる。埋めても、埋めても、広がっていくのが、寂しさの穴なのです
だからこそ、寂しさを埋めようとするよりは、まずは孤独を確保し、自分とおしゃべりしてあげてほしい。

福澤諭吉は、英語のfreedomとは「自らをよしとすること」であるとして、「自由」という訳語を考案したと言われています。
自らをよしとできない限り、いつまでたっても誰かに評価を求めることになってしまうし、他人の評価にとらわれて、自由になることができない。自分自身を解放するためにも、孤独を確保することは大切なのではないでしょうか。

◉処方箋その3 青木真兵/人文系私設図書館ルチャ・リブロ司書

『ホモ・ルーデンス』

ホイジンガ著 高橋英夫訳 中公文庫

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ほんとうの「遊び」を手に入れる

相談者さんは、「経済力や社会的地位がその人の人間的価値と同義ではない」とお考えですよね。ただぼくは、経済力や社会的地位も、その人の一部だと考えています。
問題の本質は、本来はその人の一要素でしかないはずの経済力や社会的地位が、他の要素と比べて優っているように見えてしまうことです。でも、あなただけがそう思っているわけではありません。この傾向は、現代社会に深く垂れ込めているのです。

なぜそうなってしまうのか。
それは、現代社会において生産性を測る尺度が、「お金を稼ぐ能力」だけになってしまったからです。「生産性」とは本来、お金だけで表現することはできません。家庭で食べる野菜を作るために畑を耕したり、いつも使っている桶を直したり、普段着る服を縫ったり。もともとの「生産」には、こうした個々人の日々の営みも含まれていました。つまり、「商品」づくりだけが生産ではないのです。でも貨幣システムが生活のあらゆるところに入り込んだことで、あらゆるモノ、サービス、ヒトが「商品」として全国に流通できるようになりました。その結果、いまやそれらすべての価値は「お金」で表されることになった。お金によって測られる経済力や社会的地位が優先されるという価値観は、この延長線上にあります。だから自分の生産するものが大きなお金を生み出せないと、自己嫌悪に陥ってしまう。

さて、本書の著者ホイジンガは、1872年生まれのオランダ人歴史家です。
人間を表す言葉には3つあります。1つは、ホモ・サピエンス。サピエンスとは知恵のことです。他の動物にはない知恵を持っていることが、人間を人間たらしめているという考え方です。2つ目のホモ・ファベルは、人間が他の動物と違うのは、ものを作ることだという考え方。3つ目が本書で扱われているホモ・ルーデンスなのですが、これは人間の本質を「遊び」に見るという考え方なんです。

この「遊び」は非常に難しい概念です。ホイジンガ曰く、遊ぶとは無目的。何かの目的を達成するためにやることではない、目的がないのにやるのが遊びだというのです。本書には、そうした「遊び」のさまざまな事例が登場します。ホイジンガはまた、遊びに対立するのが「真面目」「仕事」であると言います。生産性があるとか、お金を稼ぐといったことは、遊びの正反対にあたります。

現代は、遊びを失った時代です。どんな文化もエンターテイメントも、すべてお金と結びついている。対価を払ってくれる人がいなければ価値がないと思ってしまうのは、まさに現代の病理としか言いようがありません。

では、どうすればすべてをお金に結びつけてしまうような真面目さに回収されずにすむのか。
ホイジンガによると、遊びとは、日常的な環境から遮断され、「境界的な場」で行われるものだそうです。あらゆるものがお金に紐づけられている環境をどうにかして遮断し、「境界的な場」を設ける。それが今、すごく大事なのではないかと思います。

相談者さんを悩ませる「すべてが商品化された社会から見た価値」は、「都市的なるもの」とも言い換えることができます。
その意味で、もし相談者さんのお住まいが都市であるならば、とりあえず物理的に離れるのも一案です。もしくは都市以外にもうひとつ大事な場所を持つことで、「都市的なるもの」を相対化する。現代はこの「都市的なるもの」によって社会が構成されています。山の中や海のそばといった、社会から遠い場所に身を置いてみるのもいいと思います。

便利であること、お金が儲かることではなく、数字にならないことを大事にする。「社会から見た価値」が指す方向の正反対にこそ、意識的に顔を向けましょう。社会の引力はすごいので、放っておくと元に戻ってしまいます。そうしたらまた意識的に社会から背を向ける。これを繰り返す人間こそ、現代における「ホモ・ルーデンス」なのだと思います。

ぜひ気楽になれる場所に、できるだけ長い時間いてみてください。おそらくそこから、あなたにとっての「境界的な場」は立ち上がってくるのです。

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〈プロフィール〉
人文系私設図書館ルチャ・リブロ 
青木海青子
(あおき・みあこ)
人文系私設図書館ルチャ・リブロ」司書。1985年兵庫県神戸市生まれ。約7年の大学図書館勤務を経て、夫・真兵とともにルチャ・リブロを開設。2016年より図書館を営むかたわら、「Aokimiako」の屋号での刺繍等によるアクセサリーや雑貨製作、イラスト制作も行っている。本連載の写真も担当。奈良県東吉野村在住。
青木真兵(あおき・しんぺい)
人文系私設図書館ルチャ・リブロ」キュレーター。1983年生まれ。埼玉県浦和市に育つ。古代地中海史(フェニキア・カルタゴ)研究者。関西大学大学院博士課程後期課程修了。博士(文学)。2014年より実験的ネットラジオ「オムライスラヂオ」の配信がライフワーク。障害者の就労支援を行いながら、大学等で講師を務める。著書に妻・海青子との共著『彼岸の図書館—ぼくたちの「移住」のかたち』(夕書房)、『山學ノオト』(エイチアンドエスカンパニー)がある。奈良県東吉野村在住。

◉本連載は、毎月1回、10日頃更新予定です。

◉ルチャ・リブロのお2人の「本による処方箋」がほしい方は、お悩みをメールで info@sekishobo.com までどうぞお気軽にお送りください! お待ちしております。

◉奈良県大和郡山市の書店「とほん」とのコラボ企画「ルチャとほん往復書簡—手紙のお返事を、3冊の本で。」も実施中。あなたからのお手紙へのお返事として、ルチャ・リブロが選んだ本3冊が届きます。ぜひご利用ください。

◉ルチャ・リブロのことがよくわかる以下の書籍もぜひ。『彼岸の図書館』をお求めの方には青木夫妻がコロナ禍におすすめする本について語る対談を収録した「夕書房通信」が、『山學ノオト』には青木真兵さんの連載が掲載された「H.A.Bノ冊子」が無料でついてきますよ!



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