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【随筆】夢の本棚のゆくえ

忘れられない光景がある。

学生時代、歴史学を専門とする教授の研究室にお邪魔したときのこと。ドアを開けて中に入ると、天井以外の壁一面に本がぎっしり並べられていた。さらには、入り口から奥にかけて部屋を中央で二分するように、大きなスチール製の書架が置かれており、そこにも本が詰め込まれていた。奥にいる教授のところへたどり着くために、本のジャングルをかき分けて進むという具合だ。わたしは人生で初めて、本に圧倒された。いつかこんな研究室のような、壁一面の本棚をもちたい。そう思った。

学生時代から社会人一年目にかけてのわたしの本棚と言えば、高校時代から使っていた三段のカラーボックスがひとつだけ。本も数えるほどしか並んでいなかった。その頃、立花隆『ぼくはこんな本を読んできた』(文春文庫)を手にした。立花隆の仕事場である通称「ネコビル」内部の写真を見ると、三万五千冊という膨大な量の本があり、知的な刺激を大いに受けた。大学に勤める研究者でなくても、ここまで専門書を読み込んで勉強する人がいるのだと知った。勉強について、立花隆はこう述べている。

そうやって、取材、あるいは執筆のために、朝から晩まで資料を読み、勉強をしているというのが僕の生活なんです。/ですから、客観的に見ると、ものすごく大変な生活で、自分自身こりゃ大変だと思うこともあるんですが、本心を言うと、実はそれほど大変じゃない。日々ストレスを感じるということは、ほとんどないんです。と言いますのは、僕は、勉強というのが本当に好きなんです。

(立花隆『ぼくはこんな本を読んできた』文春文庫)

立花隆は、四万円ほどもって神田神保町の大型書店をはしごし、本をまとめ買いするという。わたしも真似して、毎月お給料が出ると一万円をもって大阪難波のジュンク堂へ行き、関心領域の本を物色した。ジュンク堂には三、四時間いても飽きなかった。おかけで、わたしの本棚にも少しずつ本が増えていく。後年フランス留学したとき、わたしが一日十時間勉強を志したのは、立花隆の勉強する姿勢の影響だ。

次に影響を受けたのが、渡部昇一『知的生活の方法』(講談社現代新書)である。書名にある「知的生活」こそ、自分の求めている生活だと直感した。この本はフランス留学にも携行したほどで、勉強のやる気スイッチを入れるために繰り返し読んだ。本に関する記述のなかで特に参考にしたのは、繰り返し読んで自分にとっての古典をつくること。できるだけ図書館では借りず、身銭を切って本を買うこと。文学作品を読むとして、自分のなかの「本当におもしろい」と思った感覚を大事にし、他の作品を読む際の基準にすること。その他、本書で言及されている勉強の心得と研究方法をふくめ、渡部昇一の本に対する姿勢は、そのままわたしの姿勢となった。

「知的生活」を送ることで得られる心の豊かさについて、渡部昇一はこう記している。

貧しくても、しかも知的生活に激しくあこがれている若いときには、食事を倹約したり、バス代を倹約することは案外苦にならないものだ。私も大学生のときは極度に貧しかった。(中略)またアルバイトをすればよいと言うが、そうでなくてさえも本を読み、語学をマスターする時間が乏しいのに、どうしてアルバイトのための時間がさけようか。残された道は徹底的な節約をして、育英会の奨学金のみで生きることであった。(中略)こういう生活をしていて何が楽しいかと、はた目には見えたであろう。ところが心の中は、なかなか豊かなものであった。

(渡部昇一『知的生活の方法』講談社現代新書)

若い学生時代に限らず、何歳になっても嬉々として本を読み勉強することを、わたしは「知的青春」を謳歌すると言っている。この言葉は、渡部昇一の「知的生活」に由来する。新しい知識に出会えることは愉しく嬉しいことであり、本を読むことに喜びを感じながら、人生の最後の日まで過ごすことができたら幸せだと思う。

さて、わたしの夢は壁一面の本棚であった。その理想は、言わば脳の外付けハードディスクの役割を担い、必要なデータ(本)はすぐに取り出せる機動性を備えたい。また、本は積読のではなく、やはり本棚に並べて背表紙が見えることが大事だと思う。なぜなら、次はこの本を読もうという目標をつねに目にすることで、モチベーションが湧くからだ。モチベーションが薄れた本は別の本に取り代えて、絶えず本棚の表情を変化させる。そうすることで、わたしの現在の関心事が可視化される。

では、壁一面の本棚というわたしの夢は、現在どうなったのか。住宅事情もあり、その夢はいまだ実現していない。いま読みたい本は自室の小さな本棚に並べているが、それ以外の蔵書の多くは、段ボール箱に入れて居間の隅に積んだままだ。わたしは哲学の博士論文を書いていたので、壁一面の本棚にすべての本や資料を並べられたら、どんなに便利だろうと何度も思った。段ボール箱に入れてあると、出し入れに時間がかかるうえに、どの箱に入れたのかわからず、見つけられない本が出てくる。そうなると、結局はデッドストックと化して、新しく書い直しとなってしまう。

ところが最近、壁一面の本棚という夢は捨てた。何があったのかというと、博士論文を書き上げ、大きな本棚を必要としなくなったこともある。と同時に、近藤康太郎『百冊で耕す〈自由に、なる〉ための読書術』(CCCメディアハウス)を読んだのだ。氏に対する私の感懐は、こんな人がいたとは(!)という一語に尽きる。何歳になっても知的好奇心を失わないその姿、わたしから見て「知的青春」を謳歌し愉しみ生きるその姿は、わが人生のお手本にしたいとさえ思わせる。立花隆、渡部昇一、そして近藤康太郎。このお三方こそ、本を読むことにかんして、わたしが影響を受けた人たちだ。

この本のなかで、「百冊本棚」という考えが紹介されている。

百冊の本棚を作る。/この本の目標は、そこにおく。人生の最後には、百冊読書家になっている。/本を買い慣れている人は「たったそれだけ?」と言うだろう。ふだん本を買わない人は、「百冊でも多い、とても無理」と思うかもしれない。/わたしのいまの書棚は、数えたことはないがおそらく五千冊を超える程度。(中略)物書きとしてはぜんぜん多くない。一万冊収納できるだけの本棚は買ってある。しばらくはまだ増えるのだろう。しかし、死ぬまでにこれを百冊に絞っていきたい。

(近藤康太郎『百冊で耕す〈自由に、なる〉ための読書術』CCCメディアハウス)

壁一面の本棚がマキシマムなら、「百冊本棚」はミニマムと言えるだろう。わたしがいま読みたい本をざっと数えてみたところ、手元に千冊ほどある。この本を順に読みながら、最後には百冊に絞って、繰り返し読む。自分にとっての古典をつくるのだ。月に二冊を熟読できたとして、年間二十四冊。千冊を読み終えるのに四十年かかるだろう。プラスアルファの本も入れれば、人生最後の日まで「知的青春」を余裕で謳歌できる計算だ。

「百冊本棚」を作る愉しみ。最後には、どんな表情の本棚になっているだろうか。夢の本棚のゆくえは、いかに。


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