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<日本灯台紀行 旅日誌>2022年度版

<日本灯台紀行 旅日誌>2022年度版

第15次灯台旅 四国編 

2022年11月12.13.14.15.16.17.18.19.20日

Part2

#17 七日目(3) 2022-11-18(金)

男木島灯台 撮影1

広々とした港の敷地を出ると、すぐにつきあたりだ。トイレがあったので、まずは用を足し、そのあと、軽登山靴のひもを結びなおした。さてと、灯台は右か左かと、きょろきょろと見まわした。だが、案内板などはない。すでに上陸した人たちの姿はどこにもなく、自分だけ取り残された感じだ。

右か左か、二者択一だ。左手には、デザインチックな白い建物がある。考えもなくふらふらと、そちらのほうへ歩き出した。すると、りっぱな案内板が建物の入り口付近にあった。近寄ってよく見ると、灯台のアイコンがある。

しかしながら、絵地図の見方を勘違いしてしまった。本来は、このまま左へ行くべきところを、いま来た道を戻ってしまったのだ。

言い訳をさせてもらおう。左方向は、極端に道が狭くなっていて、ほぼ行き止まりのように見えた。それにひきかけ、港のある右方向は、道も広く、開けている感じがした。<男木島>の観光資源のメインは<男木島灯台>だろう。したがって、灯台への道はちゃんと整備されているはずだ、と思い込んでいたのだ。絵地図で確認しておきながら、実際には、反対方向へ歩き出
した所以である。

だが、歩きだしてすぐに、何かおかしいと思った。これは、直観としか言いようがない。絵地図で再度確認してみよう、と回れ右をした。その時、トイレの付近に、背中に<男木島>と書いてある、赤いジャンパーを着たおばさんが目に入った。島のボランティアだろう。躊躇なく、灯台への道を尋ねた。

おばさんは、丁寧に、教えてくれた。やはり左方向が正解で、山を登って下りて、30分くらいで行けるという。礼を言って歩きだした。これでやっと、<男木島灯台>へ向かうことができる。やれやれ。

広い平場の道が終わると、いきなり、両側民家の細い道になる。やや上り坂になっていて、突き当りにも家があるから、遠くから見た時に、行き止まりに見えたのだろう。もっとも、灯台への道しるべがあれば、問題ないのだが、そんなものはどこにも見当たらない。<男木島灯台>は、灯台50選に選ばれている有名な灯台だ。少し奇異な感じがした。だが、島内ボランティアのおばさんが、指をさして教えてくれた方向だ、間違いははい。前進あるのみ。

日陰の細い道を少し登ると、道は直角に右カーブしていて、極端に急な坂になった。しかも、くねっているから上が見えない。かなりゆっくり登ったものの、息が切れて、途中で何度も立ち止まった。展望はなく、右は急な斜面で樹木に覆われている。左側には海があるはずだが、崖際にも樹木が繁茂していて何も見えない。ただ、南向きの山道だから、日差しがあって、明るい。二、三日前の<佐田岬灯台>の山登りで、体が少し強くなったのだろうか、息は切れても、苦しくはなかった。それに、この急な坂道がこの先延々と続くとも思えなかった。

案の定、というべきか、意外にあっさり急坂を登りきった。依然として、登り坂ではあるが、緩い上り下りの山道になった。人の気配は全くしない。静かだ。午前中の柔らかい日差しがもろに当たってきて、気持ちがよかった。

山道には、ちゃんとした道しるべはなかったが、ところどころに、小学生が描いたような絵看板が立っていた。灯台まであと1000mとか、700mとか、あともう少しとか、がんばれとかの、字も入っていた。唯一、この絵看板だけが、灯台へのたしかな道しるべになっていて、しばらく出てこないと、気になって、こちらから探したほどだ。

いまおもえば、これらの絵看板は、地元の小学生が、<男木島>に遠足に来る本土の小学生に向けて、作ったものではないだろうか。というのも、これは後で記述するつもりたが、実際に、二、三十人の幼稚園生が<男木島>に遠足に来ているところに出っくわしている。元気なもんで、ちびっ子たちは、山を登り、尾根道を歩いて灯台まで下りてきたようなのだ。おそらく、尾根道にも、同じような絵看板が立っているような気がする。

山道を30分くらいは歩いたと思う。もう、そろそろだろうと思っていると、目の前の展望が開けた。海側ではなく、一本道の下り坂の先に海岸があり、山影の横に、灯台の胴体が見えた。立ち止まった。そばには、記念碑と案内板があったが、何の記念碑なのか、案内板を目で追っただけで、なにも頭の中に残らなかった。

やっと着いたな。いま一度、灯台をじっと見た。灯台の写真というよりは、いま自分の前に広がっている光景を、記念写真として一枚だけ撮った。さてと<男木島灯台>の写真撮影開始だ。すぐに歩き出した。<アドレナリン>が出ていたのだろう。鼻息も荒く、坂をすたすた下りて行った。

坂を下りていくと、左側が海岸になっていた。きれいなベージュ色の砂浜で、黒っぽい服を着た、中年の男女が戯れている。砂浜に入った。砂浜は、さほど広くない。カップルのそばを通り過ぎた時に、男のほうが<おはようございます>とややぎこちない日本語で挨拶をしてきた。ちらっと顔を見ると、白人の男性だった。もちろん、こちらも挨拶をかえした。

そばにいた女のほうは日本人で、彼女の顔もちらっと見たが、挨拶なしだった。外国人とカップルになっている日本人の女性は、どうも愛想がない。これは明らかに偏見だろう。だが、これまでの経験からして、そんな気がするのだ。

砂に足をとられながら、そのまま灯台のほうへ向かった。<男木島灯台>は、砂浜際に立っていた。砂浜との境には、高さ一メートルほどの、城壁のような土留め塀がめぐらされている。さらにその上にも、ほぼ同じ高さの、黒い石をドット模様にした塀がめぐらされていた。いうならば、二層構造になっていて、上の黒石ドット模様の塀は、周囲の色合いが茶系なので、ひときわ目立つ。造作も丁寧で、伝統的な美意識を感じた。

これらの塀の上に、灯台の胴体が見える。こちらも明るいベージュ色で、大小二種類の、長方形の大きな石で組みあげられている。表面がつるつるしていてきれいだ。

灯台の頭は、白いドーム状になっていた。造形的には不釣り合いだが、これは、灯台の機能を考えれば、致し方ないことだろう。ドームの中には、灯台の目が入っていて、暗い海を照らしている。胴体や付帯している出入り口などの造作は、およそ130年前に建てられたままの姿で現存しているが、照明関係の機械類は電化されたのだろう。

ちなみに、灯台に使用されている石は、<庵治石=あじいし>と言って、この地方だけで取れる御影石の一種で、きめが細かく、硬くて、水を通さず、風化に強い石らしい。

それにしても、130年も前に作られたものが、野外で、風雨に晒されながらも、きれいな形で現存している。これは奇跡といっても言い過ぎではあるまい。はるか昔、明治の時代に、灯台の父<ブラントン>が離日したあと、日本人だけで建設した<男木島灯台>は、現在、日本に二つしかない<無塗装の灯台>の一つでもある。

さてと、事前の下調べの段階で、<男木島灯台>の撮影ポイントは、左右の側面だろうと見当をつけていた。問題は、太陽の位置だ。ジーンズのポケットから磁石を取り出して、赤い矢印を<N>に合わせた。海を背にして、灯台の左側が東で、右側が西だった。となれば、太陽は、灯台の背後にある山の上を通って、西側の海に落下することになる。まだ、九時半過ぎだった。

帰りのフェリーは午後三時だ。二時までは撮影できる。いまは灯台の左側面に日があたっているようだ。午後になれば、間違いなく右側面にも日があたるだろう。見上げると、真っ青な空。雲一つない晴天だった。

西側からの撮影では、画面左側に海を入れることができる。ただ、灯台横の樹木の枝が繁茂していて、胴体を覆い隠している。これでは絵にならない。

砂浜を塀沿いに回り込んで、樹木の枝が灯台にかぶらないところまで歩いた。立ち止まった。この位置取りが、おそらくはベストポイントだろう。ただ、いまの時間帯、やや逆光になっている。午後、陽が西に傾いてきた時が、シャッターチャンスだ。とはいえ、アングルの微調整をしながら、何枚も撮った。

次に、灯台の正面に回り込んだ。手前に砂浜があり、少し高いところに塀が巡らされていて、その上に灯台の胴体が見える。さきほども書いたが、背後にはすぐ山が迫っている。奥行き感がなくて、構図が平板すぎる。しかも、砂浜から見上げているので、灯台は、まっすぐには見えず、そっくり返っている。いわゆる仰角アングルだ。

さらによくないことには、半逆光。この先、太陽は弧を描いて山の上を通過するのだから、明かりの状態はもっと悪くなるだろう。正面からは無理だなと思った。とはいえ、あきらめが悪くて、ここでもかなりの枚数を撮った。

ところで、<男木島灯台>の砂浜は、アーチ状になっていて、そのアーチの頂点に灯台が位置している。先端部に灯台が立っているのは至極当然の話だ。

撮影の話に戻すと、灯台の正面を通り過ぎると、この地形の関係上、いま歩いてきた砂浜が見えなくなる。灯台が、画面左手になり、右手には、いままで背にしていた海が見えるようになる。灯台の東側に来たわけで、午前中の柔らかい光が、灯台にあたっていた。

おそらくは、この位置取りが、<男木島灯台>の第二のベストポイントだろう。いや、言葉がおかしい。ベストポイントは一つしかないから<ベスト>なのだ。したがって、<二番目に眺めのいいポイント>とでもいうべきなのだろう。とにかく、下調べした通りで、左側面からのアングルも、右側に海を取り込めるので奥行き感があり、しかも、明かりが斜光なので、画面に陰影が出ている。実際に見ていても、気持ちがいい風景だった。

だが、写真の構図としては、やや問題があった。灯台に付帯している玄関口のような嵩の張った出入口が、灯台の下部と重なっている。まずもって、塀があり、しかも出入口の建物があるから、灯台の下のほうは全く見えない。

翻って思うに、灯台の一番好きなところは、地上から天空へと、すくっと立っている姿だ。いま目の前に見える光景は、そのイメージとはだいぶ違う。これは、明らかに<灯台のある風景>だろう。瀬戸内の、離島の、明るい、静かな、どこか懐かしい、平安な風景だろう。

灯台巡りの旅を始めてから、三年がたっていた。きっかけは、愛猫の死だ。絶命する瞬間、<ニャン>と、か弱く鳴いて逝ってしまった。これまでもそうだった。大切なもの、愛するものを失う悲しみや苦しみ、後悔から逃れるために、なにかに夢中になった。

いま、自分にできる解決策は、いや逃避策は、大海を前に、絶壁に佇立する灯台を撮ることだ。夢中になって、撮って、撮って、撮りまくって、いまにも崩れ落ちそうな心をつなぎとめた。

時の流れというものは、いい意味でも、悪い意味でも、すべてを押し流してしまうものだ。<ペットロス>から立ち直り、残り十年の人生を、どうやって苦痛なくやり過ごそうかと、冷静に考えられるようになった。

おそらくは、写真の主題が、<灯台写真>から<灯台のある風景>へと変わっていったことと、無縁ではあるまい。灯台は、青い海と青い空との境界に、ある時は<白>、ある時は<赤>の点景として、心の中に残ればいい。この限りなく小さな点は、人間であり、自分なのだ、と。

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