<日本灯台紀行 旅日誌>2022年度版
<日本灯台紀行 旅日誌>2022年度版
第15次灯台旅 四国編
2022年11月12.13.14.15.16.17.18.19.20日
#6 三日目(2) 2022-11-14(月)
佐田岬灯台撮影2
展望台についた。灯台をイメージしたモニュメントの前にはベンチもあり、腰かけて記念撮影もできる。まずはベンチに重いカメラバックをおろした。三脚も持ってきたのだから、モニュメントを背景に、セルフポートレイトもできる。だが、やめた。操作が面倒だし、何よりも逆光だ。それに年老いた自分を写真に残すのが、なんとなく嫌だった。
ベンチに腰かけた。一息入れてから、モニュメントの裏側に回って、断崖際、柵沿いに移動しながら、佐田岬灯台を撮った。右手には海があり、水平線が見える。左手からは、ラクダのこぶのような山が、三つ、四つせり出している。その先に、岩肌のワイルドな断崖があり、白い灯台が立っている。
最高の、思い描いていた、撮りたいと思っていた<灯台のある風景>だ。だがいかんせん、逆光だ。画像編集<ソフト>で何とか修正できるのではないか、と一縷の望みを持って、かなりしつこく、粘って撮った。撮り終わって、ポケットから磁石を取り出し、方位を確認した。午後になり、太陽が天中から西に傾き始めれば、明かりが灯台にあたる。午後になったら、撮り直しだ。
ベンチに置いたカメラバックを背負った。立ち去る前に、もう一度、モニュメントと正対した。モニュメントの上のほうの隙間から、本物の灯台が小さく見えた。なるほど、そういう意匠だったのか。とはいえ、四国最西端の、最果ての地に立つ佐田岬灯台が、漫画チックに見える。おもわず苦笑してしまった。
いま来た道を戻った。登りになると、カメラバックの重みがこたえた。また山中に入り、<椿山展望台>に登った。さほどの距離ではないが、極端に急な山道で、息が切れた。展望台は、ウッドデッキのような感じで、ベンチがふたつあり、真ん中にステンパイプのオブジェがあった。十二畳ほどの狭い空間で、だれもいなかった。
西側のベンチにカメラバックを下ろして、さっそく撮り始めた。灯台の全景が、眼下に見える。だが、距離があるので、かなり小さい。ただその分、周りの景色が大きく取りこめる。とくに、<伊予灘>が俯瞰できて、対岸の九州大分の<佐賀関>まで見える。もちろん、400mmの望遠を使えば、灯台を大きく写し撮ることはできる。だが、そうなると、背景は青い海面一色だけで、しかも、灯台の造形はといえば、この位置取りからでは、さほど魅力がない。となれば、岬に立つ灯台を手前にして、背後の海と空を大きく取り込んだ、いわゆる<灯台のある風景>として写真をまとめようじゃないか。幸いにも、晴天で、大きな船が<伊予灘>を行きかっていた。
撮りはじめて気づいたことだが、崖の下に生えている、斜面の木々が邪魔なんだ。枝先が灯台にかかってしまう。であるからして、柵沿いに歩いて、枝が灯台にかからない場所を探した。正確に言えば、一か所、まあ~妥協しても、二か所しかなかった。山頂に展望台を作ったものの、時とともに、斜面に自生している椿が成長してきて、展望を妨げている。枝を剪定しないと、そのうち展望台から灯台は見えなくなってしまう。自然の中に人工物を作ると、あとの管理が大変だ。なんとまあ~、無責任な感想なんだ。
ひと通り撮り終えて、ベンチで休憩した。メモ書きによれば、<腹が張って、体調がよくない。気分も悪い>。たしか、靴も、靴下も脱いで、ベンチで肘枕して横になった。午後になるまで、そう十二時になるまで、ここで時間調整しよう。その前に、たっぷり給水して、カメラバックに詰め込んできたお菓子類を食べたような気もする。いま思えば、十一月の半ばという季節に、山の中で、着の身着のままで、ベンチでごろ寝ができたのだから、夢のようだ!
暖かい日差しを受けて、狭いベンチで、断続的にうとうとした。というのは、観光客が、時間をあけて、展望台に上がってきたからだ。その都度、目が覚めた。はじめは若い男、これは駐車場に止まっていたグレーのSUVの持ち主だろう。次は、おしゃれな中年女性二人組。関西弁だ。大きな声でおしゃべりしっぱなし。三組目は、ハイキングスタイルの若い男女。いそいそした感じで寄り添っている。最後は、さえない中年男。ご丁寧にも、すべて、ちゃんとメモ書きしていた。
観光客が来るたびに、起き上がって、こっちも、灯台に向かって、カメラを向けた。これは、ま、一種のアリバイ工作ですな。ベンチでごろ寝している私は、怪しいものではありません。灯台の写真を撮りに来たオヤジです、ってなわけだ。何しろ、九時半から十二時までの間、太陽の位置が変わっても、灯台の様子はさほどかわらず、空の様子にも変化はなかったのだから、観光客が来るたびに、写真を撮る必要はなかったのだ。
いや~おかげさまで、長い時間うとうとさせてもらいました。少し元気が回復した。出発しよう。お菓子も食べ尽くし、給水もしたので、カメラバックが少し軽くなったような気がした。そして最後にもう一度、柵沿いに歩いて<椿山展望台>から見える風景を、逐一カメラに収めた。
展望台から降りて、階段状の山道を下った。下りきる少し手前、踊り場のようなところから、岬の上の灯台が見えた。灯台の確固たる造形が感じられた。立ち止まって、画面の隅に枝葉などを入れて、何枚か撮った。そのあと、灯台の階段の前まで行った。見上げた。元気が回復していたのだろう、行くしかないと思った。登り始めた。なにしろ急だ。半分くらい登って、一息入れた。足が重い。重いカメラバックのせいだと思った。
登り切ると、息がハアハアしていた。そして、案の定、灯台の立っている空間は狭くて、写真にならなかった。ただし、展望は最高だった。<伊予灘>が目の前にどうっと広がっている。柵際に案内板があり、中央には、二、三段の階段状の記念碑もある。側面にも背面にも<四国最西端>と大きく書いてある。腰かけられるようにもなっているから、記念写真用の台座にもなる。ためしにと、腰かけた。少し見上げたあたりに、太陽があり、眩しかった。<伊予灘>がきらきら光っている。静かで、暖かかった
灯台の敷地から降りて、小島(御籠島)の展望台へと向かった。途中、岩肌に咲いている花などをスナップした。マーガレットのような白い花と、けなげに寄り添っている黄色い花たちだ。気持ちが和んだ。<畜養池>の横をスナップしながら通り過ぎ、せっかくだからと、<砲台跡>にも寄ってみた。案内板に、要塞の中の大砲の写真があり、惹かれたのだ。
おっと、その前に一言付け加えておこう。メモ書きに、わざわざ書いていることなのだから、まるっきり無視はできないだろう。<(展望台へ行く)その前に 一人 いやな感じの観光客を見た サラリーマンみたいな服装で、すたすた歩いている 黒いリック それに三脚の袋を背負っている 黑いズボン 黑い靴 茶色のハーフコート 頭頂部が禿げ上がっている プール?などを撮りながら見ていると 展望台に座ってなかなか下りてこない ハチ合わせするのがいやで 奴が下りてくるのを待って 展望台へ行く>。このあと、プールの前あたりで奴と連れ違った。むろん挨拶なしだ。お前なんかの来るとこじゃない、とさえ思った。偉そうな歩き方、それに尊大な態度と表情が気に入らなかったんだ。
崖際の坂から右手にそれて、真新しい階段を上った。なんというか、岩盤をくりぬいたトンネルを、コンクリで塗り固めて、きれいに補修してある。大きさ的には、幅も高さも一間くらいだったろうか。割と広い、というか大きい。直進すると、すぐに二股に分かれ、左へ行くと、突き当りに<大砲>の部屋があった。荒れている。海に向かって、ぽっかり穴が開いてはいるが、案内板の写真とは違って、朽ちかけた車輪付きの台座から、砲身が外され、放置されている。立ち入り禁止で、そばにも寄れない。ややがっかりした。
<二股>地点に戻って、もうひとつの通路を進むと、突き当りが展望室になっていた。ここも、ぽっかり穴が開いている。戦時中には大砲が置いてあり、瀬戸内海に入りこんでくる敵艦を狙っていたらしい。本土決戦に備えたのだろうか、御籠島に二門、佐田岬灯台の下にも二門設置されたが、敗戦まで一度も使われることはなかったようだ。
絶壁の開口部からは、少しベランダ状になっていて、外に出られる。危険防止の黒い鉄柵があり、目の前には<伊予灘>が広がっていた。左手の崖際には小さな記念碑も見えた。記念にと、この風景も何枚か撮った。
向き直った。開口部も、きれいにコンクリで固められていたが、これは、戦時中のままだろう。兵隊の遊び心だろうか、指で施した鱗の模様が、開口部の枠組み全体に描かれていた。要塞は<素掘り>の突貫工事で、半年余りで完成したようだが、素人っぽい<鱗模様>には、貫通時の兵隊たちの達成感が表現されているように感じた。その時の様子が幻視され、一瞬間、気が遠くなった。そんなに昔のことじゃない。俺の生まれる少し前のことだ。<鱗模様>を指でなぞってみると、おもいのほか、ざらざらしいていた。
崖際の坂に戻った。左手には、期待していた通り、午後の日差しを受けた、真っ白な佐田岬灯台が、荒々しい岬の先端に立っていた。写真を撮りながら、モニュメントのある展望台へ向かった。途中、右手に五、六段の階段があった。先端部にお地蔵さん(救命地蔵)がみえた。なるほど、さっき、要塞の穴から見えた記念碑だな、あとで寄ってみよう。先に進んだ。
展望台からの眺めは最高だった。空が真っ青なうえに、ところどころに雲もある。断崖の少し崩れかけた岩屑の一つ一つまでもがはっきり見え、眼下の海岸近くの海はコバルトブルーで、沈んでいる岩礁が見えるほど透明だ。むろん、八角柱の真っ白な灯台は、秋の日差しを受けて、陰影を帯びている。自然の中に屹立する素晴らしい造形だ。
写真の構図としても、ほぼ完ぺきに近い。手前には眼下の海、右三分の一くらいは、青い空に水平線。左からは、こぶ状の山がいくつかせり出していて、その先端部に灯台が立っている。あとは、この布置の中でベストポジションを探すだけだ。時計を見たのだろう、一時過ぎだ。時間はまだたっぷりあった。
展望台の柵際でひと通り撮り終え、ベンチに座って少し休憩した。靴を脱ぎ、靴下も脱いで素足になったような気がする。ややあって、<畜養池>のある下のほうから、三人連れの男の観光客が、こちらへやってくるのが見えた。ベンチは記念写真用だからね、どきましょう。支度をして、崖際の坂を下りた。立ち止まり、柵際で写真を撮りながら、彼らをやり過ごした。
ついでなので、坂の下まで下りて、今度は上りながら、改めて、ベストポジションを探った。なるほどね、この布置、構図には、需要なポイントがもうひとつあることに気づいた。灯台の立つ断崖から、少し左側の断崖の中ほどに、要塞の銃眼が二門、真っ黒な口を開けている。
ただ、このふたつの銃眼は、坂の下からだと見えない。坂を上りはじめると徐々に現れて、展望台に着くと、しっかり見えるようになる。二つの漆黒の丸は、極小ながら、風景の中では非常に目立つ。いったんこのことに気づくと、どうしても、それらを十全な形で、写真の中に取り込みたい。すなわち、ベストポイントは展望台の上からだ。
まずもって、断崖の中ほどにある要塞の銃眼などに、お目にかかることはない。映画の中の世界だ。写真の主題が<灯台のある風景>であるならば、この二つの銃眼は、その主題を、さらに人間化してくれる。<風景写真>を超え出て、<風景>というもの、<人間>というものに対する哲学的な思索を喚起してくれる。いつかどこかでみた、南海の孤島で花に埋もれ、朽ち果てている戦闘機や戦車を見たときの感動に似ている。
展望台の柵際に立ち、灯台と銃眼を際立たせるような微調整を構図に施して、何枚も撮った。そのあとは、坂を下りて、銃眼が画面に写らない構図にして撮ってみたり、あるいはまた、坂の途中で、半分くらい見えている構図のものを撮ったりして、好奇心を満たした。それらはみな、悪くはないが、何かが欠落しているように思えた。その間、何組か、観光客が来たような気もする。だが、メモ書きに残ってもいないし、よく思い出せない。いま思えば、かけがえのない、至福の時間だったのだ。
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