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翻訳でタイトルが変わってしまう作品たち ―失われた面白さと意味を考える―
※この記事では「葬送のフリーレン」や目次にあるような洋画のネタバレが含まれます。以上の事を承知で読むようにしてください。
翻訳で失われる意味
先日、葬送のフリーレン関連の動画にこのようなコメントが書かれていました。
「英語圏の人に『葬送のフリーレン』っていうタイトルの意味が伝わらないのは勿体ない」
このコメントの背景を説明します。葬送のフリーレンという漫画及びアニメ作品は英訳ではタイトルが大きく異なっています。
英訳では「Frieren: Beyond Journey's End」というタイトルになっています。直訳すると「フリーレン:旅の終わりの先」といった感じでしょうか。勇者一行の魔法使いフリーレンが、魔王を討伐した後の話が描かれていることから、こういったタイトルになっています。しかしそれ以上に、「葬送」という日本語に該当する英訳が見つからなかったのも大きいのではないかと私は感じています。
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アニメ第8話でフリーレンが魔族に恐れられ、「葬送のフリーレン」という異名を持つ……というシーンでタイトル回収が行われるのです。
ところがこの「葬送のフリーレン」というセリフの英語字幕は、「フリーレンが魔族を殺して回るもの」という文脈から―
"Frieren The Slayer"(「処刑人フリーレン」と言うようなニュアンス)となってしまいました。つまり英語では「葬送のフリーレン」というタイトル回収は残念ながらなされなかったのです。
最近では海外でもタイトルの重要性を訴える熱心なファンが多くなっています。例えば今年にアカデミー賞を受賞した「君たちはどう生きるか」は、英語のタイトルは"The Boy and the Heron"(少年とサギ)に変更されましたが、宮崎監督が意図した本来のタイトルである"How do you live"に変更してほしいという声もSNS上ではチラホラ見ることが出来ました。
たぶん後述しますが、恐らくこういったタイトル変更の裏には「このタイトルで映画に馴染みのない人たちが劇場に足を運んでまでこの映画を見るだろうか」というプロモーター側の考えもあるのだと思います(あくまで私の想像です)。
ちなみにこういった翻訳の過程で原文の意味や重要性が失われてしまう現象を、英語では"Lost in translation"といいます。実際にそういう映画も存在します。タイトルはそのまんま「ロスト・イン・トランスレーション」で、なんと舞台は日本。興味のある方は是非ご覧ください。
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さて、昨今日本のアニメが海外でも多くの人に楽しまれ、翻訳の過程で仕方がなく本来の面白さが失われてしまうことも多くありますが、逆もしかりなのです。
日本でもハリウッド映画などをはじめとした海外作品が広く親しまれていますが、翻訳の過程で知らず知らずのうちに原文が持っている面白さなどが失われてしまっていることが多々あります。
前置きが長くなりましたが、今回の記事では日本語でタイトルが大きく変わってしまった洋画をご紹介します。あくまで私のチョイスで恐縮ですが、よろしければぜひ最後までお付き合いください。
天使にラブソングを
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「天使にラブソングを」というタイトルで日本では広く知られているこの作品ですが、原題は"SISTER ACT"となっています。
"act"という英単語には「演じる」「演技」という意味もあります。つまり原題は「シスター(修道女)の演技」と直訳出来ますね。
主人公のデロリスは殺人現場を目的したことで命を狙われ、仕方なく修道女として身を隠すことになります。こういった本編の一連の流れを見た観客は「あぁ、なるほどそれであのタイトルか」という事になるのですが、日本語の「天使にラブソングを」だとまだこの時点でそういった感覚を持つことは難しいかもしれません。
じゃあ「天使にラブソングを」というタイトルはダメなのでしょうか?いろんな意見はあると思いますが私個人の意見としては、この作品が音楽をメインにした作品であることを考えると、こっちの方がよりミュージカル的な雰囲気を日本人は持つのかもしれません。
劇場公開当時のプロモーションがどうされたのかはわかりませんが、恐らく「ミュージカル映画」としてこの作品を日本に売りたかったという思惑があるのだと想像します。
ちなみにこの作品は舞台(ミュージカル)にもなっており、その際には「天使にラブソングを ~シスターアクト~」と、サブタイトル的な感じで原題が使われていました。日本語訳のタイトルと、原題の合わせ技という感じですが、どちらのタイトルも好きな人を救う良い案だなと私は思いました。
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セッション
続けて「セッション」。2つ続けて音楽についての映画で恐縮ですが、まぁ私が音楽好きなのでしょうがないですね(テキトー)。
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チラッと上の画像にもありますが原題は"WHIPELASH"となっています。この英単語のそのままの意味は「鞭打ち」となります。
そのまんま「鞭で打つ」という暴力的な意味もあれば、「むち打ち症」という意味もあります。
主人公の青年ニーマンはプロのドラマーを目指し日々厳しい鍛錬を積みます。そしてある意味もう一人の主人公とも言えるフレッチャーは、主人公をはじめとする生徒たちに「スパルタ」という言葉でも生ぬるくなるかもしれないほどの厳しい指導をします。暴力は当たり前、厳しい怒号も飛び交うその様は、まさに「鞭」のようである……。
鬼のフレッチャーの「鞭」のような指導と、日々の厳しい練習で心も体もボロボロになっていくニーマン。文字通りの「むち打ち症」になっていく姿は目を背けたくなる人もいるでしょう。
そしてもうひとつ大事なのが、映画の中で実際に主人公たちが演奏する曲の中に"Whiplash"というジャズの名曲があります。ジャズを知ってる人は「この映画はあの曲を描いたものなのかな?」となりますが、この曲を知らない人でも「ああなるほど、この曲がこのタイトルの元になってるのかな」と腑に落ちる場面があります。教師から暴力と言葉の鞭で苦しめられている中、演奏する曲まで"Whiplash"なんて、なんだか皮肉も聞いてて本当に可哀そうになってくるわけです。
日本語のタイトルである「セッション」では、作品を知らない人がそのままこのタイトルを見てもその作品が持つ暴力性を想像することは殆ど不可能でしょう。そして"Whiplash"という曲名が劇中に出てきても、特に何も思うことなく見過ごしてしまうのではないでしょうか。
とはいえ、「セッション」というタイトルだと少なくともこの作品が「音楽についての映画である」という連想をすることは出来ると思います。
逆に"Whiplash"のままで日本でこの映画を売り出すと考えて、そもそもこの英単語自体をカタカナにしても何のことか殆どの人はわからないでしょう。やはり「売り出す側」に立って考えてみると、この「セッション」という日本語訳のタイトルもある程度理解は出来る部分があります。とはいえ、やはり"WHIPLASH"というタイトルだからこそ持っていた本編の面白みは損なわれてしまうのも事実です。
う~ん、中々難しいものですね。
レミーのおいしいレストラン
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続いて紹介するのはDisney PIXARの作品である「レミーのおいしいレストラン」です。原題は"Ratatouille"となっています。これは舞台がフランスなことから、タイトルもフランス語になっていますね。
ちなみに先に言っておくと、PIXAR作品の殆ど(全部?)は原題と日本語のタイトルが違っています。例えば「カールじいさんの空飛ぶ家」なんかは、原題ではシンプルに"UP"だったりします。この記事ではそのすべてを紹介はしませんので、興味のある方はご自身で調べてみてください。
「原題の"Ratatouille"ってフランス語でわけわからん!」っていう人もいると思います。そう考えれば日本では「レミーのおいしいレストラン」というタイトルでこの映画が売り出された理由もまあ理解出来るのではないかと思います。特に娯楽としてこの映画を見たい子供たちにとって、この馴染みのない仏語タイトルはちょっと酷かもしれません。
ではそもそも"Ratatouille"(ラタトゥイユ)ってなんなのでしょうか?本編を見た人ならご存知でしょうが、これはフランスの家庭料理の名前になっています。本当かどうかは知りませんが、日本でいう「肉じゃが」ぐらい一般的な家庭料理らしいです。
終盤の展開で、主人公たちが料理批評家に料理を振る舞うのですが、家庭料理のラタトゥイユを出したところ、その批評家はいわゆる「おふくろの味」を思い出し感動する――そしてピンチにあったレストランは救われる……というシーンがあるのです。
つまりタイトル自体がこのシーンへのある意味伏線的な意味合いにもなっているのですが、「レミーのおいしいレストラン」というタイトルではそういった面白みが損なわれてしまいますね。
ただやはり前述したように、"Ratatouille"というタイトルのままだと、日本人にとってはこの映画が何についての映画なのかほとんどの人はサッパリわかりません。このままのタイトルで興行的な成功を収めるのは難しいと考えられたのかもしれません。
翻訳されたタイトルの多くはプロモーション的な事情で意味が変わったりしていますね。そう考えると、PIXARの映画は対象年齢が子供向けな作品が多いながらも、タイトルはしっかりと芸術的な方向性を辿っていると言えます。
エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス
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最後にこの映画をご紹介。
「いやいや、この映画は日本でも原題がそのままタイトルに使われてるじゃん!」と思われたでしょう。
はい、そうです。その通りなのですが、実を言うと先ほど紹介した映画"Ratatouille"が日本で「レミーのおいしいレストラン」というタイトルで紹介された弊害が、この映画で思わぬ形として出てしまっているのです。
この映画で「レミーのおいしいレストラン」がある種のネタとして出てきます。主人公のエヴリンは娘のジョイに「あなたは多重世界の敵に操られているのよ」と説明するシーンがあります。その時の例えとして「ラタトウィユ」(レミーのおいしいレストラン)を出すのです。
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しかし、エヴリンから出てきたワードは「ラカクーニ」(本当は「ラタトゥイユ」)。映画の説明をするも「帽子の中のアライグマがシェフを操るあの映画よ!(本当はアライグマではなくネズミ)」と、なにかが違います。
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「それって"Ratatouille"(レミーのおいしいレストラン)でしょ?」と指摘されますが、実を言うとエヴリンの言ったことは間違ってなかったのです。並行世界の別のエヴリンはシェフで、なんと腕利きの同僚の帽子には「ラカクーニ」というアライグマがおり、そのアライグマが同僚を操っていたのでした。
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このアライグマの名前「ラカクーニ」ですが、これは明らかに"Ratatouille"(ラタトゥイユ)を意識した名前で、見ている人も「いやいやこの名前は狙いすぎでしょ(笑)」と笑えるシーンになっています("raccoon"(アライグマ)と"ratatouille"が合わさったネーミングになっています)。しかし、当然日本人にはそこらへんの微妙なネタが伝わりません。面白いシーンなのですが、なんとも勿体ない事になってしまいました。
とまあ、こんな感じで多少マニアックなネタにはなりましたが、タイトルを翻訳の都合で変更することでこういった二次災害的な事が起こる場合もあります。レアケースではありますが、一つの事が変更されると色んなことが狂うという例として紹介しました。
さいごに
さて、いかがだったでしょうか。色々と言いましたが、決してタイトルを変更した翻訳者を責める意図はありません。
記事中も散々言ってますが、プロモーションを考えると、その地域でちゃんとその作品が受け入れられる、あるいは興行的な成功を収めるためのローカライズは仕方がないと思います。
どの作品にも言えることですが、やはりその作品を最大限に楽しむには元の言語で楽しむのが一番です。これを機に、多少は英語に興味を持ってみるのもいいかもしれませんね。
というわけで、以上です!
ここまで読んでくださってありがとうございました!
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