【3分で読める世界史】ムガル帝国の発展
スール朝の支配から復活したムガル帝国。
アクバルを皇帝に迎え、新たな時代の幕が上がりました。
この記事を読めば、ムガル帝国再建の様子が分かります。
アクバルの即位
第2代皇帝フマーユーンはデリーを奪還してまもなく、事故で亡くなってしまいます。
その後を継いだのが第3代皇帝アクバルでした。年齢はなんと14歳。
しかしアクバル帝は手腕を発揮し、ムガル帝国を大国へと押し上げます。
首都をデリーから、少し南のアグラに移し、その治世を始めました。
このアクバルがムガル帝国の実質的な建国者という見方もあります。
アクバルの治世
アクバルは官僚を32の官位に分け、それに応じた給与と騎兵を与え、中央集権化を進めました(マンサブダール制)。
またイスラーム教徒とヒンドゥー教徒との融和をはかり、ヒンドゥー教徒の人頭税(ジズヤ)を廃止したり、アクバル自身もヒンドゥー教徒のラージプート(カースト集団)と結婚したりしました。
この結婚には、当時乱立していたラージプートの勢力を取り込んで、北インドの統一を果たす狙いもありました。
イスラーム教とヒンドゥー教の融和
アクバルのイスラーム教とヒンドゥー教の融和政策の裏には、当時の宗教運動の影響がありました。
偶像崇拝やカースト制を批判したカビールは、イスラーム教の側からヒンドゥー教との融和を模索しました。
そしてカビールの影響を受けたナーナクは、今度はヒンドゥー教の側から偶像崇拝とカースト制を否定し、新たな宗教、シク教を創設しました。
終わりに
いかがだったでしょうか。今回はアクバルによるムガル帝国の統治と、その裏にあった宗教運動についてお話させていただきました。
次回は、有名なタージマハルが登場します。お楽しみに!
参考文献
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