時代劇レヴュー㊶:炎立つ(1993年~1994年)
タイトル:炎立つ
放送時期:1993年7月~1994年3月(全三十五回)
放送局など:NHK
主演(役名):第一部・第三部・渡辺謙(藤原経清、藤原泰衡)
第二部・村上弘明(藤原清衡)
原作:高橋克彦
脚本:中島丈博
NHKの所謂「大河ドラマ」の第三十二作目で、奥州藤原氏三代の興亡を、その氏祖に当たる藤原経清の代から話を起こして、源頼朝によって藤原氏が滅亡するまでを描いた作品で、三部構成を取っており、物語全体のスパンが百年以上あり、かつ各部で主人公が異なる大河ドラマとしては珍しい作品である。
第一部が「前九年の役」を題材にしたもので全十二回、第二部が「後三年の役」を題材にしたもので全八回、第三部が源義経の奥州下向から奥州合戦で藤原氏が滅亡するまでを扱い全十五回と言う内訳である(第一部が「北の埋み火」、第二部が「冥(くら)き稲妻」、第三部が「黄金楽土」と言うように、それぞれの部にはサブタイトルが付けられていて、これは2020年3月現在本作が唯一のものである)。
そもそもこの作品は放送期間自体も異例で、大河ドラマは通常その年の1月から12月まで一年を通じて放送されるのが常であるが、本作を含む前後三作品(1993年上半期の「琉球の風」と1994年4月~12月に放送された「花の乱」)はイレギュラーな放送期間であり、そのため話数も通常の作品に比して短めである。
私の記憶が正しければ、当時の報道でNHKは今後は大河ドラマを半年ごとに一作品放送するよう変更する方針になったと発表されていたが、不評だったためか1995年以降は元の一年に戻している。
とは言え、この間に放送された三作品は、それまで大河ドラマで取り上げられて来なかった時代(「花の乱」は室町時代中期が舞台)や地方政権の話(「琉球の風」は古琉球末期が舞台)が題材とされており、かなり意欲的な試みであったが、視聴率的には苦戦を強いられた。
本作も例外ではなく、平安時代末期の東北が舞台と言うマイナーさのためか、キャストの豪華さに比して評判は今ひとつであった(個人的には、放送当時はテレビ時代劇では馴染みのない題材であったために面白く見ていたが)。
とは言え、配役は若手からヴェテランまで幅広い役者を揃えていて見応えがあり、主人公の渡辺謙と村上弘明の存在感も見事で(特に村上は、一見穏やかなようでいざとなると非情な面を見せる清衡役を好演していた)、出番こそ序盤のみであるものの、大河ドラマ初出演の里見浩太朗が、奥六郡の王者・安倍頼時役をこれまた存在感抜群に演じて脇を固めていた。
頼時の相談役のような立場で登場する吉次(このキャラクタについては後述)役は西村晃であり、期せずして「水戸黄門」の御老公・助さんの共演が見られたのも時代劇ファンにはうれしい一齣である。
本作の特徴としては、随所に原作者である高橋克彦独自の歴史解釈が施されていて、面白いことは面白いのであるが、予定調和的なストーリー展開と合わせてやや違和感があることも否めない(宮中の廷臣達が皆、金に目が眩んだ馬鹿ばっかりなのもリアリティがない)。
また、三部の主人公である泰衡のキャラクタが異様に美化されている所も、個人的には釈然としなかった(泰衡の事跡からするに、彼を主人公として美化するにはああ言う解釈にするしか仕方がなかったのであろうが)。
基本的に平和主義者なのであるが、どうも煮え切らないと言うか、義経主人公のドラマでありがちな小心者のキャラクタの方がまだわかりすく、泰衡は敗者の側で史料が少ない(orあったとしても内容にだいぶ偏向がある)にせよ、どう好意的に解釈してもやや無理のある展開であった。
後、せっかく河田次郎を登場させたのに、泰衡の死がはっきりと描かれないのも何だかもったいない気がした。
反面、源義経がかなり軽薄でわがままな人物に描かれている点は原作とは異なる描写であり(後述するように、三部に関しては原作の完成が遅れたので、義経のキャラクタを脚本の中島丈博がある程度自由に作れたせいもあろうが)、義経を演じていた野村宏伸が、この少し前に別のドラマ(日本テレビの「源義経」、詳しくは「時代劇レヴュー㊲」参照)で義経役を演じていたために、その違いが面白かった。
高橋克彦の歴史小説にはキャラクタのテンプレートがあって(つまり、どの作品でもキャラクタの描き方がほぼ同じ)、本作でもそれが適用(?)されており、第一部を例に取れば、文武に秀でてヒーロー然とした主人公が藤原経清、心ならずも主人公と敵対するが互いを認め合っている好敵手が源義家、救いようのないくらい憎々しく描かれる悪役的人物が源頼義と言った感じで、全体的に登場人物のキャラクタはかなりデフォルメされている。
なお、私は第一部の主人公である経清の存在を本作で知り、後で彼が『陸奥話記』に登場するものの、史実ではほとんど事績のはっきりしない人物であることを知ってびっくりした記憶があるが、それだけに自由な創作がなされていて、英雄然とした理想的なキャラクタに描かれていた。
他にも、「金売り吉次」を金山を管理するシャマニズム集団的な一族として描き、源義経を奥州に連れてくる吉次(こちらは女性で、同じ「きちじ」の発音で「橘似」と言う漢字を当てている)だけでなく、「吉次」を名乗る人物が随所に登場して物語の中で重要な役割を果たしていた。
本作の原作は既存の作品ではなく、ドラマと同時進行で執筆される書き下ろし作品であり、第一部と第二部は放送直前に単行本が刊行されていたため、ドラマの進行に影響はなかったが、ドラマの三部に当たる部分の執筆がかなり遅れたために、三部はほぼ脚本を担当した中島丈博のオリジナルストーリーとなっている。
そのせいで、一部・二部と三部とでは作品の出来栄えに違いがあり、三部のみは前半に比べて作品の質がかなり劣る。
不幸なのは、宙ぶらりんになってしまった三部が、全体の半分近くを占める構成だったことで、結果論ではあるが、この遅れがわかっていれば一部・二部をメインに話を作れたかも知れないので、途中までは物語が面白かっただけに、一視聴者としては締め切りを守らない(?)高橋克彦が恨めしい(ちなみに、高橋は2001年の大河ドラマ「北条時宗」でやはり書き下ろしの原作を担当しているが、ここでも同じことをしているので生来のものなのであろう)。
中島丈博の肩を持つわけではないが、中途半端な形で下駄を預けられた中島はさだめし不本意だったろうし、最後まで定まらない泰衡のキャラクタが、脚本の混迷をよく示しているように思う。
そもそも三部自体が地味で、奥州藤原政権が滅んでいく過程の話なので物語的にも精彩がなく、戦乱の時代を扱ったドラマなのに全く合戦シーンがないと言うのも珍しく、それも精彩を欠く一因であろう(源平合戦の部分は、1979年の大河ドラマ「草燃える」の映像の使い回し。ちなみに、同作の脚本を担当したのも中島丈博であり、台詞回しにも共通した所があった)。
とは言え、三部も配役は良かったように思う。
老獪さと軽薄さのバランスをうまく表現していた中尾彬の後白河法皇が特に良く、また長塚京三も悪玉の頼朝を好演している(長塚はこの頃には良い上司とか父親とかを演じることが多くなっていたが、個人的にはやはり彼は悪役が似合うように思う)。
かなり個人的な感想になるが、前述の「橘似」役の紺野美沙子が放送当時からかなり私は好きで、惜しむらくは、あまり出番が多くないと言うことであろうか(笑)。
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