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【3分で読める世界史】イタリア戦争
お待たせいたしました!
充電期間をいただきましたが、【3分で読める世界史】を再開いたします!
これからの【3分で読める世界史】はひとつのトピックを深く掘り下げる形にしたいと思います。
舞台は近世ヨーロッパから。今日はイタリア戦争についてです。
それでは早速スタート!
■イタリア戦争
1494年、フランスがイタリア半島南部のナポリ王国の王位継承権を主張し、イタリアに侵入しました。
これを契機に始まったのがイタリア戦争です。
当時イタリア半島は、真ん中にローマ教皇領があり、北部と南部が分断されていました。
さらにローマ教皇の権威を抑えたい神聖ローマ帝国が、たびたびイタリアにちょっかいを出すイタリア政策が行われていました。
そんななか、突然のフランス侵入。もちろん神聖ローマ皇帝は黙っていません。
さらにナポリ王位にはスペインのアラゴン家が就いていたので、イタリア戦争は、フランスvsスペインvs神聖ローマ帝国の構図で始まりました。
しかしハプスブルク家のスペイン王カルロス1世が、神聖ローマ皇帝にカール5世として即位すると状況は一変。
フランスvsスペインvs神聖ローマ帝国の3国のうち、2国がハプスブルク家のものとなり、イタリア戦争はハプスブルク家とフランスのヴァロワ家のヨーロッパの覇権争いとなりました。
地理的にスペインと神聖ローマ帝国の間に挟まれているフランスは、なんとイスラームの大国、オスマン帝国と同盟。
それに対抗した神聖ローマ帝国は、こちらもなんとローマカトリックから抜けて、独自の国教会を作っていたイングランドと組みます。
双方、宗教など関係なく、とにかく勢力拡大に突き進み、事態は泥沼化。
最終的に両家とも疲れ果てて、1559年にカトー=カンブレジ和約を結び、この戦争を終わらせました。
このイタリア戦争では、スペインと神聖ローマ帝国が同君になったことに、フランスが同盟外交で対抗したように、一国が強くなり過ぎないよう勢力均衡の原理が働いたことがポイントです。
この勢力均衡にもとづき、神聖ローマ皇帝やローマ教皇のように、複数国家にまたがる権力の存在が衰え、各国が自国内で最高権力を有する主権国家が始まりました。
こうしてイタリア戦争は、主権国家が併存する、現在に至るまでの国家体制が構築されるきっかけとなりました。
■編集後記
新しい【3分で読める世界史】にお付き合いいただき、ありがとうございました。
画像など、だいぶ要素を削って、シンプルにしてみました。
いかがだったでしょうか。
ご意見などあれば、遠慮なく仰っていただければ参考になり大変うれしいです。
ではまた次回!
参考文献
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