ネガティブでもいいよ。だけど世界はきっと、もう少し

ある女性タレント、Uのブログと文章が、何年も前からずっと好きだ。
活動休止時も、ずっと心の中でエールを送っていた。


彼女のブログに辿り着いたきっかけはもう覚えていないが、読み始めてすぐ、文章の上手さと庶民的な感覚と生真面目さに驚いた。
同性のファンが多く、当時は「ガールズトーク」がテーマの記事で読者に親しみのあるトークを展開していた。


マクドナルドのグラコロが好きで、ハーブスのケーキに目がなくて、
自炊はほどほどなのを隠さず、何年も前のワンピースを大切に着用し、あんなに美人なのに自虐ネタも多く、そして読書家。


きっとこの時点で、彼女に対するイメージが変わった人もいるのではないだろうか。
(上記のいくつかのワードで検索かけてもらえればきっと見つかると思うので、気になる方は答え合わせしてみてくださいね)


妬み嫉みであふれがちな女性用掲示板でも、活動休止時には「彼女のブログ好きだった、また見たいな」とぽつりとつぶやくユーザーが
ひとりではなく何人もいた。


そうだよなあ。彼女、世間で言われていたほどひどい女性ではないと思うのだけれど。


なにが本当かは分からなくても、あの頃のブログの文章に嘘はないと思っていた。



彼女が30代後半で大学に入学し、ブログも復活したと知ったときはひそかに喜び、応援した。
卒業後はYouTubeもスタート。
やっぱり丁寧でファン思いな彼女で、たまに噛み付いたコメントに返信までして心配したが、ああ一生懸命生きているなあと また心の中でエールを送っていた。



そんな彼女だが、最近、ちょっと心配だなあと感じる行動や言動が多い。
ブログの更新は現在も続いており、嬉しい限りなのだが
記事でネガティブな発言を連発したり、
睡眠導入剤を突然やめてみたり、
髪を20何年ぶりにバッサリ切ったり、
頻繁に行っていたYouTubeの更新はパッタリと途絶えた。



短絡的な思考では
「忙しいのかな」「というより、忙しくしたいのかな」「ちょっと不安定なのかな」
と感じてしまうけれど、もしかしたら それは違うのかもしれない。



彼女は元々ずっと、こうだった。
この状態が、たぶんただの素なんだ。


40代になり、ますます「だれかの期待に応えるように生きること」をやめたのだなと思う。



夏のある記事は、冒頭から
「本音を言いはじめると、病んでると言う人がまあまあいるのですが」
といった書き出しで始まる。


死生観とか考えたり、自分は一体なんの為に生きてるんだろ。
とか悩んだりしただけで病んでるって...
「病んでる」をカジュアルに使い過ぎな気がする。


生まれてきたからにはとりあえず生きてるけど、ここまでの経験で楽しかった事、幸せだった事、全部なくなっても生まれてこない選択が42年前に出来るなら、
私は生まれたくないぞ
...これだけで病んでるの?


疲れるし、傷つくし、辛いことばっかじゃん。生きてるのって。
楽しいことなんて、ほんと時々なんだもの。


あの時やあの時やあの時に違う選択をしていても、だからといって、今が全力で幸せで楽しい事ばかりじゃないのは分かってるんです。
どうせ辛くて苦しい事が沢山なんです。
どの道を選んでいても。



パッと切り取っただけだと、私ですら
「ああ、Sちゃん……そんなにネガティブにならなくても…」と慌ててしまうのだが、
たぶん、これが彼女の元々の人生観。


現代だと、こういう話をすれば大抵は「メンヘラ」「情緒不安定」と扱われる。
きっと彼女はそれも分かっているのだろう。


どう思われるかより、そういう自分でいることにした、のだ。


どんなに美人でも、恵まれているように見えても、それは関係ないのだ。
彼女が生きづらい限りは、ずっと生きづらい。



そんなネガティブが根底にある人、きっと私はきらいじゃない。
きらいじゃないけど、


人生は色々あるけれど、楽しい

人生は色々あるから、悲しい



どちらの人生観で生きていくかで、
変わってしまうのだよな。
そう思っている。



喜びも悲しみもあるのなら、
それは悲しい。

喜びも悲しみもあるのなら、
それは楽しい。



あなたは「どちら」だろうか。



私は━
たまに前者、そして、概ね後者。
そんなずるい立ち位置で生きています。




Twitterで8年ぐらいフォローしている、顔も本名も知らないある女性は
いつもいつも報われない恋をし、
いつもいつも悲しみ、
いつもいつも苦しんでいた。

そして、いつもいつも幸せになりたがっていた。


綴られる言葉が美しいのでフォローを続けていたが、ある時期からフォローしていたことすら忘れてしまっていた。



去年、その女性のツイートが久しぶりにタイムラインに上がってきた。
きっとそれまでもつぶやいていたのだろうが、タイミングが合わず、見つけることができなかった。



彼女はまだ、まだまだいつもいつも
報われない恋をし、悲しみ、苦しみ、
幸せになりたいと願っていた。



「そのまま、なんだな。」



綴る言葉の色は相変わらず美しかったが、私はとても切なくなった。



やっぱり、

幸せになりたい「と願っている」だけでは、
ダメなんじゃないのか。



人生観がそもそも「恋とは報われなくて、苦しくて、悲しいもの」
に、なってしまっているのではないか。


そしてそういう自分が、実はそこまできらいではないのではないか。



悲しかった。
それは、きっと、私も同じだったから。




Uのブログの「病んでる」と呼ばれる記事を読んで、その女性を思い浮かべた。


彼女はきっと、「そういうもの」とネガティブな自分を肯定して生きていくことにしたのだろう。
それも、間違いじゃない。



ベースはこの瞬間に消えてなくなってもいいと思ってるけど、
でも現実は消えないだろうから、
せめてこの瞬間、少しでも楽しそうなことを探してます


「病んでる」記事の後半はこんな文章だった。
やっぱり彼女は、ネガティブな中にも楽しい瞬間が訪れることを知っていて、
だけど、
「それでもベースはネガティブ」な側でいることを選んでいる。


とてもとてもまじめで不器用な人だと思う。
たしかに、突き詰めれば面倒くさいタイプなのかもしれないけれど
私は彼女がそこまで「イタい」女性とは思えない。



でも、生きにくさがすこしでも解消されるように
もっといっぱいケーキとかおいしいもの食べて、夢のように生きてしまえばいいよ!と、勝手にエールを送り続けていよう。


ネガティブだけどなんとかなるよ。
そんなロールモデルがいれば みんなラクになるのかもしれないね。



私はどうだろう。


ううん、
ネガティブな美しさには とても惹かれるけれど

やっぱりまだ、もうすこしもがいていたい。


色々あるけれど、だって、
ふとしたときに まだまだ 幸せだからね。


同じように喜びと悲しみが訪れるのなら
笑って生き延びていきたい。



すくなくとも、今のうちは。



追伸

『NANA』のレイラ役、ぜーったい、ハマり役だったと思うんだけどなあ。
彼女のレイラも、見てみたかったよ。


*追記

上記のワードで検索かければ見つかるよ、と言いつつ、いまそのいくつかのワード(グラコロ ハーブス 大学 とか)で検索するとこの記事が出てきちゃいますね。なんなんだ。note優良すぎな。
もし気になる方がいたら、グラコロ さくら で検索してみると いけるかもです。


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