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C-19 〜ファンが僕の部屋にいた…..!?〜
僕が中学生まで育ったのは東京都世田谷区の成城という街。今でこそ高級住宅街とされているが僕が幼い頃は駅から数分歩けば畑だった。確か白菜が植っていて肥溜めがあったのをはっきり覚えている。まぁ半世紀以上前の話しだけど。
そこからしばらく引越しが続く。
まず狛江。成城の2つ隣で、都内で一番小さな市である狛江市は幼い子供を育てるにはいい環境なんだそう。多摩川とか野川とかあるからね。でも僕にはあまりいい思い出はない。色が思い出せない。全体的に灰色の日々だったかも(また別の記事で書きます)
その後、やはり小田急線の柿生(かきお)、祖師ヶ谷などに移り住み(友達のアパートに転がり混んだ祖師谷時代)。母が病気になったから再び柿生に戻り、そして母を見送った。しばらく柿生で呆然自失(心を病んだ)アルバイト先の柿生の駅前のお蕎麦屋さんの旦那さん達に大分助けられたなぁ。おばあちゃん(大女将さん)が成人式を祝ってくれたのは忘れません。
そんな事もあり僕は立ち直り、次に表参道のカフェでバイトが決まったから代々木上原に引っ越した。そこでココナッツボーイズのデビュー。そこからやっと小田急線を離れ常盤台。西武線だ。そこで女の子に不義理をした。過去の数々の黒歴史の一つ。
僕はレコードなんか出して調子にのっていた。そしてある日その子の父親に、そんなダミ声で歌なんか歌ってたってしょうがないんじゃないか、と意見され、もうダメだと、ここでは暮らせないと、逃げ出した。彼女には謝っても謝りきれない。オレは音楽で食っていけんだよ、このクソ親父、と強気になればよかったのに。あー、つらい。
(これは、恋人は少しブス、の後の話です)
そして下北沢。そこで全ては始まった。それからとんでもない事件も起こった。
下北沢とは言っても下北沢と三軒茶屋の丁度中間辺りの場所にあったアパートの一階の角の部屋に僕はしばらく暮らしていて、そこにいた時、ロマンティックが止まらない、がヒットした。
部屋は完全にファンにバレてしまっていた。
バレンタインデーの朝。仕事に出かけようとして玄関のドアを開けようとしたがこれが開かない。え?ってなった
。
信じてもらえないかもしれないが何とバレンタインのプレゼントが山積みになってドアを完全に塞いでいたのだ。事務所に電話してマネージャーに助けを求めた。写真がないのが残念だけど…..
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チップは本当に助かります。僕にはまだ夢がありまして、それは今よりもっと大きな画角の絵を描きたいんです。画板は何とかなりますが家は狭く今でさえとんでもない事になっています。そこで大きな画面の絵を描くアトリエを借りたいんです。そのためにお金作らないと、と思っています。よろしくです。