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<日本灯台紀行 旅日誌>2022年度版
<日本灯台紀行 旅日誌>2022年度版
第15次灯台旅 四国編
2022年11月12.13.14.15.16.17.18.19.20日
Part2
#18 七日目(4) 2022-11-18(金)
男木島灯台 撮影2
瀬戸内海に浮かぶ<男木島>で、100年以上前から、海上を照らし続けている灯台は、お肌がすべすべで、とても上品な老齢の女性のように見えた。ただ、洋服のセンスには、さすがに時代を感じる。重厚なつくりと地味な色合いは、まさに明治時代のファッションだった。いくたの戦争にも、いくたの災害にも、<不変>であり続ける、青い空と青い海を背景にして、<男木島灯台>は静かに佇んでいた。
目の前に見えてくる風景を、すべて、写真に撮ればいい。360度、灯台の周りを回って、すべての角度から<灯台のある風景>を撮ればいい。人に見せる写真じゃない、あとで、自分で見て楽しむ写真でいい。<見せる写真>よりは<見る写真>へと気持ちが切り替わっていた。とはいえ、写真にならない写真でも、アングルの微調整は続けた。絵面を整理して、少しでもすっきりした写真にすることは、<他人>のためじゃない、<自分>のためだと思った。
灯台の左側面、すなわち、東側の撮影からは、構図的なことはあまり気にしなくなった。数歩歩いては立ち止まり、カメラを構えてファインダーをのぞく。灯台が最初に目に入ってくるようなアングルを、瞬時に頭の中で描き、シャッターを押した。ほとんど何も考えていない。リズムと感覚だけだ。自分が人間であることを忘れて、同じような写真を何十枚も撮った。行為そのものが心地よかった。
灯台の左横には、石造りの堅固な建物があり、黒い屋根瓦が光っていた。砂浜は、さらに続いていたが、これ以上遠ざかると、灯台が、風景の中に埋没してしまう。<灯台のある風景>ではなく<離島の風景>になってしまう。
一息入れて、周りを見回した。狭い砂浜には、大きな流木が散乱していた。焚火の跡もある。灯台の敷地外の、少し高くなったところには、ちょっとした広場があるようだ。人の背丈ほどの、コンクリの電柱のようなものが、等間隔に五、六本並んでいた。
砂浜からあがって、灯台の敷地に隣接している、手作り感のある広場の中に入った。と、白っぽいシャツを着た爺に出っくわした。軽く会釈をしたが、表情一つ変えない。たしか、タバコをふかしていた。尊大な態度に、やや、むっとしたが、思い直した。灯台の管理人なのかもしれない。十中八九、<管理人>と名の付く輩にロクな奴はいない。これも、もちろん偏見だろう。
雑然とした広場には、崩れかけたイスが所々に置いてあり、中央でバーベキューができるようになっていた。キャンプファイヤーもできそうだなと思った。
用途不明の、五、六本立っている、高さ二メートルほどのコンクリの電柱には、細いヒモがぶら下がっていた。洗濯物でも干すのだろう。今になって思えば、灯台前の砂浜はキャンプ場になっていたようで、手作り広場は、キャンパーのための設備だったのだ。したがって、尊大な爺は、灯台とキャンプ場の管理人だったというわけだ。
広場の背後には山が迫っていた。ちょっとした崖になっていて、そこに、これまた手作りの、五、六段の階段がある。のぼってみると、山道に出る。そこから、広場と灯台の敷地が見下ろせる。灯台本体のほかに、灯台と同じ石造りの堅固な建物が、右側に一棟、山側にもう一棟ある。これは<退息所>と言って、<灯台守>の住居だった建物だろう。今日日、<退息所>が現存しているのは、かなり珍しいような気がする。重厚で、堅固な石造りの建物は、130年の時の流れを乗りこえて、じつに堂々としていた。
この、いまは記念館になっている<退息所>の裏手に、白い軽トラが止まっていた。思い出した。朝、灯台に来る道で、軽トラに道を譲ったのだ。軽自動車一台しか通れない山道だったから、気を利かせて、端に寄ったのに、挨拶なしだった。自分なら、ハザードくらいはつけて、合図しただろう。あの管理人の爺だったのか!まあ、いい。広場に戻った。赤い自販機があり、ベンチがあったので座った。なにか、甘い飲み物を買ったような気もするが、忘れてしまった。
さてと、立ち上がった。かすかな便意を感じたのだ。山側の<退息所>の右端がトイレだ。案内板がある。建物の左側にも扉があり、少し開いている。中から、何やら、歌謡曲が聞こえる。管理人の爺が休憩しているのだろうか?トイレは、いましがた掃除したようで、床のコンクリが少し濡れている。狭くて、暗いが、臭いはしない。<大便室>は二つで、両方とも和式、いちおうは水洗だった。奥のほうに入って、そくそくと用を足した。
トイレから出てきて、あの爺が掃除したのかと思い、少し見直した。ちゃんと仕事はしている。コンクリの床には、自分の砂だらけの足跡が残っていた。いましがたきれいに掃除したところを汚してしまったわけだ。なんというか、爺に少し申し訳ないような気がした。用具入れもあったから、ちょっと中をのぞいた。とはいえ、掃除することもあるまいと自制した。砂だらけの足跡を、シカとして、外に出た。
ほぼ正面に灯台があった。まさに、嵩の張った玄関口があり、その上に、灯台の胴体が見える。右側をちらっと見た。資料館の扉は開け放たれている。あとで寄ってみよう。いまは、灯台の正面構図を何とかしなくちゃと思った。どうも、造形的にいただけない。ほぼ正方形の、ずんぐりむっくりした建物が、灯台の下にくっついている感じなのだ。出入口の建物が、もう少し背が低くて、横に長かったなら、縦長の灯台とのバランスが取れる。やや残念だった。
もっとも、<真>正面構図は、灯台に限らず、ほぼすべての写真撮影においても、禁じ手ではある。まずもって平板になり、陰影が出ないから、のっぺりとしてしまう。免許証の写真が、いい例だ。ほんの少し、左か右に振ることで、多少は立体感を出すことはできる。試してみた。ま、少しはよくなったが、無理だった。そもそもが、被写体の造形的な問題で、写真撮影の技術の問題ではない。記念写真として、何枚か撮って、灯台の敷地の外に出た。
朝、灯台に来たときは、いきなり砂浜に入ってしまって、敷地の門柱は見なかった。思えば、港からはほぼ一本道で、上り下りしてきた山道の終点は灯台だったのだ。あらためて、敷地の正面から、灯台を見た。右側からは山がせり出している。手前には電柱や電線、そして、伸び放題の樹木の枝や塀、建物などで、灯台はほとんど見えない。雑駁な光景で、写真にはならない。
それでも、門柱越しに見える、いまは資料館になっている<退息所>のたたずまいが、すごくいい。瀬戸内の離島に残された、100年以上前の、明治時代の気配だ。灰色の重厚な石造りの建物が、一瞬で、脳裏に焼きついた。想像するだけで郷愁が漂ってくる。歴史的時間に触れた感じがした。
このあとは、太陽の動きに歩調を合わせて、写真を撮りながら、灯台の周りをゆっくり、ゆっくり、四回ほど廻った。午前十時頃から午後二時までの間だ。その間にあった出来事で、思い出せるイメージをいくつか記述しておこう。
午前中は、誰も来なかった。灯台の周りを、二回りし終わった後だろうか、砂浜の大きな流木に腰かけて、持参したおにぎりや菓子パンなどを食べた。その際、どっと開けた目の前の、大きな島影の上に、巨大な雲が、ぽっかり、一つだけ浮かんでいた。好きな風景だ。しかも、右からも、左からも、海の上を、ゆっくりと船が通り過ぎていく。形も個性的、色も鮮やかで、どれ一つとして同じものはない。
太陽は、ちょうど真後ろにあり、順光だから、海の色も、空の色も真っ青だ。行き交う船が、画面のいい位置に来るたびに、シャッターを押した。ただし、巨大雲のボリュームを写し撮ることは、ほぼあきらめていた。
カメラの設定が全体測光だから、雲の純白の部分が、露出オーバーになり、白飛びしてしまう。雲の一番明るいところで、ポイント測光すれば、多少はよくなるものの、今度は、海や空が、露出アンダーで暗くなってしまう。毎度おなじみのジレンマだ。いまの主題は、目の前に広がる風景だから、巨大雲の多少の白飛びには目をつぶった。
風もなく、穏やかで、暑くも寒くもなかった。人の気配はなく、静かで、安らかな時間だった。ただ、流木に腰かけていたので、尻が痛くなった。何回か、座る場所を変えたが、心地よい場所はない。巨大雲が、島の上から消えかかったのを機に、立ち上がった。昼食方々、かなりゆっくりくつろいだ。朝からの緊張が解けたのだろう。少し眠くなった。そうだ、資料館に入って、イスで一寝入りできるかもしれない。
写真を撮りながら、砂浜を、灯台の塀沿いに回り込んでいくと、手作り広場のすぐ前に、少し高くなった狭い場所がある。管理人の爺が椅子に腰かけ、海のほうを見ていた。さっき来た時には、イスなどなかったから、爺が広場から持ってきたのだろう。朝の仕事が終わって、一休みしているのだろうと思った。
横目でちらっと見て、爺を少し迂回する感じで、広場に上がり、資料室へ向かった。どこかでゴミを燃やしたようだ。白い煙が少し漂っていた。山際にあった、ブロックを積み上げた簡易的な焼却炉だったか、バーベキューの焼き場だったか、しかとは思い出せない。
資料館の扉は開け放たれていた。中に入ると、上がり框に、スリッパが、ずらっと並んでいた。小学校の教室くらいの大きさの広さで、壁に沿って、写真やら年表やら、灯台の部品やら模型やらが並んでいた。むろん、だれもいなかった。いちおう、端から見て回ったが、ほとんど頭に入ってこなかった。したがって、正確には、なにが展示してあったのか、よく思い出せない。
イスはあるにはあったが、これも、どんなイスだったか、記憶があいまいだ。とにかく、ためしに座ってみた。座り心地が悪い。ひと寝入りどころか、くつろぐこともできない。もっとも、資料館という空間の特質からして、つまりは、学ぶ場所なのだから、くつろげないのは当然だろう。まるっきり、当てが外れたな。二、三分して立ち上がった。窓際に、記帳ノートが数冊あった。まじめに読む気にはなれなかったが、パラパラっとめくってみた。